見出し画像

ヨルシカ「左右盲」のこと。

こんにちは。桜小路いをりです。

先日、ヨルシカさんの「左右盲」のMVが公開されました。

「左右盲」が主題歌になっている「映画 今夜、世界からこの恋が消えても」のPVで予め聴いていたのですが、実際にMVを見て、フルで聴いて、「この気持ちを書き留めておきたい」と思い、いま記事を書いています。

「今夜、世界からこの恋が消えても」は、私の膨大な読みたい本リストにいつまでも入っているくせに、まだ原作を読めていません……。あらすじだけ紹介させてください。

通称「セカコイ」は、夜眠るとその日の記憶が無くなってしまう少女と、「本気で好きにならないこと」を条件に付き合い始めた主人公が織り成す物語。日ごと記憶を失う彼女と、一日限りの恋を積み重ねていく日々を描いた作品です。

私自身、未読なので、お話については軽く触れる程度、あるいは、ほぼ妄想で書いていきます。ご了承ください。

「左右盲」のMVの概要欄には、こんな説明が書かれています。

普遍的な恋人の別れをイメージする。時間が経ち、相手の顔の造作や仕草を少しずつ忘れて、その左右もはっきりとわからなくなっていくような感覚を、左右盲になぞらえる。

そもそもの「左右盲」の意味を調べてみたら、「左右盲」とは「左右失認」のことだそうです。左右を咄嗟に判断できなかったり、間違えてしまう症状のことを言うそうです。

君の右手は頬を突いている
僕は左手に温いマグカップ
君の右眉は少し垂れている
朝がこんなにも降った

いちばん最初のフレーズから、一気にその世界に惹き寄せられるような感覚になりました。

どこか切なく歌われている「朝がこんなにも降った」という言葉も、原作の「夜眠ると記憶がなくなる」というヒロインにも繋がっているのかなと思います。
「降った」という表現には、雨だったり雪だったりのように「自分ではどうにもできないこと」という印象があります。

君の左眉は少し垂れている
上手く思い出せない
僕にはわからないみたい
君の右手にはいつか買った小説
あれ、それって左手だっけ

「君の右手にはいつか買った小説」というフレーズのとき、MVの女性は左手で本のページを押さえています。
思わず、「あ、違うよ」と喉元まで出かかるような、そんな痛い切なさが込み上げてきました。

「僕にはわからないみたい」の「僕には」という言葉にも、「彼女なら覚えているに違いない」という想いが垣間見えます。

僕の身体から心を少しずつ剥がして
君に渡して その全部をあげるから
剣の柄からルビーを 
この瞳からサファイアを
鉛の心臓はただ傍に置いて

私は「左右盲」の中で、ここの歌詞がいちばん好きです。
ここの歌詞、恐らくオスカー・ワイルドの「幸福な王子」になぞらえられています。

「幸福な王子」は「瞳からサファイアを」取ったときに目が見えなくなってしまいますから、「思い出がよく見えなくなっている」というこの曲の主人公に通じる部分もあるのではないでしょうか。

また、「幸福な王子」が身体から剝がすのは金箔ですが、歌詞では「心」になっています。
MVでは、絵を描くためのバランスを見ているような仕草をする主人公(歌詞の一人称の人のことです)が映りこんでいるので、絵描きさんなのかもしれません。もしかしたら、なかなか売れず、貧しいなりに夢を追っているような人なのではないでしょうか。
彼女にあげられる「金箔(=価値のあるもの)」はない。でも心はあげられる。そんな意味があるように思います。

そして、「幸福な王子」は自分の持つ金箔や宝石を全て民衆に施してみすぼらしい姿になった後、溶鉱炉で溶かされてしまいます。ところが、その鉛でできた心臓だけは溶けなかったとか。しかし、結局その心臓も捨てられてしまいます。
この歌詞の中の「鉛の心臓」は、いわば「僕」の存在そのもの、あるいは「僕」との記憶の核のことだと思います。
「ただ傍に置いて」という言葉からは、埃をかぶっても忘れ去ってくれてもいいから、ただ君の近くに、という印象があります。

「幸福な王子」は、私の中で自己犠牲の物語なので、それになぞらえた歌詞がある、ということは「僕」にとって「君」は自分の全てを投げうってもいい存在なのではないでしょうか。

少しでいい
君の世界に少しでいい 僕の靴跡を
わかるだろうか、君の幸福は
一つじゃないんだ
右も左もわからぬほどに手探りの夜の中を
君が行く長いこれからを
僕だけは笑わぬことを
その一つを教えられたなら

「左右盲」を初めて聴いたときのあの気持ち。
この歌詞を読んだときの想い。
なんだか知っている気がする。

そう思って記憶を遡ってみたら、Ayaseさんの「夜撫でるメノウ」を聴いたときと同じでした。

失恋ソングなんだけれど、どこか色んな「別れ」に重なって。
悲しいし切ないけれど、痛いくらいに優しくて、はっとするほど綺麗で。

「君が行くこれから」に、「僕」はいないかもしれない。
でも、「君」がその先で何を夢見て、何を選択して、どんなふうに生きて、それを誰が馬鹿にしようとも、誰が笑おうとも、「僕だけは笑わぬこと」を「教えられたなら」。

この言葉って、どんな激励よりも慰めよりも、心に響くものではないでしょうか。

何を食べても味がしないんだ
身体が消えてしまったようだ
貴方の心と 私の心が
ずっと一つだと思ってたんだ

二人称が「貴方」になっていること、このフレーズの前が2行空きだったことから、これは「君」の目線の歌詞だと思われます。

この歌詞は……すごく深く考察してみたい一方で、分からないままでいたいような気もして、すごく悩みどころです……。

ひとつだけ書いておくなら、先ほど、「鉛の心臓はただ傍に置いて」という言葉があったので、そこに絡めて少しだけ。
今まで、彼女は自分と「僕」が同じ身体、同じ心臓を共有しているような気持ちでいたのだと思います。
そのくらい、距離が近くて互いに信頼している2人だったのではないでしょうか。
それが、別れて初めて、そうではないことに気づいたのかもしれません。例えば、「僕」からの何かしらの言葉や行動によって。
そこで「貴方の心と 私の心が ずっと一つだと思ってたんだ(実際はそんなわけがないのに)」と思ったのではないでしょうか。

決定的で、くつがえしようのない「すれ違い」、「別れ」。
その切なさに、胸がぎゅっと締め付けられます。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

視聴後すぐのテンションを引きずったまま書いているので、もしまた客観的に聴いて、気づいたことがあれば記事にしていきたいと思います。

最近は書きたい音楽との出会いが多すぎて困っているのですが、そんな状況も精一杯楽しんでいきたいです。

今回お借りした見出し画像は、白いお花の写真です。「セカコイ」のPVを見たとき、白や淡い青、光の印象が強かったので、この写真にさせていただきました。奥行のある切り取り方が、とても素敵です。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。