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小説の行間に求めてるのは作者の振り絞った感性の偏見だ

冷房の効いた部屋でストレッチをしてハーブティーを淹れて、詩集をKindleで買って読みながら過ごす午前中。幸。

小説やエッセイの行間に求めてるのは、正解じゃなくて作者の振り絞った感性の偏見なんだよ。そうだろ、ハム太郎?そうなのだ!!!!!!ヘケッ!!!!

自分以外の人間のとち狂った偏見を収集して死にたい世界をほんの少しだけ生きやすくなる自分なりの見方を捕まえたい、と常々思ってる。例えば友人から教えてもらった「死にたくてたまらなくなった日には、会社に向かう電車を降りて行き先を決めずに新幹線に飛び乗る」とか。

そんでもって高校を中退して、2年間ニートして、大学も一回中退しててめっちゃ生きづらくて苦しかった身としては、なんか俺も誰かにとって息継ぎになるような文章とか感性とか何かの断片を晒せたら嬉しいなと思ってるところがある。

100行が駄文でも、1行でも誰かにとって少し救われた気持ちになるものが書けたらいいなって。誰かというか、高校を中退してお金もなく時間だけがあり、でも昼間から外にでるにはご近所さんの目が怖くて、3ヶ月もしたら飽きてしまって大して楽しくもない家でニコニコ動画とTwitterを死んだ目で眺めていたぼくにとって何か救いになるものが書けたらなと。

だからそういう意味で「これからの時代の生き方の正解を教えます!」みたいな自己啓発書とか積立ニーサとかこれから伸びる業界とかになんて救われ得ないし、そんなネット記事なんか1秒だって視界に入れたくない休日がある。断言するけど、ある。今日がそれ。

でもぼくは弱いから平日は業界ニュースをチェックしながら通勤したりするし、エナジードリンク代わりに自己啓発書を読むことがあるし、業界の伸び率とかを見つつ身につけるスキルを探して転職サイトをネットサーフィンしてしまうような資本主義にしっぽを振ってしまう一面があります。わんわん

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