場面緘黙|話せなかった自分研究
ご覧いただきありがとうございます。
ふと、
僕が中学生の時の感情を
思い出しました。
その時を振り返りながら、
今思うことを書いていきます。
良ければ
こちらも併せてご一読ください。
世界は「こわいところ」だと信じていた。
中学入学の日、
事前に「しゃべらない子」として
学校側にも知られていたらしく、
母親と1年の担任の先生が会話していたことを
今でも覚えています。
当時は、
とにかく不安でいっぱいでした。
小学校でも
全く話せなかった僕は、
自分を取り巻く環境が一気に変わることに、
強い恐怖を感じていたんだと思います。
世界はこわいところだと信じていました。
「この人に声を出して何かをしゃべったら、
自分はどうなるんだろう」
「自分が思っていること、
感じていることを伝えたら、
どう思われるんだろう」
「自分が話したら、
なんて言い返されるんだろう」
自分の命が脅かされることはないと、
頭ではわかっていても、
心ではそう信じ込んでいた気がします。
だから、
自分を守るために
話さないということを選んだ。
そう思います。
話せない。でも話したい。
厄介なのは、
自分の無意識が
「話したらどうなるか分からない」
「世界はこわいところ」
信念を持ってしまい、
「話さない」という決断をした
ことでした。
当時を振り返ると
自分は話したかったんだな
と客観的に分かる行動がありました。
僕は、
全くしゃべらない学生でしたが
それでも幸運なことに
僕に興味を持ってくれて、
話しかけてくれたり
一緒に遊んでくれる友達がいました。
そんな友達に対して、
話せない僕がとったコミュニケーション手段。
それは、
声を出す代わりに、
口の奥から鳴き声のような音を出す
ことでした。
社会人になって
障害の抑圧から解放された僕は、
「なんで自分には
学生の時の友達がいないんだろう」
と悩んだ時期がありましたが、
改めて
人とかかわることが好きな自分が
本当の自分な気がしています。
当時を思い出して
僕は
本当に周りの人たちに
恵まれていたと感じます。
全く話さない変な学生を
腫れもの扱いしたり、
いじめたりしてくる人は
一人もいませんでした。
むしろ、
僕に興味を持って、
優しく接してくれた人しかいませんでした。
その経験が
今の僕のあり方を作っているのは
間違いないと確信しています。
「なんで自分はそう考えてしまうんだろう」
と自分を否定することもありましたが、
今は
「これが自分らしさなんだな」
と自分を受け入れることができています。
それは、
世界はこわいところだと信じ込んでいた僕に、
無限の愛を与えてくれた
家族、先生、友達を
否定しないためでもあるかもしれません。
この経験は、
僕の周りの人たちにとっては
何てことないのかもしれないけれど、
僕にとっては自分の人生を支えてくれている
大切な自分の一部です。
改めて、
本当にありがとう。
今度は
僕が生きづらさを感じている誰かに
愛を届ける番だと思っています。
この思いが
ある種呪いみたいになって、
自分のことがそっちのけになったりもするけれど、
自分が受け取ったものを
苦しんでいる誰かに還元していきます。
当事者として伝えたいこと
ここまで自分のことばかり書いてしまいました。。。
もし、あなたが同じように
場面緘黙で悩んでいるとしたら、
希望を捨てないでください。
社交不安障害は改善できます。
僕の場合は、
環境が変わったことで
自分の信念が変わったんだと思いますが、
ステップバイステップで治療する方法も
開発されています。
副次的にいじめを受けたりして絶望することも
あるかもしれません。
でも、
あなたを理解してくれる人は必ずいます。
(僕もその一人でありたいです。)
そして、
いつかその経験が、
あなたに生きる意味をもたらしてくれます。
だから、
ありのままの自分を誇ってください。
必ず幸せな未来が待っています。
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