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Webライターにとって強い個性はマイナスなのか?

浜松町の「いいオフィス浜松町 by wedo」で1月15日、書籍「文章で生きる夢をマジメに叶えてみよう。」の出版記念イベントが開かれました。コラムを寄稿させていただいたご縁で、私も同イベントにゲスト登壇。「複業」としてのライターのはじめかたについて、著者・岸智志さんとディスカッションしました。

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ご参加いただいたのは、これからライターを始めようと考えている方や、ライターor編集者として活動されている方々。ライブ中継も行ったため、東京都以外の方にもご覧いただきました。

第二部では、実際にビギナーライターさんが書かれた原稿を、岸さんと一緒に「LIVE添削」。編集者が添削する際のマインドや、ライターさんに求めるものなどについて、ざっくばらんにお話しさせていただきました。参加者の皆さんの熱量も高く、個人的に素晴らしいイベントにお声がけいただけたと、岸さんはじめスタッフの皆さんに感謝している次第です。

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イベントの終盤は、匿名で質問ができるサービス「Slido」を活用して、参加者さんからの質問を受け付けました。当日は時間の制約があったため、もう少し深掘りする形で、いただいた質問にお答えしたいというのが本稿の趣旨です。いただいたのは具体的かつ素晴らしい質問ばかり。せっかくの機会なのでこれから複数回にわたり回答してまいります。

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Q:Webライターの仕事をするにあたって、文体や雰囲気の強い個性は、マイナスでしょうか。一部の突出したブランディング能力を持った人はその強烈な個性が売りになるようですが、一般的には(編集者による)矯正の対象になることが多いのでしょうか。

A:媒体や企画によるかと思います。例えば、ジャーナリズムを追及するメディアなのかどうかによっても変わってきますし、オウンドメディアでもいわゆる「SEOコンテンツ」なのか書き手の顔の見えるエッセイなのかによっても変わります。

ポイントは、いかに編集者の要望に応えるか。そのためには、編集者と完成イメージを事前に共有することが何より大切です。

ラグビー日本代表は、W杯日本大会に向けて「SAME PAGE」(同じページ≒同じ絵)が頭に浮かぶことを目指していたといいます。私もかつてラグビー部だったのでなんとなく分かるのですが、ラグビーは局面が目まぐるしく変わるスポーツです。次に何をすべきか、瞬時に判断しなければならない。時に、アイコンタクトを取る時間すらない場面もあるわけです。

高いレベルでプレーする上で大切なのが、先ほど登場した「SAME PAGE」。ある場面において、次にどういったプレーを選択して、どういった状態をつくりたいのか。これを共有することで、スピーディーかつ狙い通りの展開が実現するという考えのもと、日本代表は練習を繰り返していたそうです。

Webライティングもこれとよく似ています。編集者と「SAME PAGE」を見る。完成形のイメージが近ければ近いほど、「よい仕事」となるわけです。

逆に、「SAME PAGE」を見ることができない場合、「悲劇」が待っています。編集者は多大な労力をかけて原稿を添削するか、ライターにもう一度初めから書きなおしてもらうかを選択することになります。そして、一度でもそんなことがあれば、編集者は「このライターさんとはイメージが共有できないから次から別の人に頼もう…」というマインドになりがちです。

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ちなみに私は前職が新聞記者だったのですが、新聞は基本的に「文体や雰囲気の強い個性」のある文章を求めません(連載小説などを除く)。事件を伝える記事、事件現場の雑感を伝える記事、街ネタ、人の半生を紹介する記事。それぞれで基本的な「型」がある程度決まっており、文体も非常に限定されます。ルポだと文体に多少の自由が生じますが、基本的に新聞記事というのは誰が書いても同じクオリティーになるよう、仕組み化されているのです。

とはいえ、たとえば村上春樹が新聞に寄稿してくれるとなれば、当然原稿をほぼそのまま載せますよね。なぜか。理由は世界的な作家であるから。言い換えると、ブランドが完成しているからです。

その境地に達すれば別ですが、基本的にWebライターは編集者の求めに応じて原稿を書く仕事です。それでもどうしても「自分らしい」原稿が書きたい!という方は、ブログで表現活動するのがおすすめです。食べていくためにも、普段はオウンドメディアなどの仕事をこなしつつ、ブログで好きな文章を書く。

ただし、文章の「基本」は早い段階で身につけた方がいいと思います。キュビズムで知られるピカソの初期のデッサンを生で見たことがあるのですが、恐ろしく正確に人体の形状をとらえており、驚きました。あらゆる物事は「比較軸」でとらえなければ、本質が見えてきません。文章についても同じであり、ある程度の「基本」がなければ、そもそも「自分らしい文体」は生まれない。これは役者さんも含めすべての表現者に当てはまることだと思います。

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