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インディーズ・ソフビの創世期を探る | 連載:ソフビ考現学④

かつてソフビは、玩具会社が大量生産して玩具屋で売られるものが一般的でした。しかし現在では、ソフビの制作・販売を行う独立系のメーカーやアーティストが世界中に数多く存在します。いわゆる<インディーズ・ソフビ>、<クリエイターズ・ソフビ>といわれるものです。

ここでは、<インディーズ・ソフビ>を「独立した小規模組織あるいは個人が制作し、玩具問屋を通さず消費者に直接販売するソフビ」と定義してみましょう。今回はそのインディーズ・ソフビの創世期を掘り起こしてみたいと思います。

■ガレージキットとリアル志向

1970年代末頃から、レジンで成形したガレージキット(いわゆる「ガレキ」)が日本のマニアの間で普及し始めます。マス製品では商品化が難しいリアル志向の造形のゴジラなどを、アマチュアのモデラーたちが自分で原型制作し、少量生産して販売したのです。

このリアル造形志向に対応する形で、バンダイポピー事業部も「リアルホビー」シリーズというフィギュアを発売します。これは自分で組み立て・塗装を行う必要がある、ガレージキットに近い感覚の硬質ビニール製大型フィギュアで、1983年2月に第一弾としてバルタン星人が発売され、ガメラやゴジラ、ウルトラマンなども発売れます。

バンダイポピー リアルホビー・シリーズ「バルタン星人」(Yahoo!オークションより引用)

バンダイは1983年に、怪獣ソフビの新シリーズ「ウルトラ怪獣シリーズ」の発売も開始します。一気に30種類も発売されたためか、造形の出来はかなりバラつきがありましたが、基本的にはガレキ・ブームの影響を受けたリアル志向が貫かれていました。このシリーズは、大きさや素材を変えて2024年の現在も続く長寿シリーズとなっています。

1970年代後半から1980年代前半というのは、ゴジラ映画やウルトラマン・シリーズの本格的な作品論や批評活動が活発化した時代でした。初期特撮作品をリアルタイムで見たオタク第一世代が大学生以上になっていて、特撮を子供文化ではなく普遍的なサブカルチャーとして捉えなおそうという機運があったのです。それがリアル志向のガレージキットや商品を求めさせたのかもしれません。

■ガレージキットの延長で誕生したインディーズ・ソフビ

青山にある中古玩具専門店のビリケン商會も、1983年の春にガレージキット市場に参入します。第一弾商品は「メタルナミュータント」でした。

メタルナミュータントといっても馴染みがないかもしれませんが、これは1955年に公開された『宇宙水爆戦』というアメリカのSF映画に登場した宇宙生物です。1980年に創刊されたSFビジュアル雑誌『宇宙船』(朝日ソノラマ)が、1950年代のアメリカのB級SF・ホラー映画を熱心に布教していたため、メタルナミュータントは日本のSF映画ファンの間でも傑作デザインとして人気があったのです。

メタルナ・ミュータント

国内外の中古玩具に通じたビリケン商會としては、1960年代に発売されていたオーロラ社のユニバーサルモンスターズ(ドラキュラや半魚人など)のリアルなプラモデルへのオマージュとして、この精巧なガレージキットを企画したのだと思います。

そしてビリケン商會は、1983年8月に、このガレージキットのメタルナミュータントのソフトビニール版も発売することになります。これが日本初、いや、おそらく世界初のインディーズ・ソフビということになるはずです。発売価格は2000円でした。

もともとガレージキットで発売していたものなので、ソフビ版も自分で組み立て・塗装を行う必要があるものでした。その後、第2弾の金星竜イーマが11月に発売され、その後サイクロプス、シンジェノア、キング・オブ・アイランド(キングコング)、リドサウルスなどが続々とソフビ・キットとして発売されます。すべて洋画の特撮映画に登場するキャラクターですが、当時の『宇宙船』読者であれば馴染みのある顔ぶれでした。

『宇宙船』1984年12月号(Vol.21)に掲載された広告

ビリケン商會は1986年からはウルトラマンやバルタン星人、アントラーなど、日本の特撮作品のソフビも展開することになります。

■続々登場したリアル志向のソフビ・キット

ビリケン商會に続き、1986年に京都の模型店であるボークスが、キカイダーやハカイダーの30㎝のリアルソフビ・キットを発売します。精度を追求するため、材質にはソフビだけでなくウレタンキャストも使用され、ポーズも固定化されていました。

『宇宙船』1986年8月号(Vol.31)に掲載された広告

同じく1986年に、大阪の模型店の海洋堂がエイリアン2ウォリアーを細密モデルとしてソフビ化します。1987年にはマックスファクトリーがレッドバロンを、ガレージキット・メーカーのイノウエアーツがバラゴンをソフビとして発売します。岡田斗司夫率いるゼネラル・プロダクツも、クレクレタコラなどマイナーキャラをソフビ化しました。

そして1988年半ばには、海洋堂が「ハイパーソフビ」と称する80cmもの大型のウルトラマンのソフビを発表します。これは週刊誌やテレビでも紹介され、京本政樹も買ったということが話題になりました。続いてウルトラセブンや1メートルのバルタン星人も発売されます。

こうして、ガレージキットから地続きのリアル志向の組み立て式ソフトビニール人形(ソフトビニールキット)は、ガレージキットのレジンでは困難だった「量産」と「大型化」を実現させました。そのほとんどが、組み立てや塗装の技術を要するもので、ポーズも固定されていました。子供の玩具の素材だったソフビは、大人の精緻な組み立てフィギュアの素材として、その役割を変えて普及したのです。

■レトロ志向のインディーズ・ソフビの誕生

リアル志向のソフビキットが続々と作られる裏側で、マルサンやブルマァクなどが1960年代から1970年代に発売していた怪獣やヒーローのソフビの再評価が静かに進んでいました。

くらじたかし氏がマルサン・ブルマァクの怪獣ソフビの魅力を体系的に紹介する写真集『怪獣玩具』を1986年に発売し、話題となります。先述の雑誌『宇宙船』でも、著名なコレクターである西村祐次氏が「アンティックTOYコレクション」というカラー連載を開始し、後期ブルマァク造形の再評価などを積極的に行いました。『宇宙船』の広告欄も、ビリケン商會に加えて「2丁目3番地」や「ゴジラや」など、怪獣ソフビに強い中古玩具屋の広告が増え始めます。

中古怪獣ソフビに骨董品としての価値が高まり始めたため、1989年に「円谷ウルトラ怪獣友の会」が、マルサンのレッドキング、バルタン星人、ゴモラを復刻発売します。各限定300体で、原型金型を使用してオリジナルそのままの材質および着色で、価格は5800円でした。

『宇宙船』1989年4月号(Vol.47)に掲載された広告

そして1990年 8月のワンダーフェスティバルで、西村祐次氏が率いるフィギュア会社の「M1号」が、おそらく初のレトロタイプ・ソフビとなるケムール人を発表します。

これはマルサンの怪獣ソフビのテイストに合わせて作られた、組み立て・着色済みのソフビで、それまでのガレージキットの延長で作られたソフビ・キットとは明らかに一線を画していました。買ってすぐ遊べて、手足を動かして好きなポーズをとらせることができる、「ソフビらしいソフビ」だったのです。

『宇宙船』1990年12月号(Vol.54)に掲載された広告

M1号は1990年末にケムール人を600個発売します。その後、チブル星人、ニセウルトラマン、ゼットン星人、ジャイアントナメゴン、M1号、ゴーガなど、マルサンやブルマァクが当時発売しなかった怪獣を補完する形でラインナップを充実させていきます。

■まとめ

1980年代前半に、ガレージキットの量産手段としてソフビという製法が再発見され、リアル造形のソフビ・キットが普及し、ソフビが大人の玩具となります。やがてヴィンテージ・ソフビの人気再燃を受けて、大人向けのレトロ調ソフビが開発され、「作るソフビ」から「遊べるソフビ」「集めるソフビ」として原点回帰し、購入ハードルが下がって楽しみ方が広がります。インディーズ・ソフビ創世記の流れを簡潔にまとめると、こういうことになるでしょう。

こうしてみると、インディーズ・ソフビにはすでに40年以上の歴史があることになります。創世記は版権ソフビだけが作られていましたが、1990年代になるとオリジナルのソフビが作られることになります。その流れはまだ正確に把握できていないので、また別の機会に調べようと思います。

今回、この記事を書くにあたって、大宅壮一文庫で『宇宙船』のバックナンバーを創刊号から10年ぶん見直して、懐かしい恩師に久しぶりに会ったような気分になりました(私が描いたオリジナル怪獣のイラストが掲載された号も見つけてしまいました)。

インターネットのない時代に、なにもないところから情報を集め、なにかを伝えようとした先人たちの尊い熱気が、いまだに誌面から迸っていました。いま世界中でインディーズ・ソフビが作られているのも、あの頃日本を拠点とした熱量が膨大だったからこそ、広く遠くまで届いたということなのでしょう。

『宇宙船』創刊号(1980)

(真実一郎)

ソフビ考現学① 「ソフビ」ブームが世界を席巻!玩具とアートの融合が生んだ日本発の文化現象
ソフビ考現学② 2000年代の平成インディーズソフビ・ブームを振り返る
ソフビ考現学③ 「ミリオンモデル」という想像力の底なし沼



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