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ミスをして終電で帰ったお風呂で「死にたい」と呟く

新卒で4月に入社したとき、「期待の新人」「23卒のホープ」と思われたかった。
1ミクロンも想像してみなかったと言うのは嘘になる。

大学を主席で卒業し、入社前の挨拶では会社では新入社員代表としてスピーチした。

しかし、めくるめく知性で、快刀乱麻にタスクを解決していくと思っていた俺の社会人生活は、4月には暗雲が立ち込めていた。

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4月にはにはクリエイティブの「ク」の文字があるかないか怪しい現実に直面し眠くなり、5月にはストレスでお腹が痛くなり通勤中に平均3回は途中下車をし、6月には初案件を任せられた初月からミスをして先輩が頭を下げる横で身を縮こまらせていた。

入社半年も経つ頃には、入社時に持っていた根拠のない全能感は崩れ去っていた。

手元にあるのは、週刊ペースで更新するジャンプのように立て続けのミスを打ち立て続けたことで生まれた、根拠のある自分自身の無能感だけだった。

石川啄木は『一握の砂』にて、虚しさを「ぢっと手を見る」と表現した
ミスをして先輩に報告している間、顔を見れずにじっと俯いて手元を見ているときに、啄木の咏った「虚しさ」を思い出した。

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大学のとても優秀で素敵だった後輩から、就職報告をもらったのは、そんな空虚で死にたい金曜日だった。

「大学時代に尊敬していた先輩みたいになりたくて」という文言は、打ち込まされ切って中央線のホームで寒さに震えていた心を温めてくれた。

そう思ってもらえていたことも嬉しかったから。

そんな連絡を読んで、
「死にたい 明日会社行きたくない」
「ミス なんとかする方法」
「優秀になるには」

とか、中央線のホームで待つ間に、Googleの検索欄に打ち込んでいた自分も、頑張りたいと思っていた時期があったのだと思い出していた。

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思い出を振り返るような書き方になるが、大学時代にジタバタと方向が分からないなりに、何者かになりたかった。(詳細は、このnote)

2年浪人というか、大学の学費を稼ぐためのアルバイトをしつつ、ニートなのか浪人生なのかアルバイターなのかよく分からないまま2浪の年齢で入学した。

何をすればいいのかわからなかった。
形のない焦燥感に駆り立てられてて、図書館にこもってたくさんの本を読んだ。
たくさんの教授や友人に「会いたい」と叫んで会った。有難いことにそのうちのいくつかは繋がって卒業後も続く縁になっていった。

ただ、がむしゃらに動いている大学1年生のとき、地図も持たないまま樹海を全力疾走するように、必死だった。
走っている方向と自分が行きたい方向が合っているのかすら分かっていなかった。

その時の何者でもない焦燥感のようなものを活写しているから、小説『真夜中乙女戦争』が好きだ。話を戻そう。

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そんな大学生活を、主席で卒業した。
仕事を始めた。思ったようにはいかなかった。人生の大部分なんてそんなもんだが、それでも思い通りにならない日々が続くと凹む。

しかも、俺が自分でやらかしたミスが続く。
「死にたい」が口を突いて出てくる。

でも、大学生活で「先輩を尊敬して頑張りました」って言ってくれる人がいるなら、過去の自分に顔向けできるように生きていきたいね。

いざ就職したら先輩も同期も優秀で凹むし、その上ミスを2ヶ月連続でやらかしてもっと凹んでベコベコになるし。

4月から合算したらミスをして心が凹みすぎて、車の事故の判定だったら「全壊」と表現されるくらい心が折れた。
「煙のようにいなくなりたい 方法」とか深夜2時に眠れなくてGoogle検索してる夜がある。

23時まで仕事して、終電数本前で駆け込んで帰って重い体を引きずってお風呂に入る時はやつれた自分の顔を見て「死にたい」と無意識に呟いてしまっていた。けれど。

けど、もうちょっとだけ頑張って生きてみようと思った。いろいろ、ありがとう。

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P.S.
尊敬していた人、
好意がある相手、
凄いなと思う人。

そんな人に「尊敬してる」とか、
「好きです」とか赤裸々に伝えるのはえいやって踏み切る勇気が必要だ。
あと、気持ちを言語化する面倒な作業も。

そのハードルは結構高い。
走り高跳びするくらいの気持ちの準備が必要だったりする。

でも、伝えた本人はそんなに意識していなかった、「ありがとう」「尊敬しています」の言葉で、凄く救われる瞬間があると思う。

少なくとも後輩が送ってくれた連絡で、僕はそのくらい嬉しかった。

別件でも、今年の夏にTwitterで「会いたい」と言ってもらえたときに、とってもにこにこした。

だから自分からも伝えられるときは、伝えるようにしたいね。

たぶん、そういう感情はお刺身みたいに生もので、伝えないで数日置いておくと土に帰るようになくなって思い出せなくなってしまうから。

「後でにしよう」と思ううちに、伝えられず思い出せなくなった言葉や、思い出の記憶の堆肥から芽吹いた数少ない言葉は、機会を逃さずに手渡したい

し、たぶん自分はそんな言葉を捕まえたくて文章を書いています。

お相手は、お布団至上主義でした。

いつも読んでくれてありがとう。

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