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4月で美容師16年目になりましたのでこれまで歩んできた事を赤裸々に話します。

こんにちは。

新宿の『felice』という美容室で働いている田中慎一です。

いつもnoteご覧頂きましてありがとうございます。

4月に入りましたが、コロナのニュースの話題が尽きませんね。

早く終息を願うばかりです。

今年(2020年)の4月で美容師となりまして16年目に突入いたしました。

16年です。僕が今年で36歳なので半分以上この美容師というお仕事をしていることになります。

えっ?ちょっとまって、そもそもあなた誰?

と思っている方もいらっしゃると思いますので、ここから簡単に自己紹介をさせていただきます。

田中慎一

滋賀県出身

1984年生まれの子年。

今年の年男であります。

高校は地元の普通科で勉強を行いサッカーが好きな高校生でした。

その後、上京しそのまま大阪の日本橋にある高津美容専門学校に入学。

そこで美容に関わる事を勉強して、僕その当時は専門学校指定の寮に入っていまして、ワインディング(パーマをマネキンに巻く技術)がとても上手い人たち(歴代の先輩方がコンテストで総なめしてたり、大阪のワインディングの優勝者、準優勝者がいる)に教えてもらって毎日、毎日巻いて練習してました。

その練習のおかげか学校内や、大阪の学校が集まる大会では、数々の賞を受賞してきました。

ですが1年2ヶ月学校に行った後、ちょっと訳ありで大阪の学校を退学します。

ですが美容師の夢を諦めずに今度は、京都理容美容専修学校に編入をいたします。

そして、美容学校内で一番大きなワインディングコンテストがあり、その中(250人くらいいたかなぁ)で見事優勝をいたしました。

ここまでさらっと書いてますが、当時は本当色々頭を悩まされた時期でした。

親も頭を下げて学校に連絡していただいたので、当時は本当に申し訳ない事をしたと深く反省をしております。

そして、その後国家試験も筆記、実技共に見事一発合格!

そのまま大阪で働こうとしたのですが、とりあえず大阪は家賃が高いって事で一度地元(滋賀県)に戻って美容師をする事を決めます。

地元のサロンではとりあえず老若男女、年代、性別問わず様々な方が御来店いただいているサロンでした。

先輩方に、接客、技術のイロハを教えてもらったり、当時のオーナーには夢(当時、車はキャデラック エスカレード、服はギャルソンなど高級なものばかり、まぁぱっと見はヤ○ザの人ですか?という感じだったけど)を見させてもらったり。

特に僕はおばちゃん(失礼w)には結構好かれていたのか、よくいろんなお話をさせていただきました。

その中のお客様の中で今でも覚えている言葉が『美容師さんって太陽みたいな存在やね、だってみんなを綺麗にできるんやもんね。魔法使いみたいやな。おてんと様みたいにこれからもみんなを照らして(素敵にして)あげてね』

という言葉を胸に毎日、毎日、サロンワークを行ってきました。

美容師を初めてから、それはもう矛盾の嵐!!w

先輩が黒!と言ったらどんな物も黒!w

白だろうが黄色だろうが黒!

その時人生で初めて矛盾という言葉を覚えました。

ですが『長いものには巻かれろ』ということで我慢、我慢。

無事スタイリストになれたのは入社してから4年目の4月でした。

僕、4月好きなんです。

誕生日は11月だけど。

何かするときはなんだかんだ(この当時は転職やフリーランスを目指すとは思ってもいなかった。)4月が多いので。

そして、スタイリストになって順調にお客様もついてきたときにふと、我に帰ったんです。

『あれ?俺がしたかった事って何だっけ?』

雪が降る季節でした。

窓が全面ガラス張りの一階のお店で、外を見ると雪が降っている中、通行人の姿や車が走っているのを毎日見ている時でした。

ふと

『東京で美容師がしたい!』

頭の中全てが東京、表参道にいきたい!

そんな風に考えるようになりました!

当時僕は24歳、スタイリストデビューしたという事で自分へのご褒美に当時100万円のロレックスを購入し、車も乗ってました。

技術には自信がありました。

学生時代はコンテストで優勝もしたし、スタイリストデビューしたあとも売上も伸ばしていきました。

先輩スタイリストの売上も抜いて調子に乗ってました。

決断は早かったです!

『東京に行っても絶対やっていける!』

『東京に言ったら絶対有名になって金持ちになるんや!』

そんな気持ちでした。

まずは退社の意思を当時のオーナーに伝えました。

すると、寂しい反面すごく応援してくれました。

本当にこのお店は人として暖かいスタッフばかりです。

本当に感謝しております。

そして、親に伝えた時も両親も同様、少し寂しそうだったけど快く承諾していただけました。

夢の為に頑張っておいで!

そう言われた僕は、号泣してしまいました。

絶対に成功する!!

そう誓ってまず一つ目のサロンを選びます!

そして痛感します。

なかなか中途採用をしているところがない!!

当時はカリスマ美容師ブームの真っ只中!

TVでキムタクがドラマ『ビューティフルライフ』や『シザーズリーグ』などの美容師が注目されていて、さらにその中の表参道、青山で働く美容師はまさに髪!

あっ、神!

のようなキラキラした存在です。

そんな美容師さんがいる中で滋賀の田舎(地元ごめん)で働いていた美容師が働けるのかと心配しながらまず一つ目の面接サロンを決めます!

それが今でも有名な『air』です。

あの時の面接は今でも覚えております。

まず、面接する為に滋賀から夜行バスにって6時間。

その後、麻布十番というまぁなんともお洒落な名前の駅に降りまして、面接まで時間があったので近くのマックで面接の練習を行いながら面接時間10分前に店内にGo!

その時、本当に心臓がはちきれそうなくらい緊張しまくってましたが、ここからさらに緊張と心臓が飛び出るくらいになります!

店内に入り1階で待っていると案内してくれた方がエレベーターで2階に上がってくださいとのアナウンスをしました。

えっ?

ここでやるんじゃないんだ

と思いながらも上の階に上がると、もう心臓出そう!!

当時のair幹部(名前は伏せますが、当時雑誌に載っている方やテレビで見た方ばっかり)の方々がぞろっと10名ほどいましたw

一番後ろの席にはairグループの社長もいるし!!

えっ?

俺場違い!!?

僕を含めて面接者5名に対して、air幹部の面接官10名という、今よくよく考えてみたらすごい豪華な顔ぶれの方が面接して頂きました。

一人確か10分くらいだったかな?

志望動機

自己アピールを話します。

やる気、今まで作ったフリーペーパーのヘアスタイルを持っていきます。

そして面接が終わったら、今度は実技試験があります!

実技試験は有名店ならではでしょうか?

2階で面接を終えたら、今度はエレベーターで3階に上がります!

するとまたまたairの有名美容師さんが10名ほどいるではありませんか!!?

またまた心臓が破裂しそうです、、、

今でもやってるのかは分かりませんが、当時はとりあえずウィッグ一台を持ってきて、得意なスタイルを確か40分以内にカット&スタイリングを終わらせる試験でした。

僕は当時人気で得意だったハイレイヤースタイルを切っていきます。

このカットしている試験中に試験官の方の視線が怖いのなんの!?

まぁ試験だからね。

汗止まらないままカットしていたのを今でも覚えてますw

無事、40分以内にカット、アイロンスタイリング終了しました。

汗で服ビシャビシャ、、

そしてそのまま全体の試験は終了。

結果は後日お伝えするとの事。

その後、夜行バスで滋賀に戻ることに。

2週間後

なかなか結果がこないなぁと感じていた頃、一通の封筒が入っていました。

そこには『air』と書かれた封筒が。

うわっ!!

きたよ!!!

期待と不安を抱きながらその封筒の中身を見てみると

『不採用』

の文字がそこにはありました。

うわーーーーー!!

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落ち込みました。

そしてここで新たに大変なことに気がつきます。

それは、この結果が来るまでの2週間全く落ちる事を想像していなかった事!!

いやー余裕っしょ!

絶対受かるわー!

みたいに周りの友人や家族に言っていたらこの様です!

焦りました!

なので封筒が来て結果を見た瞬間、すぐに働く場所を探しました!

僕の中での絶対譲れない条件はこれでした。

1、表参道のサロン(ミーハー)

2、芸能人が来てる美容室(めっちゃミーハー)

3、可愛いスタイルを作っている美容室(可愛いスタイルが作りたかった)

4、怖そうじゃない所w(当時の表参道のサロンってオラオラな感じの人ばっかりだったんでw)

電話やネットで問い合わせてみたら『現在中途採用は行っていません』と言った返答が多かった。

家族や友人からは『別に、表参道じゃなくてもええんちゃうの?』

と言われたのですが、

『表参道以外やったら東京いく意味ないやろ!』

みたいな感じで表参道の一点張りww

まぁ、頑固でしたね。

そして2回目の美容室面接を探すに当たって、唯一外せない美容室があったんです。

それが

『AFLOAT』

カリスマ美容師『宮村浩気』が代表を務める元祖モテ髪サロンです。

ちなみに僕が大阪の学生時代好きだった女の子が尊敬する美容師さんが『宮村浩気』だったんです。

なので、なんか対抗意識っていうか、どんな人なんだろうって単純に興味持っててずっと気にはなっていたんです。w

ですが、

絶対入れない!!

って思ってたんです。

理由?

なんとなく。

そう、ただはっきりした理由もないのに勝手にこのサロン(AFLOAT)には入れないって思ってたんです。

変な先入観ですね。

でも入りたい!

働きたい!

芸能人に会いたい!

という気持ちでホームページを見てみると。

そこには

『中途採用のお知らせ』の文字が!

速攻です!

速攻履歴書を新しくコンビニで買ってきて、airで使った履歴書用の写真を貼って封筒に。

ですが、ここで過去のあの出来事が蘇ります。

『不採用』の文字。

そう、もう失敗できないのです。

なので、保険として他の表参道の有名サロンを2箇所(こちらは名前は伏せますが、今でもある有名なサロンです。)ピックアップして同じように履歴書を書いて、airで使った写真を貼って同時にポストに入れました。

3日後、車でドライブをしていたら見知らぬ番号から電話が。

プルルルル、、

誰だろう

そう思っておもむろに出てみると、

『田中慎一さんの携帯でしょうか?こちら美容室アフロートの者です。』

との声が!

すぐ路肩に車を止めて携帯で話していると

『○月○日○時にAFLOATに面接に来てください。』

との声が!

一次審査に無事通りました。

そして指定の日にちの前日に友人(東京の両国)の家に泊めてもらうことに。

この友人はすでに東京に上京してましたのでいろいろ東京の事を聞いてました。

面接指定時間は朝の11時。

忘れもしない晴れた清々しい天気でした。

面接する人は僕含め5名。

面接官はAFLOATトップの幹部2名(代表宮村さんはいませんでした)

そして緊張の自己アピールタイム!

時間は5分!

自分の夢、ここでやりたい事など話した後に幹部の方から質問が。

『アフロートは全部バックシャンプーだけど、バックシャンプーはできる?』

との質問に僕は

『バックシャンプーはやった事がありません!』

周りにいた面接者全員が

(こいつ、落ちたわ、、)

と思ってました。

嘘はよくない!正直に話すのが大事!そう思い発言を。

そしたら

『分かりました。では次の方』

との声が!

えっ?

ヤバイ?

俺落ちた?

他の面接者の言っていたことなんてほとんど覚えてません。

(ヤバイ、ヤバイ、、、)

そんな事を考えているうちに全ての面接終了。

その後、近くのマックで面接した5名のうち4名で座談会。

その後時間があったので、東京に住む家でも探すかという事で、不動産屋に入って部屋探し。(まだ面接受かってないのに気持ちは東京というw)

夜になったので一回、地元に戻ることにします。

3日後。

今回、結果は早かったです。

電話がかかってきました。

『田中慎一さんでしょうか?先日はアフロートの面接ありがとうございました。』

『いえいえ、こちらこそありがとうございました。』(何様!?w)

『面接の結果ですが、、、』

ドクドク、

ドクドク、、

『採用となりましたので、4月○日afloat-fでお待ちしております。』

心の中で

(やったー!!!)

と叫びました!

早速家族、友人に話して俺は

『東京に行く!!』

『絶対有名な美容師に俺はなる!』

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と誓って、その後地元滋賀県を離れて東京に上京する事となります。

(その後、他の2サロンから連絡がありましたが、既に内定が決まっていたので他のサロンはお断りさせていただきました。)

当時、24歳でした。

そしてここから、壮絶な超有名美容室AFLOAT人生が待っている事とも知らないまま、、、


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