前略⑤

結局、一時間ばかりそんなふうな取り留めない話をしただけで、私たちは店を出た。まだ日の高い昼間だった。

「まだ昼はちょっとあったかいな。三崎、この後何か用事あるの」
歌舞伎町の目抜き通りを靖国通りの方へと歩いた。
いつ来ても、雑多な人混みだった。
「別にないよ。大森は?」
「俺もだ。どうする、久しぶりに三丁目のほうの飲み屋でも行くか」
「でも、お前は飲まないんだろう」
「まあな。でも、全然気にしなくていいよ。な、行こうぜ」

大森はそう言ったが、酒を一切やめたという十年以上の付き合いがある大森と、それならばこんな早い時間に酒場に行く必要も感じられなかった。それに、私も大森も、腹が減っていなかった。

それで、ピカデリーの傍ら、地下にあるジャズ喫茶に入った。狭い階段を降りた先の、レンガ造りの床と壁の、薄暗い店内には、ほどほどの客入りだった。七、八席ほどのカウンターには、ぽつぽつと常連らしい老人がいたが、左右に広がるテーブル席は、半分以上空いていた。通された席は、カウンターに一番近いテーブルだった。

大森はブレンド、私はバーボンのロックをオーダーした。アンプからピアノのねっとりとしたメロディーが流れていた。どうやらビル・エヴァンスらしい、しかし若いアーティストのようだった。

二十歳かそこらの一時、私たちはしばしばこの店に通ったものだった。
「全然変わんないな、ここ」
大森がピアノのメロディーを邪魔しない声量で言った。
学生時代のたわいもない思い出話や共通の友人の近況めいた話、それから大森の恋人の話を少々。話らしい話といっても、そのくらいだった。もっとも、ほぼ一年ぶりに再会したのだから、その程度の当たり障りのなさは当然にも思えた。

横浜まで帰る大森とは、JRの東口で別れた。
「俺もそろそろいい年だしさ、そろそろ落ち着いてもいい頃かなって」
去り際、そういった大森の顔が、しばらく残像となってちらついた。昼前に家を出た時と変わらず、十月の午後もよく晴れていた。大通りを渡り、西武新宿へと歩いていても、やはり大森の言葉がちらついた。

大森は二十代の半ばに一時、酒で身を持ち崩していた。学生の頃から彼は酒が好きだった。とはいえ、その頃はまだ「酒好きな学生」の範疇に収まっていた。私や、サークル仲間と飲みに行っても、特に問題はなかった。

それが、量や言動に目に見えて悪く作用し始めたのは、二十六、七の頃だった。その当時、大森と私の職場は割合近くにあり、月に一度ほどは顔を合わせていた。

本人の口から直接そうだと語られたわけではないが、酒浸りのきっかけは何なのか、当時の周囲の人物の話から想像する限りでは失恋が引き金だったらしい。

たしかに彼の失恋話は、私もなんとなく聞いてはいた。
ただ、ちょうど彼の失恋、そして酒癖がひどくなっていた頃、私は葵さんとしばしば会うようになっていた。

大学卒業後に、一度は疎遠になりはしたが、数年経って、またやりとりが復活していたのだった。しかし今に至るまで、大森にはそのことを言っていない。なんとなく言い出しづらかったからだ。

ともかく、彼のために詳細は割愛するが、アルコールで溺れたことで、大森の失ったものは少なくなかった。はじめは心配していた友人たちも次第に付き合いきれなくなり、ほとんどが離れていってしまった。それで、残ったのが私くらいのようだった。

とはいえそれはもう過ぎた話だ。大森の言う通り、私たちはもう三十半ばで、それは人生において、たしかにいい加減身の処し方を定めるべき季節に思えた。


ここで一つ断っておくべきことがある。大森が名前を挙げたみどりという女性について、これから語ろうと思っている。そして、実はこの文章を構想していた段階では、私は彼女に「S」という仮名をつけようかと考えていた。Sさん。私を導く日向のような人だ、という意味を込めた言葉遊びのつもりで、光が降り注ぐ南の海、その方角をもじって彼女をSさん、そう呼ぼうかと考えたのだ。しかし、しばらく考えて、やはりよすことにした。というのも読者諸氏にはすでにお察しのことかとも思うが、私のナギサという名は、ここでの仮名である。これは、せっかくなので故郷の海辺の土地にあやかって、渚という言葉から拝借した。それだけでなく、この名前は、縁あってある知人から拝借した名前でもある。ただその人とのいきさつや事情については、これがあくまで私小説もしくは小説、つまりはある種のフィクションであるという点を重視して、不要なはずの詮索やプライバシーへの予想外の干渉を万が一にも避けるため、そのあたりの説明を割愛することにした。同様に、双子の兄妹の夏生、葵という名についても、はたして実際に私の関わった彼らの名と同じなのか、はたまた、これもプライバシー等に考慮した上の仮名なのかについては、やはり説明を避けることにする。というのも、こうした作品に直接に関係のないさざなみめいた詮索が、私の個人的な事実を白日のもとに晒すのは一向に構わない。ただ、それが火の粉となって、ナツ兄や葵さん、そしてSさんもといみどりに飛び火することは今はまだ避けておきたいためである。今はただ、賢明な読者諸氏にはこれが無用な申し開きであると信じるのみである。ただし、大森についてだけは実名である、とここに明言しておこうと思う。笑いの種にもならないかもしれないが、この一連の文章を書く旨を彼に打ち明けてみたところ、「ぜひ俺だけは本名で」と妙な提案をしてきたからである。「いいけど。でも、別に何も得しないと思うよ」「いいんだいいんだ。できるだけいっぱい俺でページを使ってくれよ。自慢するから」彼なりの激励なのか、それとも単なる見栄の表れなのかわからないが、しかしいざ書いてしまうと、ナツ兄や葵さん、それにSさんのプライバシーがどうだとか、この文章は私小説であるとともにフィクションである、というような回りくどい口上も、なんだか私が大森にまんまと乗せられているだけ、いわば大森のためのコマーシャルをしているだけのような気もする。全く彼は、学生の頃から変わらず、妙に憎めない奴なのである。ともかく大森にも明かした通り、葵さんとは私が二十代半ば、彼女が三十路に差しかかった頃に再会し、結論から言うと、そして私の想いは叶わなかった。そしてそれ以来、もう声も聞いていない。少年時代にはじまった、私の葵さんへの恋は、上京した後の大学時代にも続き、そして二十代半ばに終わりを迎えた。簡単に言ってしまうと、つまりはそれだけのことだった。今となっては、もう五年以上前に終わった話で、ひどくおぼろげな記憶のようでもあり、しかし時折、ふと数ヶ月前のことのように鮮烈に思い出せもするのだから、困ったものだった。ともかく、葵さんとの関係に決着がついた後、私に残されたのは、ただひたすらに、切なさと名残惜しさだった。しかし、忘れられそうにはない。美しいものは素晴らしい、と言うようなことを、かの兼好法師も『徒然草』に記しているのだ。古今、おそらくは東西も問わず、人は美しいものには勝てないのだろう。おそらくは自分の記憶の中にある美しさも含めて。

大森の言う通り、三十代半ばというのは、人生において大切な季節の一つであると思う。そんな季節に、私はみどりと再会したのだ。学生時代に付き合ってはいたが、卒業後はほとんど十年も没交渉だった。そしてその十年という時間の堆積が、私たちの再会に彩りを与えたことはたしかだったと思う。

ただ、みどりについて語りはじめる前に、葵さんとの関係の顛末について、最後にもう少しだけ詳細を記しておこうと、思う。

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