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自己紹介【HSPの観点から35年間の人生を振り返る】

こんにちは、シンジです。私事ですが、現在35歳になります。
何となく「35」が「節目」のように感じるので、振り返りと記録を兼ねて自己紹介記事を書いてみたいと思います。

本記事は、こんな人に読んでほしいです。

・繊細な人(HSPさん)
・繊細さに疲れてしまった人
・ありのまま生きていきたいと考えている人
・見せかけの自分に疲れてしまっている人
・自分で自分を苦しめている人

僕は、こだわりや信念が強いクセに繊細で、それをどう表現・解放していよいのかわからず、周りの目を気にして生きてきた人間です。そして自縄自爆(自分で自分を苦しめること)で、しんどくなってしまうこともありました。

本記事では「繊細さ」に焦点をあてて自己紹介記事を書いていきます。
ぼくと同じような悩みを抱える人に、読んでいただけると嬉しいです。


幼少期

幼少期から刺激を好まない性格で、ゲームやカードが大好きな少年。両親からは「神経質」「変わった子」と呼ばれることもありました。しかし、この頃は友達と遊ぶのも好きでサッカーや探検なども大好きでした。

学生時代

学生時代が自分のパーソナリティーの原点な気がしています。中学生の頃から上下関係や人間関係というものに気を使い始め、どんどん自分を抑えるようになりました。この頃から「友達と遊ぶより一人でいる方が気が楽だなー」と感じるようになります。そして漫画やゲーム、カードゲームなど一人でできる趣味に拍車がかかりました。

社会人

①理学療法士【22歳〜32歳】

大学が医療系の学校であり、理学療法士として総合病院に就職しました。理学療法士になった理由は「兄が医療系だから」「医療系で理学療法士が安定してそうだったから」です。つまり、「この仕事がやりたいから」ではありません。

仕事自体は頑張りました。リハビリ業務に加え、教育業務、学会発表、論文執筆などを経験。割と忙しい病院だったため、周りに置いていかれないように、必死で食らいついていました。

しかし、職員数4000名近い病院で、日々多くの人との交流や仕事のノルマ、自部署・他部署との人間関係に疲れ、26歳頃から「何か違う」「このまま働き続けていいのか」と疑問に感じていたのを覚えています。

疑問に感じていたものの、切羽詰まった状況ではなく、30歳頃までは現状通り働いていました。この頃は自分の繊細さを無視し、飲み会などに参加しまくり。自分の体より人付き合いを優先し、休日は「ぐったり」という感じで、自分の体をイジメてたなと思います。

30歳頃から、SNSやブログなどの副業も開始。「医療業界の外」に目を向けるようになります。そしていよいよ「現職(人間関係や働き方)」に限界を感じ、退職を決意します(退職届を出した時は、次の職場は決まっていませんでした)。

ちなみに僕が、HSPという言葉を知ったのが2018年。HSPカウンセラーである武田友紀さんの著書『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』でした。初めて読んだ時は、納得しまくりで「あるある!」と思いながら、食い入るように読んだことを覚えています。そして、武田さんの本で、自分の気質に名前をもらったような気がして安心した記憶があります。

②ピラティストレーナー【32歳〜33歳】

当時は「ピラティス」の魅力にハマり「いつかピラティススタジオをオープンしたい」と考えるようになっていました。そして運良く、ピラティススタジオのオーナーから「うちで働きませんか」というお誘いをいただき、ピラティススタジオに転職。この時は「神様っているんだな」と感動したことを覚えています。

前職と異なり、企業体質は「ベンチャー」。成長過程のため、スピード感が早く前職とのギャップを感じました。ピラティストレーナーとしてのスキル不足だけでなく、接客技術や顧客対応能力、マーケティング能力なども必要となり、入職して1ヶ月ほどで職場環境の違いに、焦っていました。

加えて前職より収入が下がったため、副業としてプログラミングを開始。日中はトレーナー業務に加え、休日は各種勉強に副業のプログラミングなど、マルチタスク on マルチタスクの状態でした。

そして、入職して3ヶ月経った頃に限界を迎えました。体調が一時的に悪くなってしまったのです。
その時はオーナーに相談し、労働条件を変更していただき何とか1年間は継続することができました。自分の実力不足と覚悟不足もあったのですが、「ピラティススタジオをオープンしたい」という目標は無くなりました。

この頃から、「自分の繊細さは無視できないのかもしれないな」、そう考えるようになりました。

③Web制作フリーランス【33歳〜34歳】

「低刺激で、一人でモクモクとできるのはパソコンを使った仕事だ」。そう考えた僕は、副業で行っていたプログラミングを本業にすることにしました。

プログラミング学習は楽しく、学習開始4ヶ月で0→1を達成。プログラミングでの初収入として約20万円を稼ぐことができました。

その後も「営業コンサル」などを受けて、法人10社と契約。仕事としてはむしろ順調。一時はオンラインサロンでの営業講座やベンチャー企業の営業担当として仕事をいただくまでになりました。大量の営業活動、仕事の獲得、鳴り止まないチャット通知、日々新しい人との出会い。しんどいながらも、「やらなきゃ」という使命感。

自分の感情と気質を無視し続けた結果、ある朝、体に異変を感じます。

「体がベッドから動かない」のです。仰向けで天井を見つめてボーッと3時間。「動きたいのに動けない」。そして、最終的には「何もしていないのに自然と涙がでる」のです。もちろん、そんな体験は初めて。正直、自分に何が起こっているのかわかりませんでした。そして、フリーランスでありながら、一時期休職せざるを得なくなりました(この時は、すぐに対処できたので1週間ほどで体調はよくなりました)。

この時期から、自分の「繊細さ」というものに本気で向き合うことになります。「方向性コンサル」や「コーチング」を受けながらも方向性が決まらない。前に進みたいけど、進む方向がわからない。人生で一番もがいていた時期かもしれません。「水中で藻に絡まって身動きが取れない」。そんな感覚だったように思います。

とりあえず、しんどかった。

④ベンチャー企業マネージャー / コーチ【34歳〜35歳】

前職のピラティススタジオのオーナーとの付き合いは継続しており、前回の二の舞にならないよう労働条件を考慮して再度雇用していただくことになりました。オーナーには感謝してもしきれません。

現在は企業でピラティストレーナーとして活動しながら、「HSPさん」にむけた発信活動を中心に進めています。

加えて、自分自身がプロコーチになるためにCTI JAPANが提供するコーチングカリキュラムに参加。コーチとしての第一歩を踏み出します。

繊細な人生を味わい尽くそう

Web制作フリーランスでしんどくなった時には、激しい自己否定に陥りました。「なぜ、自分は刺激に弱いのだろう」。「なぜ、こんなに繊細なのだろう」。「もっと強く産まれたかったなー」と。そして2年ほど、自己分析をしたり、セミナーに参加したり、読書をしたり、自然と遊んだり、迷走していました。

そして、35歳になった今、HSPについての発信を決意しました。もっと早く発信すれば良かったのですが、当時の僕は「HSP」や「繊細さ」を自分の中の「ネガティブ要素」として捉えていたので、「隠したい」と考えていました。しかし、迷走期間中に多くのことを勉強・体験する中で「繊細さ自体に、良いも悪いもないんだな」と感じるようになりました。そして、「自分が限界を超えないように、『繊細さ』が自分を助けてくれてたのかもしれないな」と。

考え方が変わってからは、「繊細さを自分の一部として受け入れよう」「そうすれば、ありのままの自分で生きられるはず」。そう考えるようになりました。そのためにもHSPについてきちんと勉強して「実体験 × 学術的知見」ベースで発信していければと考えています。そして、今以上に「HSPであることを味わいながら生きていきたい」と考えています。

今後の活動について

現在はHSPについてSNSやnoteでの発信活動を中心にしていますが、「コーチング」も学んでいます。

僕と同じように「繊細さ」で悩んでいる人や、「繊細さを受け入れて前進していきたい人」のために、コーチングの活動を開始していく予定です。コーチングを開始する時には、またお知らせさせていただきます。

最後に、繊細さは「悪」ではなく、それ自体に「良い悪い」はありません。せっかくなら、生まれ持った気質を大事にして、HSPであることを味わいながら生きていきましょう。

今後もHSPについて発信していきますので、よろしくお願いします。

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