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衝動のハードルが下がる事と、汚れっちまった悲しみに

 第166回芥川賞受賞、砂川文次『ブラックボックス』にて、主人公のサクマは喧嘩っぱやくて、感情を抑えることを知らない。

 ムカッとした途端、怒りを罵声か、拳にのせて解き放ち、今までの仕事をクビになり続けてきた。

 結果としてUber eatsの配達員のような、日雇いに近い仕事で日銭を稼ぐ、社会の落伍者として描写される。
  
 言わなければ、もっと上手く社会で立ち回れるのに、つい言ってしまう瞬間の感情の描写が鳥肌が立つほど卓越している。

 その数行の描写だけで、公務員ゆえ副業禁止で「バレるから取りたくもなかったのに」芥川賞を受賞してしまう、砂川氏の天才性を否が応でも突きつけられる。引用しよう。

 「『よせばいいのに』と後になって思うことは多々ある。だけれども、大抵の場合抑えが利かないのだ。頭の中で何かがぱっと白くきらめき、気がつくと口か手が出ている。」

 「暴発するたびにそのハードルが低くなっている気がした。」

 「誰かを殴るのに、思い出せないけれど1番初めはきっとすごい緊張を伴ったはずだ。殴ったら殴られたりする回数分、自分のネジがどこか緩んで飛んでいく。次にそれをやるとき、最初の緊張はもうない。」

 この、一度超えてしまったハードルが低くなる現象は、性行為でも同様だ。

 「一杯飲もうよ」とでもいうように、フランクにワンナイトできてしまう精神性は生まれつきのものではない。後天的な学習で獲得する(させられるものだ)。

 初めての時は、異性の前で服を脱ぐことも、自らの裸体を晒すことも、怖い。

 「貧相なハダカ」と思われるのではないか、自分の喘ぎ声や指の動かし方がおかしいのではないか。

 まだシャワーを浴びる前から、そんな不安が頭の中を暴れ馬のようにぐるぐると駆け巡る。

 しかし、大学に入り新歓を経て、飲み会を重ねるうちに終電を逃す。

 付き合っていない人と、始発で帰る。入れる前は怖かったマッチングアプリで誰かと会うことにも慣れる。

 気がつくと、河合塾に通う高校生のときは、帰宅後に1人で見るPornhubやXvideosのモザイク越しにしか知らなかった情報に晒され、晒して生きている。

 そんな時、『ブラックボックス』の一節が頭をよぎる。

「暴発するたびにそのハードルが低くなっている気がした。」

 「誰かを殴るのに、思い出せないけれど1番初めはきっとすごい緊張を伴ったはずだ。殴ったら殴られたりする回数分、自分のネジがどこか緩んで飛んでいく。次にそれをやるとき、最初の緊張はもうない。」

 「殴る」をSEXに置き換えても、悲しい共感ができる。

 「将来は好きな人と結婚して、キスをして子供ができてしまう」と信じていた幼稚園の自分では共感できなかった、悲しい共感が。

 思えば、主人公のサクマは、衝動的な感情に振り回されるが、「いま手を繋いでいる異性と寝たい」という性欲も、とてつもなく衝動的だ。

 そして、衝動は理性を眠らせて本能のままに従うたびに、簡単に屈するようになるのだ。悲しいことに。

 ふと、ここまで綴って、中原中也の「汚れちまった悲しみに」の詩が思い起こされる。 

  『宇宙兄弟』の編集者である、佐渡島庸平は中原中也の詩を引いて、次のように述べている。

 汚れっちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れっちまった悲しみに
 今日も風さえ吹きすぎる

 僕はこの詩と出会った瞬間から、
 「汚れちまった悲しみに」
 という感情を知る為の旅を続けています。

(『感情はすぐに脳をジャックする』佐渡島庸平)

 「汚れちまった悲しみ」を知った時、衝動に簡単に屈する前の、自分には戻れない。
 衝動に屈した夜を、もしこれから一生を添い遂げる恋人ができるとして、たぶん一生話さないままお墓に入ることになるだろう。

 話されたところで、「そんなことを話さないで欲しかった」と思われるのだろう。

 「何もかも、話し合えば分かり合えるなんて嘘だよ。」と寂しそうに独白したのは、言葉の魔術師とも言われた小説家だったか。

 「『僕たちはみんな大人になれなかった』がベストセラーになって、ネットにあることないこと書かれた。あることの方が多かったから、なんとも言えない気持ちになった」と自嘲気味に書き飛ばしたのは、燃え殻という小説家だった。

 僕も「汚れちまった悲しみ」を胸に生きている。誰にも誇れることではない上に、ときどき死にたくなるけれど。

2022/05/12
村上春樹があるインタビューにて「僕はときどき目を開けたまま夢を見るのです。」と語ったが、僕はときどき死にたい日々の中で、死にたくないという夢を見るのです。


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