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エロ漫画の歴史 50年代の週刊誌ブーム(第一回)

こんにちは 去勢されたネカフェ難民のシンイチです
今回より エロ漫画の歴史について振り返っていこうと思います
普段はニコ動やようつべに こんな感じの内容の動画を投稿しています
BANされる前に そちらもチェックしていただけると嬉しいです
それでは早速参ります


戦後のエロ漫画の起源というと 
終戦後間もない時期 1940年代後半のカストリ雑誌や
60年代の青年漫画など 諸説ありますが
やはり今回は 週刊誌ブームが起こり さまざまなエロが開花された 
50年代中頃の大人漫画のエロについて見ていきたいと思います
この頃の東京では闇市の大半が消え 活気を取り戻しつつありました
56年の経済白書の「もはや戦後ではない」との記述が
印象的な時代です

手塚治虫先生の名を一躍知らしめた赤本漫画 「新寶島」
石ノ森章太郎、赤塚不二夫などの先生方が連載・投稿を行い 
伝説となった 「漫画少年」も
終戦直後からこの時期にかけて刊行されました

新寶島
漫画少年(学童社)


週刊誌ブーム

54年「文藝春秋臨時増刊 漫画読本」が 発行されています
読本とついていることからもわかる通り 
漫画に限らず コント、芸能記事、ヌードグラビアグラビア
エッセイ、コマ漫画、海外漫画などが集まった 
ユーモアのある軽い雑誌といったところ
翌年には 「文藝春秋漫画読本」として創刊 
50年代中頃より
54年の「週刊アサヒ」56年の「週刊新潮」
59年の「週刊現代」「週刊文春」などの
週刊誌創刊ブームが起こったのです

文藝春秋 漫画読本


サンデーとマガジン

そんな中で 小学館の編集者 豊田亀市氏が 
「週刊新潮」の広告からヒントを得て
子供向けの週刊少年誌の構想を練り 
そこから生まれたのが 「週刊少年サンデー」(59年)
小学館のサンデー創刊準備の噂を聞きつけ
講談社が早急に創刊の準備を開始し 
生まれたのが 「週刊少年マガジン」(59年)であります

週刊少年サンデー 創刊号
週刊少年マガジン 創刊号


悪書追放運動(55年)

1955年 社会問題にまで発展した 悪書追放運動は
中青教、東京母の会連合会、日本子どもを守る会 
東京防犯協会連合会などが主体となり
家庭から性を扱った雑誌を一掃するとして
見ない・買わない・読まないの「三ない運動」を展開
東京母の会は運動を過激化させ 悪書追放大会を開催 
最終的には子供向け漫画をのべ6万冊の「焚書」にまで発展しました

「りべらる」「あまとりあ」といった カストリ雑誌やゾッキ本
「夫婦生活」に代表される 夫婦雑誌など
戦後初期に発行された娯楽雑誌は 次々と廃刊に追いやられていきます

焚書のイメージ画像


エロ漫画の歴史は 漫画における技術発展や
伝統、様式美の継承の歴史であると共に 
規制との戦いの歴史であります
例えば 前田俊夫先生の「SEXテーリング」に代表される
初期の確信犯的な「触手もの」は 男性器を直接描けないという規制から 
発展していったものです


次回は 50年代後半の漫画誌や作家群を中心に見ていきたいと思います
ご覧いただきありがとうございました

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