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MILGRAM 第一審/シドウ「スローダウン」考察

こんにちは。桜小路いをりです。

「MILGRAM」の第二審が始まってしまい、ワクワクドキドキ半分、「考察が~!」とやや慌てています。
「MILGRAM」の記事ばかりになると胃もたれしそうなので、合間に他の記事も挟みながら更新していきたいと思います。
できるだけ第二審の印象は消して書いていきますので、更新を楽しみにしていただけると嬉しいです。

今回は、「MILGRAM」の第一審MV、シドウの「スローダウン」について考察していきます。

個人的にかなり悩んだ考察なので、所々で私の心の声が漏れているかもしれません……予めご了承ください。

こちらがシドウの第一審MVです。幻想的な映像と、危うさ、不気味さが混在したMVとなっています。

シドウについて

まずは、シドウこと桐崎獅童の人となりについて。

きみが囚人の処遇を決めるんでしょう?
俺は死刑を希望しています。よろしく。

シドウは、長身で柔和な男性の囚人。ミルグラムの中では比較的年長者であるため、冷静で動じない性格です。エスに対しても子供扱いしている節があります。
そして、引用した台詞からも分かる通り、自ら極刑を望み「赦さないでくれ」と歌います。

シドウの誕生日は10月24日、誕生花はウメで、花言葉は「高潔」「忠実」「忍耐」です。

MVからも分かりますが、シドウは医者として働いていたと思われます。
囚人服も白衣のようなデザインになっており、また、囚人の中では唯一手袋を着けています。
手袋は「周囲に対しての警戒」を意味することもあるそうで、黒い手袋は「自分の汚れを見せたくない」という心理の表れでもあるとか。(誕生花の花言葉もそこまで不穏ではなく、悩みどころです……)

今回は、いつもと逆のMVの考察→歌詞の考察の順番にさせてください。色々とややこしい話も始めそうな予感ですが、できるだけ分かりやすく書いていきます!

MVについて

MVは、ざっくり2つのシーンに分かれます。シドウが白衣を着て医者の仕事をしている場面と、黒っぽいシャツを着て花を切って移植している場面です。

単刀直入に言うと、シドウは、脳死状態にある患者を担当する医者だったのではないかと思います。

病院の廊下で母娘と話しているシーンでは、母娘に近しい人物(父親など)が脳死状態であることを告げているのではないでしょうか。
脳死の状態になると、「臓器提供」の意思を確認されます。場合によっては、家族がその決断を迫られることもあります。
いきなり核心に触れますが、シドウは、上手く患者の家族を説得して、臓器提供をさせていたのではないでしょうか。

そして、その臓器を植物状態の患者に移植していた。これは、黒いシャツを着て花を切り、移植しているシーンに当たると思います。

ここで、「脳死」と「植物状態」の違いについて少しだけ。

「脳死」は脳の機能が全て失われた状態のことです。脳死は世界的に、そのまま「人の死」とされています。心臓は動いていますが、呼吸などは人工呼吸器がないとできません。

一方、「植物状態」は思考や行動を制御する大脳の機能が失われた状態です。目を開けていても反応はしませんが、生命維持に必要な機能は失われていません。

歌詞にも、「トクトク言うの ここにいたっていい理由を」というフレーズがありますが、これは心臓の音を指しているのだと思います。

(医療系の知識は乏しいので、東野圭吾の『人魚の眠る家』の記述を思い出しつつ、ネットで調べつつ書いています。この辺りはシステムもややこしいので、興味のある方は別途調べていただけますと有難いです。)
このサイトを参照しています。
脳死と植物状態ってどう違うの? 回復することもあるの? | Medical DOC

シドウが臓器を移植している人を植物状態だと推測した理由は、1分17秒辺りで、シドウがその人に対して笑いかけているようにも見えたからです。植物状態の人は目を開けることもあるそうなので、シドウはそんな仕草に、その人が「生きていること」を感じたのだと思います。

また、移植のシーンではシドウは白衣を着ていません。「仕事」ではなく、個人的な行為なのではないでしょうか。
となると、自分の大切な人を助けるためだけに、私的に、提供された臓器を移植していたのではないかと思います。

2分30秒辺りで床に散らばっているのは、臓器提供の同意書ではないでしょうか。多くの人が「誰かの役に立つなら」と絶望のどん底で同意書にサインし、提供した臓器を、シドウは「利己的な目的(=大切な人を助けること)」のために使ったのだと思います。
同意書が、シドウが移植をしている部屋では、花を分類する「タグ」に変わっているところが、なんだか切なく感じます。

そして、MVの最後のシーン。無数の花が集まってできた「人」はゆっくりと起き上がりますが、立ち上がった途端に崩れ、花はバラバラに散らばります。きっと、シドウが命を懸けて助けようとしたその人も、助からなかったのではないでしょうか。

植物状態から、その人が回復するかもしれない。そんな一縷の望みに賭けていたシドウには、誕生花のウメの花言葉「忍耐」がぴったりかもしれません。
あるいは、もしその人が元気だったときに「自分が病気になったらシドウが治してほしい」などと約束をしていたとしたら。倫理から外れてもその約束を守ろうとするシドウは、「忠実」と表せるのではないでしょうか。

歌詞について

NO 夢の中で
また泣かれている 責められている
NO 殺した迷いが 
息を潜めて 嘘を嗅いでいる

ちょっと同情の余地は少ないな……と考えつつ、とんでもない考察が思いついたので記録しておきます。

正直、いちばん考えたくないし嫌な想像なのですが、上記の「殺した迷いが 息を潜めて 嘘を嗅いでいる」というフレーズから。(シンプルにめっちゃいい歌詞……と安直な感動だけで終われない「MILGRAM」の残酷さ……)
シドウは、本当は助けられるかもしれない患者を、「脳死の状態」と家族に説明していたのではないでしょうか。

ここもシステムがややこしいのですが、家族が「臓器提供をする」という意志表示をすれば、「脳死判定」を行い臓器提供の準備に入ります。しかし、「臓器提供をしない」と決まれば、「脳死判定」は行われません。処置をしながら、心臓が止まるのを待つことになります。

シドウは、患者が運ばれてきた時、あるいは患者を診た時に、「迷い」ながらも「助けない」選択をしたことがあったのではないかと思います。迅速に治療をしていれば助けられるのに、あえてしなかった、など。

そして、患者の家族に「手を尽くしましたが……」と説明をする。その「嘘」の気配を、「迷い」が、良心が、咎める。そんな意味にも捉えられます。

スローダウン 誰かは誰かと
同じ重さにはなれない
スローダウン 選ぶべき優劣を
叶えている 絶望を刺死込んで

シドウにとって、花の人型に喩えられているその人は、誰のどんな命を積み重ねても助けたい命だったのだと思います。

また、ここの歌詞では、あえて「優劣」という言葉を使って、巧妙に「赦したくない」と思わせようとしているようにも感じました。

刺した言葉 返り血になり
白を染めていく
なあ どんな感じだっけ
与えるために奪う気持ちは

もしかしたら、シドウは、家族を臓器提供に同意させるために、説得を試みる時もあったのかもしれません。(MVにも、老夫婦がシドウに食ってかかるシーンがあります。)

臓器提供に同意する・しないの是非にはここでは触れませんが、患者の家族にとっては、大切な人のご遺体にメスを入れたくないという気持ちから、迷いが生まれることもあると思います。
それに対してシドウは、臓器提供に同意させるために、「患者の命を無駄にしないであげてほしい」などと言ったのではないでしょうか。
その言葉は、患者の家族の心を傷つけ、その返り血が自分にも降りかかる。シドウが移植のシーンで黒いシャツを着ているのは、そんなトラウマがあるからかもしれません。

スローダウン 
もういいよ、もういいよ
どうしたって離れない
どうか赦さないでくれ
だから終わりが欲しいよ
スローダウン

この部分を「利己的で同情できない」と捉えるか、「同情の余地がある」と捉えるか……。
私個人の意見としては、シドウは、「止まれなくなった」のだと思います。「もういいよ」と、大切なその人なら言うだろう。でも、植物状態になったその人は、もうそれを「実際には」言ってはくれない。その人が元気だったときは、もしかしたら、シドウに忠告をしたり、止めてくれていたのかもしれないけれど、今はそれがない。

最終的に、シドウは、植物状態のままならば生き長らえていたはずのその人の命を、縮めてしまったようにも思いました。

まとめ

問題は、シドウが「赦さないでくれ」と言っていること。

これまでのムウなどとは違い、最悪の想像をすれば、シドウが「殺した」命の数はとんでもなく多そうですが、「赦さない」とすれば、シドウの意を汲んだようにも見えてしまいます。

また、私は、シドウから希死念慮のようなものも感じました。
自分の罪を自覚し極刑を望んでいることももちろんですが、もっと深いところで、「死にたい」と考えているように思います。

これだから難しい……私だったら、「赦す」に一票を入れるかなと思います。それは、実質的に「赦さない」の意味での判断です。

余談ですが、私はシドウのMVを見て、YOASOBIの「もしも命が描けたら」のMVを連想しました。興味のある方はぜひ、そちらも見てみてください。

ともあれ、シドウで囚人の半分の考察が終わりました。
後半も、張り切って考察をしていきます。
その前に、一度「エス」の考察を挟もうかと思っているので、楽しみにお待ちいただけますと嬉しいです。


今回お借りした見出し画像は、紫陽花の写真です。お花の写真にしたいな、と調べていたところ、ぴったりの色合いの写真を見つけて、選ばせていただきました。臨場感のある構図がとても素敵です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。