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僕らの現国 第四回

夏の終わりとともに

 一週間の夏休みが終わり、8月最終週がやってきた。その間も結局電話がかかってきたり、月末作業をしたりとなかなかハードな毎日だったのだが、いろいろ押せ押せだった業務もなんとか追いつくことができ、あっという間に9月がやってきた。セプテンバー。
 9月の声とともに、感染は潮がまるで引いていくかのように納まっていった。もちろん、その間に政府がとったさまざまな対策、陽性者が自主登録できるようにしたり、受診せず抗原検査を配布したり、といった策ももちろん効果があったのかもしれない。でもやはり現場での感覚はそれらの策よりも、何よりも感染が広がらなくなった、ということによるものが大きいのだな、と思う。具体的には、ワクチンが高齢者や医療・介護関係者という集団に行きわたったこと、および感染してしまうリスクの高い人たち、すなわち若年層、そして活発に社会活動をする人たちがすでに罹患した、ということなのだろう。感染コントロールをどうするのか、ということに関しては、私が語るべき知識も理論もないので語ることはできないのだが、ともかく現場の我々としてはもはやバーンアウト寸前の状態であると思っていくつかメディアですこし発信してみたのだが、

反響はそれほどでもなかったところを見ると、また僕が空回りしていただけだったのかもしれないな、と思ってみたりもする。もしかしたらバーンアウトしていたのは、そもそも僕だけだったのかもしれないのだ。


森絵都を読んで語る会

 さて、そんな中、コロナ流行前から予定していたとおり僕らの現国 第四回を行いました。土曜日の午後、いつもだったら走るか、ストレッチするかしている時間帯です。今回はまたいつもの菅野さんとです。
 
とりあげた作品は、「ア・ラ・モード」。「漁師の愛人」という短編集に収載されているものです。

文庫版はこちら

文庫版のほうがなんか漁師町っぽい感じで若干怪しい雰囲気を醸し出しております。

ちらっとこちらから雰囲気だけ味わえます。

著者による簡単な解説です。

 

今回取り上げた「ア・ラ・モード」は、震災をモチーフに愛を描いた表題作ではなく、プリン三部作、といわれるプリンをまつわるささいな憤怒を描いた作品の一つです。上記では、「少年三部作」となっておりますが、少年とプリンが共通項になっている短編小説です。
 
 この作品を選んだ理由というのはそれほど深いものではありません。ただ、とりあげる作家の男女比を1:1にしたかったこと。そして、あまり重たいものにしないようにしたかったこと。どうしても僕らが読書会をするときには、なんか意味のあるものにしがちだったり、日々の仕事に寄せたりしがちなんですが、できるだけそこから離れたもの、つまり純粋に「本を読んで語り合う」ことを楽しめるものにしたい、といった理由だったのです。
 
 そんな「ア・ラ・モード」。
プリン三部作、他のものは「少年とプリン」、「老人とアイロン」です。どっちかというと、直接的にプリンが扱われています。「少年とプリン」は、先の森絵都さんご本人の解説にあったこのエピソードが下敷きになっているのかな、と思います。

実は中学のとき、クラスでプリンの数が足りなくなるという事件が本当に起きて、放課後先生に全員が残されて犯人捜しをしたことがありました。問いただされているうちに男の子たちがいやになっちゃって、いいよ、おれたちがしたことにすればいいんだろ、っていうことになった。その時のことが心に残っていたんですね。

なぜか無性に漁師を書きたくなった 森絵都インタビュー
https://books.bunshun.jp/articles/-/2442


直接的にプリンと少年が扱われた「少年とプリン」「老人とアイロン」とは異なり、「ア・ラ・モード」はむしろ「プリンの不在」を巡って話が展開します。予備校生の彼女とデート中の若い男の子が、せっかくプリン・ア・ラ・モード目当てに入った喫茶店で、満を持して注文したところお店の人にア・ラ・モードしかできない、と言われてしまったという事件をきっかけに、最終的には「本当に大切なもの、原理原則がないこの世の中」についてまで怒りがひろがってしまっている、という一種滑稽にも見える状況を、作者がちょっと醒めた視線から三人称で描きながら神の視点で眺めている、という作品です。そういう行為に至っている若い男性を、批評的な視線でも、非難しているわけでもなく、「ああ、男ってばかだなあ、でもこういうなんだかわからない怒りってなんとなくわかるなあ」という、女性作家ならではの温かい視線を感じられる作品となっております。

 なんだかコロナ禍(コロナ禍の前から多分そうだったと思うのですが)になってSNSでは怒っている人のテキストを目にすることが多くなってる昨今。今までちょっと尊敬していた人たちの心の奥底にあった人間性が明らかになったりすることも多くなって。そんなこともあって、他の森絵都作品たくさんあるんですが、本作品を取り上げることにしたのです。まあ単純に面白いから、って言う感じであんまり深くは考えてなかったんですが。

プリン・ア・ラ・モード

 ということでア・ラ・モード。
 フランス語でà la mode。流行の、とか、現代風の、という意味です。
Wikipediaによると、プリン・ア・ラ・モードは日本生まれのデザートなの
だそうです。


しかし食べたことないな…
コージーコーナーのプリンアラモードは380円とお手頃。

まあ、やっぱりプリン・ア・ラ・モードといえばこちらで紹介されているちょっとお高め、昭和感満載な印象のスイーツですよね。

これ目当てに入ったのに、プリンがないからアラモードだけ、って言われたらさすがに怒りますよね。彼の気持ちもわからんでもない。でもそこからグローバリズムとかアベノミクスとかにまでに話が膨らむのは滑稽以外の何ものでもない…と思います。お前はそれより自分がもっとちゃんとしろ、という視点もあるし、そういう些細な怒りが世の中を良くしていく原動力にもなる、っていう視点もある。まあ深読みすればするほどなかなか味わい深い作品となっておりました。

僕らの現国 第4回

 ということで、今回はいつもの菅野さんとの二人トークとなりましたが、なかなか自分的には面白かったです。
 その様子はこちら ↓

そういえば中秋の名月の日だった。

 さて、そんなわけで僕らの現国。まあ、最初は回数を決めてシーズン1ということでやろうと思っていましたので、あと2回くらい(動画では7回と言ってましたが、男女比を踏まえて6回でいったん中締めということにいたします。)
 次は、順番では男性作家になるはずでしたが、ちょっと考えるところあって次も女性作家を取り上げます。

 それは…

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 えっと…

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 この人です…
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 なんてもったいつけなくてもいいんですが。

 次もまた、満を持して、

 小川洋子さんです。

1962(昭和37)年、岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。
1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991(平成3)年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。主な著書に『やさしい訴え』『ホテル・アイリス』『沈黙博物館』『アンネ・フランクの記憶』『薬指の標本』『夜明けの縁をさ迷う人々』『猫を抱いて象と泳ぐ』等。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞。『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞受賞。翻訳された作品も多く、海外での評価も高い。

Amazon.co.jp 著者説明より

代表作はやはり「博士の愛した数式」になるのでしょうか。さてそんな小川さんの作品から「人質の朗読会」から「ハキリアリ」を取り上げてみたいと思います。


さてまた明日から仕事頑張らないとな。

(続きます…多分。)

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