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写真家A to Z ロバート・ラウシェンバーグ

 今回は写真家ではなく、美術家のラウシェンバーグ(1925-2008没)の写真集だ。彼はいくつか写真集を出しているのだが、その中でもポンピドゥーセンターでの展示に合わせて作られた、1981年出版の「RAUSCHENBERG PHOTOGRAPHS」をピックアップしてみた。

 僕の好きな、写真を使った現代美術のアーティストのビッグスターの3人はみんなRの頭文字なので、本棚には自然と彼らの本が集まってくる。ロバート・ラウシェンバーグ、ゲルハルト・リヒター、エドワード・ルーシェだ。かつて20世紀初頭にスティーグリッツが写真を絵画などと同じアートの地位に高めようとしていた時代から、半世紀以上進んで60年代、少しずつアートギャラリーで写真というものが扱われ始めた時代、現代アーティストたちは、写真のことをどう思っていたのだろうか。リヒターはインタビューでまさにその答えを言っているようだ。彼は、「写真の魅力は構図ではなく、表出している情報だ」と言っている。そして、「芸術写真の技巧やトリックはすぐに透けて見えて退屈だ」とも言っている。
 
 ルーシェにおいては、60年代に「twentysix gasoline stations」のような多くの写真を使った作品を作っているが、同時代に写真キュレーターのシャーカフスキーが、ニュードキュメントという括りで、ダイアン・アーバスやリー・フリードランダーのようなパーソナル・ドキュメントをフィーチャーして美術館で取り上げるるようになると、ルーシェはそれに反した写真、つまりパーソナルなスタイルを意識的に排除していく方向でドキュメント写真を撮り始めた。その究極ともいえるのが、THIRTY FOUR PARKING LOTS IN LOS ANGELESだ。このシリーズはプロの写真家を雇い、二人でヘリコプターに乗って休日で車の止まっていない駐車場を空撮したものだ。70年代後半には、ローレンス・ウィナーとのコラボレーションしたHARD LIGHTのような写真を使った作品集もある。これは、二人の女性が部屋や外に出て過ごしているところを撮影したものだが、キャプションはなく、途中ひとつだけ見開きでウィナーの言葉
「IN THE YEAR 2000 ALL RACECAR DRIVING WILL BE TAKEN OVER BY WOMAN」
というのが、空を見上げる二人の女性の写真の上方にタイプされている。
 
 ルーシェの意図としては、カメラの後ろにいる撮影者が一体誰なのか、つまり視点の不在を目指していたようだ。映画の世界では誰の視点で語られるかという、一貫性が、物語を語るのに重要とされていた。写真の世界においても、パーソナル・ドキュメントを撮っていた写真家たちのように、彼らの強い個性や、趣向が写真に写ってくることが特徴とされていたから、ルーシェはあえてそれに反した撮影方法を目指していたようだ。彼もある意味リヒター同様、ベンヤミンの言う、アウラが写真に宿っていないということが写真のいいところだと見ていたからだ。

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写真家の若木信吾です。 写真に関するあれこれです。写真家たちのインタビューや、ちょっとした技術的なこと、僕の周辺で起こっていること、それら…

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