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その靴はもう、死んでいる。

無意識に他人の足元を見てしまう癖がある。
かつてヴィンテージのコンバースにハマっていた時期に街で履いている人が居ないかを探しているうちについた癖であろう。

しかしそんなことをしていると様々なことに気がつくことがある。丁寧に磨かれた革靴を履いたビジネスマン、ありえない高さのヒールを綺麗に履きこなしている女性など、靴のセンスから履きこなし、歩き方の癖まで様々なことが見えてくる。

そんな中、ごく稀に信じられないほど履き潰された靴を履いている人に遭遇することがある。
『汚れている』『ソールがすり減っている』などというレベルではなく、汚れはもちろんソールなどは既に剥がれきって穴が空いており、つま先の部分はボロボロに割れ、まるで空爆にでも遭ったかの如く朽ち果てているのだ。

果たしてそんなモノをまだ『靴』と呼んでいいものなのか、靴下の方が機能性としてはまだ上なのではないか、散々酷使され、もはや過労死とも言える状態の靴を見ながらおれは思った。
しかし当の本人は全くそんなことは気にしていないと言わんばかりに悠然と歩いている。
もしかすると買い換える余裕がないのか?そう思い身なりを確認しても特にそんな様子はなく、むしろブランド物のカバンを持っていたりする。

まさか、気にしていないのではなく“気づいていない”のではないか?
気づいていないのであれば教えてあげるしかない『その靴はもう、死んでいる』と。
もちろんそんなことを伝える勇気などなく、我々に出来ることといえば、颯爽と過ぎ去っていく姿を眺めながら心の中でそっと両手を合わせるくらいである。

現在のような消費社会において一つのモノを長く使うというのはとても大切なことだと思う。
しかしそれはあくまで“大切”に使っている場合であり、壊れてまでも酷使し続けるというのは如何なものか。
どんなに大切に使っていても壊れてしまうことはある、修理も出来ずリメイクなどもできない場合は潔く捨ててあげるのもモノを大切にするということのひとつではないか、とその朽ち果てた靴を見送りながら思った。






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