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Ayaseさんの音楽から香り立つ、「終わり」の匂い。

こんにちは。桜小路いをりです。

最近、YOASOBIの曲も含めたAyaseさんの音楽を聴いていて、「これだ!」と思う共通点を見つけたので記事にしてみます。

ずばり、Ayaseさんの曲は「終わり」との相性がいい。

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。


「終わり」から「始まる」曲

「終わり」にも種類があると思うので、ざっくり2つに分けて書いていきます。

ひとつめは、「終わり」から「始まる」曲。

Ayaseさんのソロ曲だと、私がいちばんに思い浮かべるのは「幽霊東京」です。

個人的に、「幽霊東京」は、いま目の前に広がる夜ばかりを見つめていた主人公が、明日に目を向ける曲だと思っています。

過去を振り返り、いつまでも葛藤することを「終わり」にする。そして、未来を見つめて生きていくことを「始める」。

YOASOBIの曲の中で「終わりから始まる」ものだと、「群青」や「怪物」でしょうか。

「群青」は、好きを追究したい気持ちに蓋をしていた自分から一歩踏み出し、まだ怖い気持ちを抱えながらもその道を進んでいく、という姿が描かれています。

「怪物」も、葛藤を抱え悩み苦しみながらも、最後にはそれを振り切って走り出す、ひとつの成長の曲です。

葛藤を「終わらせ」て、主人公が一歩踏み出し未来を向く、そして走り「始める」。

成長することは、ある意味で今までの自分自身を「終わらせる」ことなんじゃないかな、とAyaseさんの曲を聴くと思います。
これは、ネガティブな「終わり」ではなくて、むしろ未来を向くための前向きな「終わり」です。

ピリオドを打つ、という感じでしょうか。そのピリオドの先には、新しい文章が続いている。
きっとこの先に、主人公の新たな道が広がっているのだろうなと想像できるような。

個人的に、Ayaseさんの「飽和」は、まさしくこの仲間だと思っています。

ちょっと「夜撫でるメノウ」の続編にも思えるような、「始める」ために自ら未練を清算して「終わらせる」というような。
そんな、この上なく優しい切なさにあふれた曲だと思います。

本当の「終わり」の曲

本当の「終わり」とは? と思う方がいらっしゃるかもしれません。
この表現は、「終わり」を迎えた先に、主人公の未来が見えない曲、という意味で使っています。

まず1曲目は、忘れてはならない「夜に駆ける」。

端的に言ってしまうと、死神の女性と希死念慮をもった男性の自殺のお話。
その先にあるのは、無か、それとも救いか。
そんな問いと共に、ぱたん、と本が閉じてしまうような「終わり」の曲です。それでいて、いつまでも鈍い残響が心に残るところも、魅力のひとつ。

そして、「終わり」は「終わり」でも、しっとりとした余韻がいつまでも尾を引く、名残惜しい「終わり」を描いているのは、「アンコール」ではないでしょうか。

こちらは、「明日世界が終わる日」に出会った男女のお話。最後の瞬間まで音楽を奏で続ける、という切ない1曲です。

もしも世界が明日で終わらなかったら。
コンサートのアンコールのように、わずかでも猶予の時間があるのなら。そんな淡い祈りを感じる、非常に切ない「終わり」。

ちょっと穿った見方かもしれませんが、「夜に駆ける」と「アンコール」は、1st EP「THE BOOK」の中で対の位置にあります。(「アンコール」は始めから2番目、「夜に駆ける」は終わりから2番目です)

これ、ふたつの似た「終わりの曲」の対比になっているんじゃないかな、と思います。

「夜に駆ける」も「アンコール」も、極端に言えば「終わり」へ向かっていく男女のお話です。
でも、このふたつは、「希望など見いだせず、自ら終わらせる二人」と、「覆しようのない終わりに、まだ希望を捨てられない二人」だと思います。

「夜に駆ける」では「死」が鈍く光り、「アンコール」では「生」が眩しくきらめく。

そんな対比がされているように感じました。

ちなみに、ここに分類される曲で外せないのは「ラストリゾート」だと思います。

こちらは、光を全て飲み込むような深く暗い「終わり」が描かれた曲です。

その「終わり」は光を放ちません。
たとえるなら、ブラックホールのような「終わり」でしょうか。
全ての光を飲み込む暗さ、深さ、漆黒の闇がゆらりと香り立つような1曲になっています。

Ayaseさんの書く歌詞には、どれにも「終わり」に向かっていく切なさがあるような気がします。
「終わり」は誰にもやってきて、誰のどの人生の行き着く先も、最終的には「終わり」である、と。

「誰と、何と出会っても、いつかはお別れがくる」
「あがいても、もがいても、どう生きても、いつかは自分の人生は終わってしまう」
「永遠なんてない」

そんな想いがあるから、Ayaseさんの曲の行間には、いつも切なさが漂っているのではないかなと思います。

でも、だからと言って「全てをあきらめる」わけでもないのも、Ayaseさんの歌詞の魅力ではないでしょうか。

「終わり」があっても、その瞬間を、このときを精一杯生きること。
あがいて、もがいて、悩んで、自分の人生を生きること。

「終わり」があるから、そのひたむきさと一生懸命さがより一層輝いて見える。
「生きることをあきらめない」その姿が、美しく、眩しく見える。

ダークな雰囲気の歌詞なのに、不思議と励まされるのは、そんな「終わり」との対比があるからなのではないか、と思います。

まとめ

Ayaseさんの歌詞については、以前、この記事でも書かせていただきました。

こちらの記事では、「優しさ」という視点で歌詞を紐解いています。

Ayaseさんの曲を、1曲1曲「終わり」の観点で見て、聴いてみると、また新たな発見がありそうです。

そして、「SHOCK!」のリリースも、おめでとうございます。Ayaseさん個人としては初めてのアニメ主題歌。早速いっぱい聴かせていただいています。

私の個人的なお願いではありますが、Ayaseさんには、身体に気をつけながら、少しずつでもいいから、いつまでも楽しく音楽を創り続けていただきたい……と思います。
Ayaseさんが創った曲なら、どんな曲でも、絶対に素敵でかけがえのない曲になるはずだと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

私が「神曲」の理由を探るなんて畏れ多くはありますが、今までのモヤモヤを言語化できてすっきりしました。個人的には、大満足の記事です。

今回お借りした見出し画像は、白いバラの写真です。「終わり」の儚さの中に、確かな「始まり」の予感を感じるAyaseさんの楽曲について考えたとき、最初に浮かんだのが「白」という色でした。この写真は、奥行きのある切り取り方が素敵でお気に入りです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。