成田事変
「今、もしかしたら会いたいインフルエンサーが成田空港にいるみたいで、車で行こうと思うんですが、一緒に行きませんか?」
ビフテキ屋で友人と夕食を食べているところに飛び込んできた、同居人からの突然の連絡。
何度読み返しても状況が掴みきれない文章に私達は困惑します。
中でも「もしかしたら」の文字は特別私達を不安にさせます。
「SNSで2時間前に成田に着いたと投稿してた。もしかしたらまだいるのではないかと」
続けて送られてきたメッセージにはまたも「もしかしたら」の文字、ひとを巻き込んでいる人間の紡ぐ言葉とは到底思えません。
同居人はすでに車を借り、私達を拾いに向かっているというではありませんか。
ビフテキを食べていた友人(ビフ友)が信頼のおける男友達に
「大変なことになった。一緒に来て欲しい」と連絡をいれます。
「迎えにきてくれるなら」との返事。本当に信頼がおけます。
平日真っ只中の夜、車内に4人が揃ったとき時刻はすでに23時を回っていました。
SNSで「Narita」と呟いただけで見ず知らずの4人の男がレンタカーで向かってくる、インフルエンサーの力は絶大です。しかも内3人はインフルエンサーのことを知りもしません。
当然ながら手かがりはない、すでに成田を出てる可能性も高いが調べる方法もない。ハンドルを握る同居人は前を見据えたまま当たり前のように説明します。
「バズっている人間は見れば分かる」という彼の言葉を信じ、私達は高速道路の脇でバズっている人がいないか目を凝らすのでした。
同居人が尊敬するインフルエンサーは30mのフォロワーを抱えるNas Daily(ナス・デイリー)というエジプト人とのことでした。
普段はシンガポールにいる彼が日本を訪れることは滅多になく、同居人は興奮を抑えらません。
ちなみに同居人はSNSに某政治家のモノマネを投稿しています。
「外食すると食べて帰ってくることが多いんですよ」とか、通話相手に「いま電話の近くにいる?」と言うとか、そんなネタを考えるのに3日ほどを費やしています。
ターゲットのナスをどうやって炙り出し焼きナスにしようか考えた結果、車内でエンヤの曲を流し「いまエンヤといるけど来る?」と連絡することになりました。
しかしナスの電話番号が分からないこともさることながら、エンヤの幻想的な歌声とゆったりとした曲調は私達に尿意を催させます(しかも車は5人乗りなのでエンヤで定員が埋まっています)。
彼女の歌声と高層ビル群が灯す夜景の中で「これもうエンディングだよね」と誰かが呟いた声が聞こえましたが、私達の旅は始まったばかりなのでした。
高さ制限2.5mの道が現れた際には「さすがにナスは30mだからここ通れないよな」と引き返そうともしました。
「彼は30mなので発見は容易」「見つけたら手のひらに乗せてもらおう」「乗せてもらえたらバズる」と次々に作戦が浮かびます。
日付の変わる頃、成田に到着しました。シンガポールへ発つ前にナスを見つけなければいけません。成田は広い、どこにいるんだろうと焦る私達に「第2ターミナルにいる」と同居人が断言します。
鶴の一声により車は一路、第2ターミナルを目指します。鶴にははっきりとナスの居場所が浮かんでいるようなのです。
なぜ第2ターミナルなのか興奮しながら聞くと
「プラダに行ったが閉まっていたと5時間前に投稿してた。だからプラダのある第2ターミナルだ」
亀でも探しているのか。5時間前の投稿から推理するな。
これは私がしっかりしなければと思い第2ターミナルのロビーで仮眠をとる人達の中にナスがいないか確認していると「ナスは金持ってるから、この辺で寝ることはない」と注意されました。
あまりにも迷いのない言葉の数々に、彼に着いていけば本当にナスに会えるんじゃないか、そう思い始めている自分がいました。
探すこと約1時間、疲れた私達は信頼のおける男友達の淹れてくれたお茶(信頼男茶)を飲みながら作戦を練り直します。
「Instagramでメッセージを送ろう」と同居人が文章を考え始めます。むしろ送っていなかったのか。
そして「文章だけだと寂しいから写真を撮ろう」と、現在時刻の表示された出発案内板をバックに写真を撮りました。同居人を除く3人はどこか遠くを見据えていましたが、今思えばあれはシンガポールだったのかもしれません。
空港内の吉野家で食事をしていると、同居人が突然席を立ち「すみません、こちらに2,3時間前にナスが来ませんでしたか」と店員に尋ねに行きました。
「そうですか、ありがとうございます」という話し声が聞こえた後に「ここに来てないという事実がわかった」と何かを掴んだ様子で席に戻ってきました。
「吉野家に来ていないなら、近くの高級ホテルで休んでいて、ホテルのバーで飲んでいる」と言い、成田近くの高級ホテルのバー3件に電話をかけ始めたではありませんか。結果、全て営業終了していました。
「飲んでいないことがわかった」また何かを掴みます。吉野家に行けないなら高級バーに行くなんて、どんな人物像を想定しているのでしょうか。
じゃあナスはどこに、、と聞くと「長旅で疲れてムラムラして風俗に行っている」と言い出しました。
さては迷走しているなと察するには時すでに遅く、彼は成田近辺の風俗を検索し始めていました。
「ナスは金持ってるから、3Pするはず」と言う彼に
「利用したお店分かったところでどうするの?自分がナスに指名されない限り会えないんじゃ?」と友人が尋ねます。
「ナスが指名した女性を指名できれば、どんな男だったか話が聞ける」同居人は答えます。
会えてないじゃん。長旅で疲れてムラムラしているのは彼自身なのではないでしょうか、とんだおたんこナスです。
吉野家を出てデザートのアイスを食べながら掃除するスタッフ達を眺めます。
「見つからない可能性あるね」と同居人。
「多分ナス寝てるわ。
『プランA:成田で会う』から
『プランB:本拠地に戻り休息を取る』
に変更しよう」と
プランAの雑さもさることながら、まるでプランBが作戦であるかのように提案します。
「ナスもうちょっとクレイジーだと思ったんだけどな」などとぶつぶつ言いながら空港を発ちます。
もうすぐで信頼男家(信頼のおける男友達の家)に着くという頃、同居人が「ナスから返事が来てる!」とハンドルを踊らせます。慌てて路肩に停めさせる私達。
「Omg Hahahahah It’s random!」とナス。
「ランダムってなに?滅茶苦茶ってこと?」画面を覗き込みながら私達は首をかしげます。「突然だね!って意味だ」と信頼のおける男友達が教えてくれます。本当に信頼がおけます。
さらに「さっきシンガポールに着いたよ!」とも返事が来ています。とっくに日本を出ているじゃないか。何がプラダだ。
愕然とする私達に同居人は「返事にまた写真を送りたいから、そこのローソンの前で会えなくて落ち込んでる写真を撮ろう」と提案します。
会えなくて残念がる写真と、笑顔の写真を同じ構図で撮りました。後者は「本気で落ち込んではいないよ」という意味だそうです。私は習っていません。
返事が来たことへの興奮が隠せない同居人は「家に帰ったら多分勃起するわ」と言いながらハンドルを握ります。
4時20分に帰宅、雀の鳴き声が聞こえていました。
同居人は明日(今日)も休みなのでしっかり風呂に入ろうとしますが、疲れ果てた私はすぐにベッドに倒れこみます。
朦朧とする私に「ねえ見て、めっちゃ勃起してる」とスウェットに浮き出る陰茎を見せつけてくる男がいます。有言実行が過ぎます。
スーパーでレジ袋のサイズを選ばせる店員よろしく彼は私が何か言葉を発するのを待って、たち続けているのです。
「いらないです」レジ袋を断る客よろしく力無く口にした私は、閉じていく瞼に抵抗できませんでした。
薄れゆく意識の中、この場合は朝勃ちなのかなという疑問がよぎったのを覚えています。成田帰り、とんだ時差ボケであります。
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