猫を飼い、譲った3日後に交通事故で亡くなったあの日
つい最近、兄と話す機会があり飼っていた猫の話をした。飼っていたと言っても兄が高校一年生の時に拾った猫。
生まれて間もない状態で段ボールに入れられていた為にまだ小さく、少し怯えていた。
兄は自分で責任を持って飼うと言い、両親は面倒は見れないと言ったために兄の部屋で飼うことになった。人生で初めて我が家で人間以外と一緒に住む瞬間だった。
自分もサッカーで忙しく兄の部屋に入る機会も無いのでたまに様子を見るくらいだったが、時々両親がいない夕方は、リビングに連れ出してきてソファーで兄と自分と猫の3人で一緒にテレビを見ていた。
自分は動物に対して好き嫌いは無く、身近にいなかったのであまり気にしていなかったが、猫の気まぐれには酷く驚いたのを覚えている。
お腹が減っているときには、鳴き声と共にすり寄ってくるのに食事を求めていない時には見向きもしない愛想の悪さは親の顔が見てみたくなったものだ。
一度だけ祖父母の実家に家族一緒に行くときに連れて行ったが、兄のそばから離れることなく、川と山がすぐそばにあるものの自然が嫌いなのか見向きもしなかった。
時間は経過し兄は高校卒業と同時に実家を離れて専門学校に行くことになり、一人暮らしを始めるにあたり猫を飼うことは難しいという結果になった。
両親も世話は出来ないと3年間言ってきた。どうしようかと家族会議をしたその結果、祖父母の家で預かってもらうことにした。
祖父母の家がある田舎は自然が多く部屋も沢山あるので猫にとっても快適で、祖父母も話し相手が出来ることは良いんじゃないかという経緯だった。
兄は卒業前の3月、自分と一緒に免許を取ったばかりの運転で一緒に祖父母の元に向かった。
「小さな俺の部屋で育って、3年間、ほとんど外に出したことが無かったから外に出さないように気を付けてね。」
と兄が伝え、猫と別れて兄は引っ越し、自分も寮生活を始めた。そんな猫との別れから3日後、母から連絡があった。
「おじいちゃん家に渡した猫、道に飛び出して引かれて亡くなったって。」
新生活もスタートし、帰省することも出来ない状態だったが辛い気持ちと同時に3年間一緒にいた兄はどんな状態に陥ってしまっているか心配だった。
その後、お互いに猫の死について話す機会は少なく実家に戻る回数も少なかったので詳しくあの時の心境を聞くことは出来なかったが、つい最近、一緒に飲んだ時に聞いた。
「おじいちゃんに猫を譲ってその後、すぐに亡くなったのを聞いたとき、どんな気持ちだった?」
15年の歳月を経て、兄が口にした言葉は自分にとって意外なものだった。
「死んでよかったなんてことは無いけど、もし自分の目の前で死ぬところを見ていたらもっとショックだったかも知れないなぁ。でも、安易に飼った自分が一番いけなかったのかなって今では思ってる。」
本音はどこにあるのか深く聞くことは無かったが、兄はそれ以来動物を飼うことも無ければ飼いたいと思ったことも無いという。
きっと心のどこかに命を預かる責任を感じ、命を譲ることは安易にしてはいけないんじゃないかと思っているんじゃないだろうか。
自分も動物に触れ、その優しさ、癒しを感じるときはある。でも飼おうとは思わない。責任を持つことが出来ないなら飼うなと言うのが自分にとって動物との接し方の前提条件だから。
気軽にシェアが浸透している時代、使わなくなったらフリマに出品して使ってくれる人を探すように、「使い続ける文化」が少しずつ時代遅れと呼ばれれ始めている。
今後、もしかしたら動物も人間の軽率な思考の具現化から安易にシェアされる時代になったとき、責任の所在はどこにあるのかと誰しも責任逃れを希望するようになるのではないかと心配してしまう。
動物の目から見た今の世界はどんな風に映っているんだろうか。
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