見出し画像

パンツを脱ぐことと、文章を書くこと。

 偏差値78の高校から、AV男優になった森林原人という男がいる。

 夏目漱石は東京帝国大学英文科の職を、ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)から引き継いだあと、それを放り捨てて朝日新聞に連載小説、「吾輩は猫である」を書いた。
 
 大学教授仲間や、家族からは「売文家なんて…」と目をひそめられたという。小説家という職業は、当時、AV男優と同じくらい低かったのだ。

 現代ではデビューする小説の賞に、格がある。まるでどの大学に入るかで、キャリアの選択肢が変わるように、どの賞を受賞してデビューするかで、その後のキャリアの選択肢の幅は大きく変わる。

 早大文学部で学び、そんな文壇の現状を克明に認識した上で、「どんな賞でも構わない。デビューさえできれば、あとはなんとでもなると思った」と豪語したのは、他ならぬ村上春樹である。

 村上はインタビューの中で、何度かこの発言をしているが、その意図は文壇の上記の現実を知らないと、読み取り切れない。

 もっとも、結果として彼は、格式高い群像新人賞からデビューしているが。

 本当は格式ある賞でデビューしたかったが、何度挑戦しても跳ね返されたので、諦めて女である性別と容姿を活かし、官能小説の賞に顔写真付きで応募した。読み通り、今度は受賞した。」と述懐したのは女流小説家がいた。
 さながら、学部では入試に失敗したが、院からロンダして第一志望だった大学に入ったようなものだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?