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58歳にして改めて思う、仕事の楽しさ。

5月まで一緒に仕事をしていた従業員が退職し、自分達夫婦2人だけで仕事するようになってもう2ヶ月が経つ。

以前は「ティーズウクレレ」というウクレレブランドと、「Seilen」というブランドを並行して工房で作っていた。「ティーズウクレレ」の方を若手スタッフに担当して作ってもらい、Seilenはすべての工程を僕が自分の手で進めるというテーマでコツコツやっていたわけだ。

去年の秋にふと、「今後10年間に向けてのやるべき事、やらないべき事」を考えなくちゃと思い、そこからスタートして10年後15年後の自分を想像し、そしてブランドを絞ることにした。
70歳とかになってもあれもこれも欲張って頑張り続けることはもう無理だろうなと思ったのだ。
20年間続けてきたティーズウクレレを止めてしまうのはもったいない気もしたし、ファンやユーザーの皆さんにも申し訳ないなという気持ちもあったけれど、実際のところいつまでも続けることは出来ないのだし、思い切ってSeilenだけに絞ることにした。
すごく簡単に言ってしまえば、自分の最後の10数年という掛け替えのない時間を人の面倒を見ることで終わらせたくないという気持ちが強くなったのだ。そのことに時間を割くよりは自分の作りたいものを精一杯作り続けたい。1本でも余分に、自分自身の手で作った楽器を残したい。もっともっと楽器作りを突き詰めたい、と。

いわゆる「事業継承」みたいな問題も少し考えたけど、僕がやってきたスタイルを引き継ぐやつも居なかろうと思い、すっぱり諦めた。
このあたりの話はまた別にじっくり書こう。

話を戻そう。

従業員が居なくなると、あたり前だけどすべてのことを自分がやらなくてはならない。機械のメンテナンスや切れなくなった刃物の交換など、以前は若手スタッフにやらせていた仕事を自分でするようになった。
社員に仕事をしてもらってる時は「手際よく無駄なくやるんだよ」とよく繰り返し言っていた。
今は機械をいじるのは僕だけだから、自分自身で刃物の交換をする。

今日、手押し鉋盤の刃物を交換していて気がついたことがある。

以前、面倒くさくて若手スタッフにやらせていたメンテナンス仕事が案外楽しいのだ。自分の仕事の進め方も、手際よく無駄なく、と言うよりもじっくりと仕事をするようになった気がする。切れなくなった刃物を外して研磨上がりの新しい刃に交換するという作業だけではなく、ついでに周りの部品も外して汚れを取ったりサビを磨いたり。間違いなくスムーズに機械が動くように細かな部分を見るようになった。その分余計に時間はかかるのだが、特に気にならない。それどころか磨いているうちに機械への愛情や感謝みたいな気持ちが湧いてきて何だか楽しかったり嬉しかったり。
今まで見えなかった部分、見てこなかった細かな部分に気がつくようになったように思う。

ものづくりは素晴らしい仕事だけれど、経営者にとっては時間と単価との追いかけっこだ。実際に掛かった時間と、請求できる工賃と、従業員に払う給料と。「納得行くまでじっくりと時間かけて仕事しなさい。」などとはなかなか言えない。仕事場にストップウォッチを持ち込み、いかに無駄な工程や時間を削るかに腐心する。

人を管理すると言う事は疑心暗鬼になることだろうか。人を疑ってかかることだろうか。君はもっと早く仕事が出来るはずだよと言いながらジリジリと締め上げることは幸せな経営だっただろうか。

ひとりで起業して。仕事が増えてきて自分だけではやりきれなくなって人を雇う。給料を払って働いてもらい、売上を伸ばして利益を増やす。評判が良くなりシェアが増えてまた人を雇う。ずっと繰り返し。
自分がデザインし作り出した楽器を、よりたくさんの人に使ってもらえる。
ある意味、それが目標だったとも言える。成功の証であると思ってもいた。

人を使わなくなって、時計の針に追われずに仕事をするようになって改めて仕事は楽しいなぁと思う。機械いじりも楽しいなと思う。
今まで30年以上も、50人以上もの人を雇って、自分が教えてきたことは一体何だったろう。

もちろん、今までの長い経験があった上でここに辿り着いたからこそ意味もあるのだろうけれどね。

人から管理されるのももちろん悩ましいことだろうと思うけれど、僕は人を管理するという仕事から開放されて、すごく心が穏やかになった気がしてる。

さぁ、これから。 ゆったり楽しみたい。 

あまり欲張らずにね。


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