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前略②

私が生まれ育ったのは、瀬戸内海を望む、人口千人程度の、海と山に囲まれた、まるで離れ小島のような集落だった。街らしい街へは車で小一時間かかるので、十代の、学校に通う子どもたちの暮らしというのもどうしてもノスタルジックな香りのする、昔ながらのものにならざるをえなかった。

小学五年生までは分校に通い、六年生の一年間だけ小高い山を越えた町の本校に通った。私の家がある集落よりも、その山一つ分だけ海に開けたその町は、かつては採石でも栄えたらしいが、私の子供時代にはすでに漁業に頼るほかない、徐々にさびれつつある街だった。私は十八歳までそこで育ったのである。

そんな土地では当然子供の数も少なかった。だから葵さんは、私にとって数少ない、同世代の人間だった。同世代といっても五歳も離れてはいた。今にして思えば、五歳差などというのはそれほど大きなものではないがそれでも当時の私にとって5歳も年上の中学生や高校生というのはずいぶんと大人に見えた。

葵さんは、夏生くんの双子の妹だった。夏生くん、当時の呼び方でいうナツ兄はに小学生の頃よく面倒をみてもらっていた。夏生くんの家と私の家は近く、徒歩数分の距離にあり、いわばお隣さんなのだった。


はじまりがいつだったかは、もはやはっきり覚えてはいないが、夏生くんと葵さんの家、水宮家は、私が物心つくかつかないかの頃に東京から引っ越してきた。土地に全く縁がないわけではなく、二人の母親がこの集落の出身だった。

越してきた家というのも、それまで住んでいた老夫婦、夏生くんと葵さんの母方の祖父母だが、その祖父の方が亡くなった。六十二の齢での逝去は早すぎもしないが、まだ往生というのには若く、祖母の方もまだ同様の歳で、気の毒に思ったらしいその娘、つまり夏生くんと葵さんの母と夫が相談し移り住むことにしたと言う。

これも後になってなんとなく聞き知った限りでは、どうやら二人の母は、亡き実父とは長年絶縁状態といってもいいほど関係が悪く、大学進学以降二十数年以上の間、数えるほどしか顔合わせなかったという。何が原因なのか、気にはなったものの、夏生くんと葵さんの手前、訊ねようもなかった。

とはいえ私の母と夏生くんたちの母親はの小さな頃からの友人だったようで、私たちはすぐに家族ぐるみで付き合うことになった。私の両親は仕事やら何やらで留守にすることが多く、そういう時、あるいは小学校の勉強や川遊びなんかもよく夏生くんに面倒をみてもらっていた。

東京から越してきたというが、夏生くんの母親はこの土地の言葉を話していたし、父親もいい意味で都会臭くない、朗らかな人柄だったから、私も一家に馴染むのに時間はかからなかった。

私とナツ兄、そして葵さんとの近所付き合いは私が中学二年になるまで続いた。高校を卒業した二人は、葵さんは東京の大学へ進学し、ナツ兄はほとんど蒸発や失踪同然に私たちの集落から出て行ってしまったからだ。駆け落ちと言ってもいいかもしれない。

長い間私には、その事情や彼が何をしているのかも知らされず、もうこの世にいないのかもしれないと思うほどだった。
だから結局のところナツ兄、そして葵さんとの関係はせいぜい五、六年ほどで途切れてしまったのだった。最後の一年間は私も中学校に上がって日々の変化があり、また高校三年生になった二人の受験勉強のせいもあって、あまり関わる事はなかった。

特にナツ兄は駆け落ちにつながるあれこれを考えていただろうから、最後の一年だけに限ればナツ兄よりも葵さんの方が私を気にかけてくれていたようにも思う。

だから結局のところ二人と最も関わりがあったのは、分校から本校に移る前、私が小学五年生だった頃だ。というよりも正直に言えば、最も印象深く、今でも鮮烈に胸に蘇る葵さんとのエピソードが、その年、葵さんが高校一年生の夏にあったのだ。

ここではナツ兄の行方や事情についてもぜひとも触れたいのだが、それは必要に応じて後に譲ることにしたい。ここではせっかくなので葵さんとのエピソードについて語りたいと思う。

その夏、私の両親は仕事が忙しく、結婚十五周年でもあり、いつにも増して家を空けることが多かった。
それに梅雨が明けると台風が続いて、空も海も荒れる日が重なった。これも例年よりもひどく、そのせいで家でおとなしくしている以外過ごしようがない日々が続いていた。

あれは、夏休みが始まって数日経った日のことだったと思う。予報では台風が夜半に来るというので、町は一様に台風の備えをしていた。ただ、この日から私の両親は泊まりで家を空けることになっていて、それで日が暮れるとナツ兄が来てくれることになった。

こういう時、水宮家の両親がこしらえてくれた食事を持ってきてもらったり向こうの家に呼ばれるばかりだったけれど、この日はナツ兄が食材を持ってきて一緒に作ることになった。それで二人で支度をしていると、まもなく葵さんがやってきた。それは今までになかったことだった。

「ナツ来てるでしょ。私も上がっていい?」
玄関でぽかんとしている私に、そう言って葵さんは笑いかけた。うなずく私に、ありがと、と頭を撫でてくれた拍子に柔軟剤のような甘い香りがしたのをよく覚えている。

私と並んで居間に入ってきた葵さんを見て、ナツ兄は手を止めた。
「なんだ。ほんとにアオも来たの」
「まあね。ナツと二人だと、ナギサくん退屈かなって思って」
「そんなことないよな。いつも二人で遊んでるもんな、ナギ。まあ、ちょうどいいや。そしたらアオも手伝ってよ」
この頃の葵さんは、以前よりも親しげに接してくれるようになっていた。

それまでは、ナツ兄にかまってもらってばかりで、葵さんとは挨拶を交わす程度だった。私の家に来るのは母に用があるとか回覧板だとかで、私のために来たことも、向こうの家で二人きりになることもほとんどなかったのだ。もちろん何かの拍子に二人きりになる場面もあったが、長く話したり深入りしたりするようなことにはならなかった。もっとも小学生、中学生というのは総じてそのようなものかもしれないが。

だから高校に入ってからの彼女の私への態度、それは表情だったりちょっとした仕草だったり声の調子だったり、そういったものがそれまでより一気に親密になったことが、当時の私にはとても嬉しかったのだ。
三人で支度をして食卓を囲んでいる最中も、葵さんはいつになく私に話しかけてくれた。慣れないことでドギマギしていたように思う。そうこうしているうちに屋外の風雨の音は、少しずつ激しくなっていった。時折うなり声のような風が屋根を鳴らした。

そして、まるでそれに比例するみたいにナツ兄の口数がだんだん少なくなっていくことに、子供ながらに私は気づいていた。葵さんは気にするふうもなく私にあれこれと話をしてくれていたが、てっきり私は自分が葵さんとばっかり仲良くしているせいでナツ兄が変なやきもちを焼いているのかと思いハラハラしていたのだ。

だから食事の片付けが終わってしばらくして、ナツ兄が帰ると言ったときには、見放されたような不安な気持ちに駆られた。
「え、ナツ、今日こっちでナギサくんと寝てやんなよ。かわいそうじゃん」
葵さんも意外だったようで、言外にたしなめるような言い方だった。
「いや、そうなんだけど。やっぱりアオがいてやって。おれちょっと行くとこあるから」

歯切れ悪くナツ兄は言うと、本当に玄関に向かってしまった。葵さんは特にそれ以上何も言わずにテレビを見ていたが、私は慌てて玄関について行った。すると私の不安を見抜いたかのように、ナツ兄はかがんで目線を合わせてくれた。そしてしばらくためらうみたいに私の頭を撫でて、それからちょっと笑った。

「悪いな、ナギ。今日はおれちょっと他の人のところに行かんとだめなんよ」
「ぼくのせい?」
「まさか。ちがうちがう。アオがいるから大丈夫だから、安心しなよ」
そうは言われても、私は不安な思いでナツ兄を見送った。玄関の外では雨風がごうごうと鳴っていた。

部屋に戻っても、どうしていいかわからず、ただテレビを眺める葵さんを見つめることしかできなかった。なにせ、これまで葵さんとこんな形で二人きりになることなどなかったのだから。

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