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戦後

蜜柑の山からみえる海
しずまりかえる島を歩く
ひとかげもなく
ひとり戦後の歌をスマホで聴く
若いひとたちのいる場所から離れて

いつかとおい場所に
きみとふたりで行ってみたかった
あかるい街の通路で
ステップ踏んで

本たちも眠る
建物を吹きぬける風を感じるために
いまこそ口ずさむ詩句を懐から出そう
きみの
月のひかりの本棚に並べるために

世界を抽象してみせてよ、と言ったねきみ
新宿の雑踏を計測するひとから
逃げまわる十月
いらつく売り場を通過していく
トラックたちのテールランプが美しい

禁じられた人類の身体
いまは左肩だけを動かしてみる
戦時下のきみを抱きしめるためにも
蔦のからまる建物から
迷宮のゲームに入っていく
きみと手をつないで

世界を抽象してみせてよって言ったねきみ
ぼくはここで
あわだつ水を飲みながら
あかい実のデッサンをつづける
テレビジョンのなかでは
漢字の練習がつづいている
祈るということばが
やがて折れるということばになる

きみの大好きなコーヒーゼリーのように
ゆるやかに凝固する
ひとは歩くかわぶくろ
ちゃぷちゃぷと水をはこぶ
きみのゆたかな
湖のなかへと沈みこんでいく
きみの戦後のなかへ


夕陽があたる場所
子どもという主題で歌ってみる
猫のようになって
顎を地面に置く
アメリカ製のジープで
神社の階段を登ってみせた父さんも死んだ
戦争は嫌いだと
教壇で声を詰まらせた
教師のいまを知ることもない

くだらない規制と作戦
結局、ながい階段がつづき
昇り降りするだけ
壊れた右目を再起動して
海にしずむことのない川をさまよう
やがて影が見える
駆け引きと脅しのゲームに負けた
ちいさなビロード色の虫たちが
ななめに走って逃げる影が見える

さあ新しいゲームをはじめよう
どうせ死ぬ世界の中で
いちばん高い階段から
うつくしく落ちていくゲームを
手のひらのなかの世界も
だれかに乗っ取られている
遺跡になった階段教室で
ぼくは逃げるスープをこの手で掬いとろう
飲み干すまでは死ねないと
眠りの井戸にしずむ学生たちに
語りかける

五月の階段のとちゅうで
ちいさなことばとおおきなことばが
すれちがうタイムラインに
そっと水を呼びこもう
たくらみの箱をとりだして
生きてるんだ、まだこの町に
きえた影が宵闇にとけこんでいく
だれも風景を歌わない町に


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