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社交不安障がい者が旅をする。#4

6時間の電車旅を経て辿り着いた北京での3日間は、嵐の様に過ぎ去った。

結局、北京に住む叔父や義理の姉、親戚みんなの手厚い歓迎を受け、3日間、彼らの過剰なまでのもてなしを遠慮できる余地などなかった。

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滞在1日目の夜、叔父、義理の姉とともに夕食を囲んだ。
十数年ぶりくらいに姉と会うのは、少し不思議な感じだった。

僕が中1のころに初めて会った時。
日本に戻ってしまうと会えなくなる寂しさから、泣いていたのを覚えている。

あれからお互いに大きくなっていた。
兄や姉がいない僕にとって、気前のいい姉貴のような存在の彼女に、色々話したいと思ってしまう。

そんな僕を言葉の壁が邪魔するのがもどかしくもあった。

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2日目の夜も、親戚一同が集まっての会食だった。

思ってもいなかった催しに、「何かお返しをしなきゃ」という気持ちにも駆られてしまう。
その上ケーキまで用意してくれて、誕生日を祝ってくれるなんて。

ここ数年、自分の誕生日なんて適当に過ごしていたので、その落差を感じずにはいられなかった。

でも、落ち着いて考えると、僕はもっと自分を大切にしてもいいのかなとも思えた。
普段、他人のことを優先しがちだが、一番愛を与えるべきは自分自身だということを、もう一度心に刻んだ。

同時に、親戚一同で集まっていたあの時間が、なんだかとても尊いものの様に感じられ、終わってしまうのが惜しかった。
子どもの時、姉と会って別れが寂しかったときの感覚と、似ていたかも知れない。

いつも1人でいると、慣れてしまう。
それも、割とすぐに。

孤独は悪いものではないと信じている。
けれど、心のどこかでは、確かに「独り」ということの寂しさを感じていた。

一番深い繋がりである家族。
僕の中の「人との繋がり」を大切にしたいという価値観が、刺激されていたのかもしれない。

やっぱり、どれだけ自分に依存できたとしても、そんな「つながり」で結ばれた人と共に時間を過ごすだけで、簡単に揺らいでしまう。
僕たちが生きていくには、どうしても「他者」の存在が必要なんだろう。
そう思わずにはいられなかった。

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3日目、この日は姉と、彼女の大学時代の友人と一緒に街ブラした。
1日目、2日目は叔父と色々巡っていたが、この日は「若者の遊び」をして一日を過ごした。


夜、姉の友人とも仲良くなり、拙い中国語で他愛もない話をして歩いていた。
この時間がずっと続けばいいのに、なんて思ってしまう。

諸行無常を受け入れるのって難しい。
改めて「独り」で生きるのって無理だなと思えてしまう。

僕には、姉みたいに学生時代の友人で、今でも繋がりのある人はいない。
1人だからこそ、他者と同質化せずに自分の道を信じられる(というか信じるしかない)。

だけど、姉と彼女の友人のように、お互いに長い時間を共に過ごし、深い絆で結ばれた関係もとても尊く、美しいのものに思えた。

それも、この時間が永遠に続けばいいのになんて思わせたのだろう。

それでも時間は止まってはくれない。
僕たちを取り巻く状況は移り変わる。

今年、アメリカに住む祖母が旅立ったり、老叔の兄弟が旅立ったという話を聞いてもそう思わずにはいられなかった。

諸行無常だから、何が起きるかわからない。
姉も、彼らとずっと友達として、あんな風に時間を過ごせるとは思っていないようだった。

だからこそ、尊いし何よりも大切にしたいと思う。

彼女の友人たちも、初対面の僕を快く受け入れてくれた。
そんな友がいる姉を、僕は誇らしく思うし、彼女の人生は絶対に上手くいくと確信した。
僕と友と過ごす姉の、幸せそうな顔が頭から離れなかった。

そして、子供の頃、初めて姉と会ったとき、なんで別れがあんなに寂しかったのか分かった気がした。

「独り」になるのが怖かったんだろう。
もちろん親はいる。
でも、それとは少し違う歳の近い姉という存在が、自分にとって特別で、愛おしかったんのだろう。

海を超えた場所に住んでいる家族達。
一旦飛行機に乗ってしまえば簡単には会えないと思っていた。
だからこそ、「独り」になってしまう怖さから、あんなに辛い気持ちになっていた。

でも、僕ももう独りじゃない。
大切にしたい家族たちがいる。
なかなか会えなくても、確実につながっていると感じられた。
それに、もう自分のことも胸を張って信じられる。

時はいつの間にか流れていくけれど、それでも、予想もつかない未来を歓迎しよう。
楽しんでいこう。

それが、僕たちにできることだ。
大人になるとはどういうことか、大事なことを一つ学び、大人になった。

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