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YOASOBIの「ツバメ」が大切なことを教えてくれた/1ヶ月書くチャレンジ Day 19

こんにちは。桜小路いをりです。

「1ヶ月書くチャレンジ」19日目、今日のお題は「自分があまり賛成できない常識」です。

「そもそも常識ってなんだろう?」と思い、ちょっと調べてみました。

〈常識〉
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。

すると、ここでも引っかかる表現が。
「健全とは……?」

〈健全〉
1.(身体・精神などが)すこやかで異常のないさま。
2.片寄らず堅実なさま。あぶなげなく確かなさま。

あれ、この定義でいうと、私自身は「健全ではないのでは……?」

色々と病気も経験したし、現在進行形で体調は芳しくないし。
「片寄らず」っていうけれど、好きなものに傾倒しすぎてる自信もあるし。

ということは、私って、「常識がない」のかもしれない……。


その話は少し別にして、日常生活の中で、「あれ?」と思うことは、たくさんあります。

ニュースの報道とか。
環境問題のこととか。
障害や病気のこととか。
介護の問題のこととか。

言おうとすれば、いくらでも「こんなのはおかしい!」と叫ぶことができます。

でも、「おかしい!」と叫ぼうとして、思いきり息を吸い込むと、ふと思うのです。

ニュースって、切り取り方によっては色んな見方ができるのでは?
必要なのは、色んな角度から撮られた写真を組み合わせて、できるだけ「本物」に近い姿を見ようとすることではないのか。

環境問題とひとくちに言っても、その中には色んな問題があって。
YOASOBIの「ツバメ」の歌詞みたいに、みんなで手を取り合って、一歩一歩前に進んでいくことが大切なんじゃない?

障害や病気だって、感じ方は人それぞれで。
「病気だから」という理由で、全員が不幸で可哀想だと思うのは、そして、その苦労や辛さを知らずに同情するのは、傲慢なのかもしれない。

私は幼い頃に、家で母方の祖母を介護していたから、少しだけその大変さが分かるけれど。
それぞれの事情の中で、その人が抱える大変さの度合いは、どうやったって他人が測れるものではなくて。

悲しい気持ちに飲み込まれて
心が黒く染まりかけても
許すことで認めることで
僕らは繋がり合える

YOASOBI「ツバメ」

これは、YOASOBIの「ツバメ」の一節です。

SDGsの曲ですが、なんだか色んなことに重なる歌詞だなと思います。

「分かる」「理解する」のではなく。
「許す」、そして「認める」。

どうしても、経験しなければ分からないことのほうが世界には多くて。
「こんなの違う」「こんなのおかしい」と、思ってしまうこともあって。
でも、その存在を「認める」こと。
色んな人がいて、色んな価値観があって、色んな生き方があることを「許す」こと。

この「許す」対象には、「心が黒く染まりかけた」自分自身すら入っているのではないでしょうか。

僕らに今できること
それだけで全てが変わらなくたって
誰かの一日にほら
少しだけ鮮やかな彩りを

YOASOBI「ツバメ」

原作の小説では、群れで行動することのないツバメたちが、協力して人間に花を届けます。

私にとって、この歌詞はすごく大切な言葉になっていて、「書くときの座右の銘」と言っても過言ではありません。

私の言葉で大きな変化を与えたりすることはできないけれど、その人の一日に「ささやかな彩り」を添えたい。

そして、そういう想いはきっと、多くの方が心のどこかに持っているものだと思います。

何かを批判する前に、みんなが一歩引いて、そう思ってくれたら。
現実の世界も、ネットの世界も、もっと「いい世界」になるのでは? と、思っています。
(なんだか、原作小説のツバメみたいな感じですが……)

「常識がある」とか「常識がない」とか、「これは正しい」とか「これはおかしい」とか、それ以前に。
「モノゴト」ではなく「人」に目を向けて考えるのが大切なのではないでしょうか。

言葉を受け取るのは、どうしたって「モノゴト」ではなく「人」だから。

いつだって、液晶画面の向こうの「人」に向けた発言を、心がけていきたいです。

なんだか、いつもより硬い感じの記事になりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

YOASOBIの「ツバメ」と原作小説「小さなツバメの大きな夢」のリンクを貼っておきますので、気になった方は、ぜひ飛んでみてください。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。