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『100分de名著「君たちはどう生きるか」』を拝読した感想

この本の中で三つ気になったところがある。

(ネタバレになってしまったらすみません。。)

一つ目に、例えば本文を引用すると、「貧困が教育や生活の質における格差を生んでいる」という部分で普段、教育について考える時に、教育の中身、内容の部分などを議論しがちになりますが、貧困という教育ではない部分が原因となって教育の質を下げていることを改めて考えなけれればならない、と感じました。教育だけではなくて他の分野でもそのように違う分野のことが原因で質などが悪化していることがあるのではないかと思いました。

しかしながらそれとは逆のことも起こりうるのではないかとも思いました。例えば教育とは一見関係のない分野が教育によい影響を与えているというようなことです。

例えばテクノロジーの進歩が、今までだったら学べない環境にあった方がPCなどを利用して学びの機会を得る、というようなことです。これによって貧困の家庭の子でもPCやスマートフォンを利用して学習の機会を提供できるのではと思います。

(余談ですが、ある学生NPOの活動で、コロナ禍となり、経済的に貧困している中高生のために、同じ学生の方が、大学生となった方達から以前使っていた受験参考書を寄付してもらって、それを経済的に厳しい受験生に配る、ということをニュースでみて感銘を受けました。)

二つ目に、本文を引用しますと、「高尚で難解なものばかりが芸術でしょうか。より多くの人が楽しめるような芸術のあり方、新しい形はないのか。あるとしたら、どういうものか。それは、これからみなさんに考えてもらう課題としましょう。」

これについては、芸術家というのは作品を作る際にこれが面白い、と思って作ったものや、これを伝えたい、という思いを持って制作しています。例えば音楽でも、このような音楽に自分は感動した、だからそんな「音楽」を自分も作って皆に感動してもらいたい、という気持ちで作っているわけです。おっと、これは自分のことでした。。

そのようなことは高尚であるか、高尚でないかに関わらずあると思うので、そのような作品がどんな気持ちで作られたか、どんなことを言いたいか、というストーリーや背景のようなものも面白いのではないでしょうか。

また例えばSNSというのは自分が何か発信することが面白い所です。それと同じで、芸術というのは、自分で作ってみるということが一つ、面白みであるし、自分で何か作るからこそ、芸術という学問的な部分に興味が出るのではないでしょうか。

三つ目に、「生産する人、消費するだけの人」という単元があって内容は割愛しますが、例えばどんな世界にもそれを生産する人と消費する人がいます。

勝手な解釈で言いますと、「学ぶ」というのはひいては消費やインプットです。そして「仕事・普段の活動」が生産やアウトプットであると思います。学んでいるだけでは自分のためにはなりますが、それだけでは人のためになるということはなかなかないと思います。(もちろん学者の方は日々学問を作っていらっしゃいます。ありがとうございます。)学んだことを仕事や普段の活動などで何かに応用、活かすことではじめて人のためになるのではないでしょうか。

そもそも知識や学問、教養というのは何かに活かしたいと思って学ぶものであると思います。もちろんすぐには役に立たないかもしれませんが、何かに活かそうと思って学ぶからこそモチベーションが出るのだと思います。社会人になってから、いろいろと仕事などを経験してから大学に入った方が、何を学びたいか、学ぶべきか、学ぶべき知識がどこで役に立つのか、といったことがわかり、モチベーションが高い、ということはよく聞かれることです。

さて、ここで音楽を例にしてみます。何か曲を作ったとして、その曲をよりよくするために音楽理論を学ぶ、というようなことです。そしてアウトプットや発信することによってフィードバックが得られ、曲の改善点などがわかる(そして、また次はこんな曲を作ってみよう、など)→必要であればまた学ぶ…というようなサイクルです。

インプットとアウトプットは別々ではなくセットであると思います。

さあ、ここまで見てきて、あらためて、君たち(わたしたち)はこれから、どう生きるのでしょうか?

一つ目の項目について、自分自身は学生時代、お金の心配をあまりせずに学び、過ごすことができましたが、そうではない方もいるということを忘れてはならず、むしろその方達、その部分を見るべきであると思います。

また二つ目の項目について、芸術というのは、難解なものばかりでなく、例えば「デザイン」というのは、「意匠」という意味に他に「図解」や「設計」というような意味もあります。特に「図解」というのは、ある事柄をよりわかりやすく伝える、という意味です。難解なものばかりでなく、むしろ難解なものを「分かりやすく伝える」ということも「芸術」の一つの役割なのではないでしょうか。

そして三つ目の項目について、大量消費社会に生きる私たちはそれを生産してくれている人へ感謝を忘れてはいけないと思います。そして日々何気なく使っているもの一つ一つについても自分では作ることができず、作るには技術を伴うし、大変な努力をして作っている方がいらっしゃるのだと思います。

すなわち何気なく生きている中で、つい忘れがちになっている大切なことや、(あまり気づきにくいところで)困っている方がいらっしゃるということを思いました。

そのことを知った上で、わたしがこれからどう生きるか、どう行動していくかは、やはりわたしたち次第なのではないでしょうか。

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