平成最後の日に刻む、令和の自分への思い。
現在48歳になる僕にとって、平成元年1月8日は大学受験の直前だった。
なので、高校までの自分が「昭和」、大学以降の自分が「平成」、ということになる。
おおざっぱにいえば、昭和の時代に生まれて教育を受け、
平成の時代に独り暮らしをはじめて、仕事をして、結婚して、親となった。
何十年か先、人生の最終盤になって自分の人生を振り返ったとき、令和をひとことでいうと、僕はそこにどういう言葉を当てはめるのだろうか。
これまでの48年の人生の中で、自分が一番刺激を受けて大きく変わった年をひとつだけ挙げるとしたら、僕は迷わず、平成元年を挙げる。
大学に進学し、寮に入って多くの新しい友人ができた。いろんなことに挑戦した。
大人になって様々な困難にも直面したけど、乗り越えていけたのはこの大学1年の時の経験があったおかげだ。
僕の平成はそうやって始まった。
昨年---平成30年6月6日、僕は胃がんの診断を受けた。
7月に手術で胃を全摘した。
しばらくは働けなくもなったし、抗がん剤の服用に伴う副作用にも苦しんできた。以前のようには食事も取れず、15キロも体重が減った。
さらに先日、3月・4月は胆石から胆のう炎を起こし、3度の入院を経て胆のうも摘出した。
勤務する会社も、諸事情あって平成30年は業績にかなり苦しんだ。平成29年の好調とは打って変わって、売上が上がらなくなった。
現在もまだ苦境から脱しきれているとはいえない。
そういう意味では、平成の最後の1年は、現象だけを見ればマイナスのことが多い波乱の年だったといえる。
しかし、ではこの1年は不幸だったのかというと、それは全く違う。
むしろ、楽しい1年だった。
確かに、多少しんどい思いはしてきたし、食事などの生活で不便も少しはある。
仕事のパフォーマンスも当然落ちる。ただでさえ業績が大きく落ち込み売上があがりにくい中、時間的にも内容的にも十分取れない。
当然、収入も大きく落ち込んでしまった。
でも、がんを患ったことで、新しい気づきがたくさんあった。
あと何年生きられるかなんて本当にわからんのだから、やろうって思うことはやらないといけないと思った。
家族や同僚、友人から、たくさん優しくしてもらったし、励ましの言葉もすごくいっぱいもらった。
家にいる時間が長くなり、横になっている時間が多いとはいえ、家族との時間は増えた。
術後しばらくは受け付けない食べ物も多かったが、緩やかながらだんだん食べられるようになった。
当初は食事は苦痛だった。生きるために痛みをこらえて食べていた。
でもだんだん、楽しみの方が増えていった。食べられるものも増えたし、食べたいと思うことが多くなった。
食事のありがたさ、食べられることのうれしさを、とても実感できるようになった。
3月に入院したことをきっかけに、Twitterやnoteを始めるようになった。
今まではいろんなことをやろうと思っても、思うだけのことが多かった。
家にいる時間が増え、横になっていることが増えたおかげで、スマホ片手でもできることをやり始めようと思えた。
家族にも、いろんな意味で負担はかけてしまっている。
いくら自分が精神的に元気でも、家族の顔が暗かったら楽しいとはいえない。
でもさいわい、おかげさまで毎日明るく楽しく暮らせている。
だから、楽しい1年だった。
胆のう炎の処置から最終的に退院したのは4月24日。会社に行ったのは25・26日と2日だけで、すぐ連休に入った。
でもここ数日で、体調もかなり良くなってきた。このGWがあけたら、前よりもっと仕事量を増やすこともできそうだ。
そういう中でまもなく、令和元年を迎えることになる。
令和元年は、僕にとってはいろんな意味でリベンジの年だ。いよいよ反撃開始だ。
令和元年は、健康を取り戻す年だ。前より健康になってやる、と思っている。
令和元年は、自分から世界へ、情報発信していく年だ。自分の中の奥深くから何かを取り出して発信し続けるのだ。
この令和を、平成以上に自分らしく、生き抜いていきたい。
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