富山港線 2007-2024 夏
Summary
私の2007年の初めての富山(市)訪問のうち、当時開業したての富山ライトレール(現・富山地方鉄道)富山港線の乗車体験を振り返ります。
17年の月日が経過して、当時と変わらぬ自分の興味・観察眼を再確認する一方で、当時以上に学びを深めて深く観察するようになった点にも気付きました。
この気づきも、デジタルの写真・動画を残していたことが契機で思い出が蘇り、思い起こしたものであり、プロフェッショナルな写真を残すスキルが私にはなくても、気軽な書き物・何の気なしに撮った物をしっかり残して、未来の自分に引き継いでいきたいと思う。
こんな、富山港線の昔と今とを繋ぎながら思ったことを綴ったEssayです。
2007 はじめての富山港線
2007年に私が富山市を訪問した際、魚津に寄り道した後に真っ先に向かった先は開業1年後の富山ライトレールである。
2006年4月にJR富山港線をLRT化し富山ライトレールとして開業した、というニュースは当時の私にも新鮮でセンセーショナルなものに見えた。
たまたま2007年にMr.Childrenのライブを富山で観る機会があり、できたばかりの富山ライトレールに乗車できる好機とばかりに、富山駅に向かった。
富山ライトレール乗車前に〜地上時代のJR富山駅〜
地上時代のJR富山駅を訪問した記憶が私の中にあまりない。2020年代になって市内電車が南北を縦貫して以降のいまの富山駅の姿に馴染みがありすぎて、地上時代のイメージが全く湧かない。
ところが、デジタルの写真を長年Google Photosやamazon photosに保存し続けていたことが奏功し、何と地上時代のJR富山駅の姿を私が写真に収めていたことを発見した。
当時は何の気なしに撮影していたJRの車両たちだが、時を超えて、自分が確かに地上時代の富山に訪れていたことを思い起こす材料になるとは、思ってもいなかった。
私はプロフェッショナルな鉄道写真は撮る技術もないし興味もさほど強くない。しかし、スナップ写真でも、確かに当時走っていた鉄道車両を身近に見ていた・いま走っている鉄道車両を未来に残せる、という使い方ができる。
この、「記憶を未来に残せる」というシンプルな楽しみが、今までもこれからも好きであり続けると思う。
富山ライトレール初乗車~鉄道が走る街への視座~
2007年当時は富山駅の北口にライトレールの電停が新設され、真新しい「ポートラム」が発着していた。
当時の記憶は今となってはあまり鮮明に覚えておらず、残っている写真や動画から当時の足跡を何とか思い出しているという状況。
JR時代の線路と新しいライトレールとの接点が近い「奥田中学校前」停留所以南の併用軌道走行中の動画なども残っている。なお、当時の携帯電話の動画機能で撮影した動画のため、画質が非常に悪いのはご容赦いただきたい。
写真の記録によると、私は早朝8時台に富山駅北を出発してまずは一通り岩瀬浜まで乗り通したようだ。
私は富山駅北から岩瀬浜を往復しているだけでなく、途中の東岩瀬で下車していたり、岩瀬浜でも付近の海岸で散策した後、北前船廻船問屋森家の外観をチェックしている。こうした記録からも、私は当時から、単に鉄道に乗るだけでなく、鉄道が走る街や利用状況への興味を持っていたことがわかる。
2024年の今は、私は北前船の航路や北前船経済圏について興味を持つようになり、本を読んだり郷土資料館の展示で学びを深めることが好きなので、時間をかけてじっくり北前船関係の史跡を見学するところだ。
しかし、2007年当時30代の私は歴史・史跡への興味はあったものの、史跡見学をもとに深掘りや「なぜなぜ分析」をするような深い見方がまだできていない。
学びを深めて物事の鑑賞力・分析力をつけた今だからこそ、旅先での学びを楽しめる視座を持つようになれている。しかし、こうした視座は意図的に身につけた訳ではなく、尽きない興味をとことん突き詰めていくことを厭わない私の生来の性格によるものではないかと自己評価している。
要は、その時々の楽しみ方、視座で学んだり刺激を受けることで十分な価値がある、ということが言いたい。
最近よく富山を訪れているので、今の目線でまた改めて岩瀬浜を歩き、街や歴史、風土、地理を学びたいと思う。
東岩瀬駅
2007年当時に私が訪問していた記録が残っている場所がもう一つある。「東岩瀬」駅である。
事前に下調べして下車したのか、たまたま駅舎が気になって途中下車したのか、何が契機で東岩瀬駅を降りたのかは全く記憶にない。
2024年にも私は富山港線に乗車してきたが、東岩瀬駅だけは古めかしい駅舎があり、JR時代の名残を駅通過時に感じたことをよく覚えている。
青いホーローの駅名板。白い駅舎。LRTが走ると嵩の高さが際立って見えるJR時代のホーム。
「この駅なら、降りてじっくり見てみたいと私が思うのも不思議ではないな」と思ったが、2007年に私がこの駅に下車した記憶は本当に無い。これは不思議な感覚だ。
ただ、2007年当時から「行っていて良かった」と思う。
それは、2024年現在に私が興味を抱く対象が、2007年当時からさほどぶれていないことを確認できるから、思うことだ。
開業当時から使い続けられる駅舎や土木構造物といった設備には、歴史が刻まれている。また、長い月日に耐えて鉄道・人々の移動・街を支え続けてきた存在として、長く使われている駅舎や土木構造物に対して、私はその価値の高さ・意義深さ・そしてそれら設備を支える人たちの尽力に感銘を受ける。
私が、鉄道をとりまく「システム」への興味を、少なくとも17年前から持ち続けていることを富山ライトレールから再確認することができた。
2007年の写真を眺めつつ、2024年の富山を散策して、改めて感じた次第だ。
東岩瀬駅の佇まいからも、こうした気持ちが惹起された。
2024 富山駅、そして未来へ
2007年の富山ライトレールの乗車体験は、富山北から岩瀬浜までの往路乗り通しと、復路に途中の東岩瀬駅で下車しつつ、富山北駅まで乗り通した記憶・記録で終わる。
残念ながら、2007年以降に再び富山ライトレールに乗車する機会はなく、長い年月が流れた。
個人的に2022年前後から鉄道旅行によく出かけるようになり、特に2023年以降は富山に関心を強く抱いて以降、富山駅を南北を縦貫する軌道が敷かれ、富山港線と地鉄市内電車とが直通する姿が「当たり前の姿」として目に焼きついている。
「富山ライトレール」が2020年に富山地方鉄道に吸収合併されたことを知ったのは実はごく最近、2020年代初頭ぐらいになってからだ。
知らないうちに「富山ライトレール」がなくなり、「富山地方鉄道富山港線」と称しているのを見て物凄い違和感を覚えたことをよく記憶している。
市内電車の環状線や南富山駅前、大学前から岩瀬浜行きの行き先表示を掲出したLRTが疾走していくシーンは、ようやく慣れつつあるものの、未だにとても新鮮に見える。
富山駅の新幹線の改札を直進するとすぐに市内電車や富山港線の電停に直結する動線はいつ来ても快適で素晴らしいと思うし、駅南側(電気ビル・総曲輪・市役所・県庁・富山城・南富山駅前・大学前側)を行き交う市内電車と、その傍に咲く花のコラボレーションも見事だと思う。
今、眼前に広がる景色が、将来は良い思い出、貴重な経験として自分の中で宝物になると思う。
街も人も時を経て変わっていくと思うが、その変化があるからこそ、今の体験がより貴重になると思う。
こんなことを、開業後間もない富山ライトレールの写真・動画と、2024年現在に富山を旅する体験とを重ねながら改めて考えてみた。
これからも、まだまだ私の知らない富山を、日本を、もっと旅して学んで深掘って、得た知見を何らかの形でアウトプットしてみたい。
そして、そんな私のアウトプットに目を留めていただいた方にとって、何らかの発見や知的な刺激を提供でき、実際に現地に足を運んで現地での「今」を感じていただけるようになると嬉しく思う。
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