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創造と破壊(詞、短文、フィクション)

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主に詩や短文、フィクションなど書き連ねています
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#雑文

LOST SOULS

探してるものが何なのか見えない。 多くの要素が溜まっているはずが 実はそれほど深い井戸などではなく 水は絶えず新しい道を作り流れ続ける。 光を感じる方へ意識を向け、 そこが目指すべき道に見えても たどり着く前に煙と化す雲のよう。 突き動かしている熱情が途切れないよう 薪をくべる、さらにくべる。 燃えきって炭化したカケラを、 壊れないように丁寧に集める。 しかし、かつて愛したものはもうそこにはなく 姿を変えて遠い記憶の向こうへと消え入る。

"言葉の有効性" アーカイブ#02

他人と関わって生きるということを考える。 ある程度の親密な関係になれば何かしら精神的なつながりを 求めるようになる。 しかしそれらはどこまでいっても一つになるわけではなく、 二つの糸が巧妙に絡み合って続いていくだけ。 確信的な何かを得たと思ったのもつかの間、 手の間をするすると通り抜けて落ちる。 音楽を作る作業にも似ている。 ほぼ無意識に音を紡いで気がつけばある程度の尺の音楽になっている。 どうやってそこにたどり着いたのか説明も出来ない。 人との関係も同じ

アーカイブ#01 "12.18.2018"

写真のデータから2008年12月18日、要するに10年前の今日の撮ったもの。 恐らく早めの時間自宅で時間を過ごし何かしらのプライベートなパーティーぽいことのために外出した。 本当はこの後にいろんな写真があって、その中には自分を含む楽しげな光景が展開されている。でもその中に若くしてこの世を去った友人が写っていて載せる気にならない。 人生の長さや内容が平等かどうかは個々の物差しで変わる、しかし死は平等にいつか必ず皆にやってくる。 悔いのない人生とは何なのだろうか。 突然やってくれ

間(あいだ)

極端に反するふたつの方向性に憧れ 結局は中ごろに甘んじる 生まれ育ちの良さを羨んでも 反逆児を気取ってみても 現実は、無限に連なる「間」にいる 人生は生と死の「間」 僕らは、全てでありゼロであり 居場所はその「間」なのだ 諦めるまで失敗でなく 死ぬまで死ねない

電脳日記

2013年の2月9日から日記を書き始めた。 人生で日記を続けることに 成功したがなかったけどクラウドで管理できるDAY ONEという日記アプリで昨夜までに1796回記しているらしく、1日に二度は書かないの1796日間書いた事になる。 今回はいまの所成功している。 忘れてしまって思い出して書くこともしばしば。読み返して忘れている事実や心持ちなどに気づくこともあれば、当然ながら恥ずかしい事柄や文章も散見される。 うまく言えないけどこの読み返す行為はとても有益だ。知ってるようで

事実

ベッドから起き上がり 割と毛足の長いカーペットに踏み出す、 両手両足に軽い痛みと痺れを感じる。事実だ。 昨夜までひとしきり思い悩んだ末に 今すぐ結論するのをやめたことを忘れた、 まるでスゴロクのスタートに戻されたような気分。事実だ。 エアコンの温度感が要領を得ず、子供の頃意識さえしなかった湿った空気を呪う。 東京、夏。事実だ。 不安、焦燥感と渇感のアンバランスが胸奥を支配し、トライアングルの内側を一定間隔で打ち鳴らす。事実だ。 ネットを見、日々垂れ流される

やがて全ては無に帰る

身を焦がすような恋心も 海を越えた野心も 彼を殺したしがらみも 無意味に愛らしい飼い猫も やがて全ては無に帰る 一生許さないと決めた裏切りも 拭いきれない執着心も 隠された肉欲も 溶けないまま腐ったバターも やがて全ては無に帰る やがて全ては無に帰る そして何もかもなくなって 忘却の彼方のままに また何か始まるんだろう