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家族と一緒にネパール旅行-02

安全運転の元、再びスワンナプーム国際空港へ向かいます。荷物検査かなんだったか、空港に入るのに長蛇の列ができていてびっくり仰天。

ちゃんとチェックイン時間に間に合うかな?

そう心配しながらも流れは止まることなく無事、チェックインをすますことができました。


昨日は夜に到着したので空港内をのんびりと歩くことはなかったのですが、時間潰しにだらだら歩いてみると・・・・・・。

これじゃない、私が知っているタイは。

若かった私の有り余るパッションを受け入れてくれた国の玄関口とは異なる豪華さ。

時代の流れに合わせた便利性が追及されたせいで、その土地が生み出した味は消えているようにも思えます。
展示物はタイらしさを表現しているけれど、やっぱり何かが違う。

もし若い頃の私がこの地に辿り着いたら何度も戻ってこようと思えたかな。

とりあえずそう思えた時代にこの地に何度も訪れていてよかったです。


再び飛行機に乗り込み、のんびりと外を見てみると、雲の先に何かが見えます。

えっ、もしや・・・・・・。

すごーい、ヒマラヤ山脈だぁ。

たぁに伝えて、二人でしっかりとその景色を見ます。

ヒマラヤ水晶たちはあそこからとれるんだね。気高いエネルギーを私たちへと届けてくれてありがとう。

帰りはもっと間近でみられたらいいなぁ。


トリブバン国際空港に無事、到着。入国税はネパールルピーで支払うのが一番お得。その次にUSドル。
2010年のこの頃、今とは正反対でリーマンショックの影響で凄まじい円高となりUS$1=82円前後。にもかかわらずUS$25の支払いを日本円で支払う場合は2500円だと言います。

はっ?


余計なお金を支払うことを極端に嫌がる私は受付スタッフに二人で4500円にならないのか交渉してみます。

「無理です」

あっさりアンサー。

ちょっと粘ってみても、後ろに続く人を思えば自分にばかり時間をとっているわけにはいかないとなくなく5千円を支払いました。だけど私たちの後ろに並ぶ男性も同じ質問をぶつけていました。


〇ちなみに情報
ネパールでは様々な場所でアメリカドルで支払いができるので持参されることをお勧めします。


アニルさんが予約してくれたホテルは空港までの送迎があり、運転手さんが迎えに来てくれていました。車に向かおうとする途中、一人の男性が私の荷物に手をかけてきました。

うんっ、盗むつもりか。

渡すものかと力強く荷物を持つ私に彼は言ってきたのです。

「車まで運びます」

運転手さんは何も言わなかったので、私たちはてっきりホテルの人だと思いそのまま荷物を運んでもらうことにしました。だけど車に荷物を乗せ終わると彼はお金を要求してきたのです。

「えっ、この人、ホテルの人じゃないの?」

「違うよ」

って、運転手さん、なんで先に教えてくれないの。

「いくら欲しいの?」

「1000円」

「えっ、高すぎでしょ」

「普通はどのくらい渡すの?」

たぁが運転手さんに尋ねても笑いながら首をひねるだけ。困ったマイクが青みがった日本札を取り出そうとしたのを私はすぐさま阻止します。

たかが数分、荷物を運んだ人にこの価格はありえない。

絶対。

日本でも。

もちろんネパールでだってっ!

幸い、空港で少額をルビーに両替していたので、そこから小さなお札を取りだします。なんせバンコックで20バーツを600円と勘違いして余計ない後悔をしたばかり。今度はそんな失敗をしないようにとしっかりとお札を確認してから彼に渡します。

「そんなお金はいらない。千円だ、千円。」

彼は拗ねた顔をしてお金を受け取ってくれません。

空いたドア側に座っているたぁは私と彼の間に挟まれて困惑していますが、理不尽な状況にいると私は強い。

「なら、あげないっ!」

バンっ!

彼は怒りながらドアを閉めてどこかに行ってしまいました。

(百歩譲って)彼をホテルの人と勘違いしたのは私たちです。だから少しでもお金を渡したい気持ちはあったので、無償でやってもらったことに申し訳なさを感じますが、受け取らないと決めたのは彼の判断。もうどこかへと消えてしまった彼を追いかけるのもばかばかしいし、ずっと笑みを浮かべていただけで一切の手助けもアドバイスもしなかった運転手さんは車を動かしました。


はぁ、空港からすでに二回も金銭トラブル。


アジアでは多いことだとわかりながらも、先が思いやられます。


車窓から流れる首都カトマンズの景色はなんとも独特。世界でも貧しい国の一つと数えられるこの国はそれを隠そうとせずに、補正道路はコンクリはなく土道、ゴミは散乱していてお店に電気はついていません。

慣れない景色に心は揺れ動きながらもこの状況をしっかり焼き付けようと必死です。

私たち日本人が忘れていること。それはどれだけ恵まれた環境の中、生きているのか。です。今は、それを再確認できる大切な時、目を背けるべきではありません。


大通りから宿があるタメル地区へと入っていくと洋服屋さんやお土産屋さんが立ち並び、日本で言うところの原宿を感じさせます。

気分はウキウキ。

たぁ両親と無事会えるといいな。



※2010年11月18-12月4日にたぁ両親とともに訪れたネパール旅行記です。



これまでのお話


無空真実の電子書籍です。よろしくお願いします。


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