改めまして、つだしんごです。


つだしんごです。

このnoteは僕の話をしようと思います。

去年までは普通のTwitterアカウントのように使ってたけど
いつのまにかデザインの発信者っぽくなってしまい
自分のアイデンティティーが含まれた発信がどんどん減ってしまった。

だから久しぶりに、自分のことを書こうと思いました。

かっこよさは全くない、素の自分。
言いたくないようなかっこ悪い下積みの全てを、
知ってもらう書いていこうと思っています。

最近は、「すごいですね」とか言われて、どんどん等身大の自分が見せられてないような気がするから。敢えて書く。

クールなデザイナーだと思ってくれていた方には、がっかりさせるかもしれません。ごめんなさい。(笑)



このnoteのトピックです。

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再度言いますが、今回は、つだしんご自身についてだけ。

デザインのノウハウはこのnoteでは得られません。


それでも興味がある方だけ、ちょっと暇つぶしに読んでください。
かなり長いです。トピックを分けてるので興味あるところだけでも。


noteっぽい難しいビジネス単語は使わず、今回は読んでくださっている全員に理解してもらえるように、書きます。

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さらっと読みやすく箇条書きみたいな感じで書いていきます。

1998年5月31日生まれ。22歳。奈良出身。神戸在住
好きな食べ物は美味しければなんでも
嫌いな食べ物は唯一、パクチー
書道6段、ピアノ歴10数年
父親が大手企業勤めのサラリーマンデザイナー。
三人兄弟の長男。年子の弟と、四個下の妹
小学校からピアノとサッカーをやってて、
中学ではサッカー部で左利きなので試合に出やすかった。
少林寺拳法を長年やってたり、
書道とかペン字なども好きで習ってた。
基本仕事をしてる生活ですが、仕事以外の時間はゲームか、
Youtubeか、飲みか、そんな感じです
魚料理が好きなので、
頻繁に近所の水産市場で新鮮なお魚を買って、
お造りにしたりして、1人で食べたり
友達を呼んでホームパーティーするのが最近の幸せ
最近は東京に移住したから、魚作れてないけど。

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※このトピックは超長い


中学まで

人を笑わせるのが好きで、ひたすら「面白いこと」を考えてた。一方で長男ということもあって正義感が強く、協調性が低い性格だったので、孤立することも多かった。
小柄だったことでそれが裏目に出て、体がデカいやつらにイジメられたり、正義感が歪に現れて、逆に誰かをイジメたり。そんな中学校生活だった。

高校

中高とも公立の総合学校。
中学でちょっとグレてしまい、高校受験に失敗。
滑り止めで受けていたICT教育を導入してる高校に入学し
朝から晩まで授業内外問わずマインクラフトと
クラッシュオブクランに勤しむ学生生活。
(どっちも当時大流行していたゲーム)

※もう一度言う、このトピックは超長い

高校2年の転機

高校2年で将来を考えてない自分に焦り始めた頃
父親の影響であまり深く考えず「デザイナーになろうかな」
なんて思いながら芸大対策のアトリエを回ったけど
周りのデッサンのレベルが高すぎてすぐに諦める。
その頃『僕は君たちに武器を配りたい/瀧川哲史』という本に偶然出会う。
「自分はコモディティー化したくない」と思って
とにかく学歴だけでも高いところに行こうと決意する。
高校2年の始め、偏差値40ぐらいから受験勉強を始めた。

高校3年の決断

理系として高三の秋まで勉強した頃、ビジネス書にハマる。
専門職以上に、専門職をマネージメントする「経営者」の方が
市場価値が高いってことを知らされ、憧れる。
自分のやりたいことにも近いことに気づいて
文転して経済学部を目指す。
当時の志望学部は数理システムだったけど
数理システムよりは経営者になりやすそうな感じがした。
鬼の追い上げ勉強の末、神戸大学経済学部に合格

大学入学後

推薦入試で合格後、入学までの3ヶ月を使い
なんか起業に有利と聞いたプログラミングを習得すべく
HTML/CSSを独学で勉強し始める。

同時に、高校生でも採ってくれるインターンも探し、
今思えば超ブラックだった「通信商材の飛び込み営業」も始める。
wifiの成約一件で2万円ぐらいもらえるやつ。
2ヶ月ぐらい頑張ったけど、契約一件も取ることができず
入学前に鬱っぽくなる。
入学と同時に逃げるように辞めた。

大学に入ってから

入学後すぐ、アイセックというまあまあ大規模のNPO団体に入った。
企業営業を担当し、営業成績は高かった。
NPOなのでお金は稼げないので、物足りなさを感じて一年生終わりに脱退。
学生団体の頃に良くしてもらっていたクライアントさんに
「つだくん、友達でアルバイトできそうな人紹介してくれない?」
と言われたのをきっかけに、
アルバイトの紹介事業を自分なりに開始。
事業家として最初の一歩になる。

アルバイト斡旋事業を始める

アルバイト斡旋の事業を始めて、
初めて作った自分の名刺を片手に、
まずは近くの学習塾にひたすら営業に回る。
月5万円ぐらいのお小遣い稼ぎができるようになった頃
朝から晩まで営業しまくっても
月5万しか稼げないコスパの悪さに気づく。
ビジネスでの集客の難しさを痛感させられた。

二個目の事業の失敗


アルバイト市場ではなく新卒市場を狙えば稼げるのでは
という単純な思考から「新卒斡旋事業」を計画し始める。
人材紹介業の許可はもちろん下りないから
「新卒イベント」を企画することに決める。

最初に作った企画書は
「学生を50名集めて、企業を10万円×6社集めるイベント」
というもの。売上60万、経費20万ほど。利益40万。

結果、
「無料で参加させてくれるなら残り5社は招致するよ」
と甘い言葉をかけてきた人材紹介会社をまんまと信じて
がっつり騙された。
ビジネスの集客という辛い部分から逃げた自分の弱さが仇になった。
開催の3週間前に、参加企業が0社という事態に。

急いで知り合いやテレアポでなんとか5社集めるが
開催の2週間前で売上は20万も満たない赤字状態。
学生の集客もまだ30名ほどでやばい。
そんな中で、起きた豪雨の被害により、
会場や、業者からの備品の発送が止まる。

止むを得ず中止に。残ったのは経費の20万円。
大人に騙されて、極限でなんとか見えた成功が遠退き
完全にメンタルブレイク。
(結果、優しい会場の運営会社さんがキャンセル料タダにしてくれた)

その後も何度も事業の失敗

次に、先輩起業家からアイデアをもらって始めた「高齢者向け断捨離代行事業」も見事に失敗。
数万枚の自分で作ったビラを朝から晩まで何週間もかけて配ったけど一件もお問い合わせなくて諦めた。

「失敗するとすぐに諦めてしまう理由はなんなんだろう」と考えた自分が辿り着いた答えが『好きなことをできてないこと』だった。
そんな理由で、その次は大好きだった音楽の領域で「アーティスト向け集客効率化ソフト」の開発を始める。まあ、御察しの通り、失敗して辞めるんだが。。(笑)

トレモロ株式会社創業

ソフトウェア開発にはエンジニアの力が必須だった。
それを機に、大学の友達と会社を作ることに決めた。
2018年10月、トレモロ株式会社創業。
2019年の1月リリースを予定して、開発を進めた。
その頃から、会社の軍資金を稼ぐために『ちょっと高校の美術が得意だった』という理由で知り合いのチラシのデザインなどを手伝い始めた。
その頃、デザイナーになるなんて思いもしなかった...

リリース予定日の2週間前、エンジニアが鬱病で倒れた。
すごく元気そうにしてたプツンと連絡が途切れた。
その時を回想して2019/10に書いたnoteが残っている。興味ある方は覗いてみてください。
サービス継続のために資金調達が必要になって、
焦りに焦った僕は、後先考えずになぜか1人で上京した。
泊まる先も、働くあてもなかったけど、神戸にいても会社とサービスが死ぬだけだったので、無思考に東京に行った。
3000円ぐらいの夜行バスで、音信不通になった数日後には東京にいた。
銀行残高は30,000円もなかったと思う。


投資家との出会い、そして自分も鬱病に。


今考えたら「本当に当時は極限状態だったし藁にもすがる想いで信じてしまったんだろうな」と思う、ある投資家と出会い、「投資する」と言ってもらえた僕は安心して、その人のオフィスの一角でプロダクト開発を続けることになった。

と、そこまではよかった。でもそれを信じた僕が間違いだった。その投資家は、「投資する」言って僕を自分のオフィスにずっとホールドしつつ、ずっと ああせえこうせえ と突飛押しもない指示で僕を振り回し、そして結局、1ヶ月ほど、投資契約書が巻かれることはなかった。

今思えば、他の投資家に資本を入れられないようにしつつ、でも僕のことを見極めたかったんだと思う。気持ちはわからなくもない。完全に僕の生命線を握られていることに僕が気づいてなかった。パワーバランスがおかしすぎた。反省している。

今思い返したら彼に「投資しとけばよかった」と後悔させたくて頑張れてる自分もいるから、結果的には感謝だけど。

そんなこんなで、銀行の残高も0に近づき、睡眠時間もほとんどなく、成果も出ない生活を続けてるうちに、毎晩のように希死念慮を抱くようになった。パソコンを触ってるだけで無意識に涙が溢れてくるような、一歩間違えたらあの時自ら人生を終わらせてたかもしれない。

そんな中で、いきなり訃報が入った。叔父が急死した。ハードワーカーだった彼の早死は、重労働生活をしていた自分の死を想起させた。葬儀を機に、プロダクトを諦めて、神戸に帰った。


でも、東京に出て、気づいたことがあった。

自分のデザインがめちゃくちゃ評価されることが多かった。

無意識に作った資料とかアプリのデザインがめちゃくちゃ評価された。


確かに、知人のデザインを手伝ってあげたらめっちゃ喜んでもらえた。

「自分はデザイナーとして戦えるんじゃないか?」と考え始めた。
そこから神戸で本格的に「デザイナー」を名乗って仕事をし始めた。


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自分の商品やプロダクトを売りたい一心でデザインを独学で学びながら磨き続けてきた。だから根底に「かっこいい物を作る」という価値観ではなくて「ビジネスを前進させる」という価値観があった。

誰かのデザインをお手伝いをすることは容易だった。

創業者の想いに向き合って、「集客」を前提に考えられるデザイナーは希少だった。知らぬ間に希少人材になっていた。想像の何倍も評価された。

自分がプロダクトを作ってた時の何倍も「誰かの力になれてる実感」があった。そこからデザインでしっかり生計を立てて、少しの贅沢ができるようになった。それがちょうど去年の8月ごろ。

資金ができたので、体を壊した経験から「健康事業をしたい」という想いが湧き、デザインのお仕事をやりつつ「ハーブティーの生産販売事業」を始めた。


コロナ到来


なんだかんだかなりお金をかけたハーブティーの事業も、リリース当初にコロナによって生産拠点が閉鎖した。嗜好品が売れなくなることは目に見えたので、今年の1月にクローズした。(コロナが落ち着いて、チャンスがありそうなら、すぐに再開したい。)

そのころ、ツイッターがバズった。

友達と撮った、なんでもない面白動画。

バズった時はまだハーブティーを生産していたが、リプ欄に垂れ流した広報のツイートから確か70,000円分ぐらい購入された。一生懸命ビラを配っても一円も稼げないのに、ツイッターがバズるだけで70,000円も売れる時代。

SNSの力を知ったキッカケだった。

コロナ時代、ビジネスをする上で生存できるのは
「オンライン上で誰かの信頼を得ることができる人」
だと痛感した。

先日、Youtuberのヒカルさんが自分で出したブランドが8ヶ月で10億円の売上を突破したことが話題になっていた。影響力とビジネスの相互性を象徴する出来事だと思う。

そこから、YoutubeかTwitterのどちらかを年内にフォロワー(登録者数)1万人いくには?ということを、戦略を練り始めた。

そして、いろいろ考えて、施策を打って、今に至っている。


それが、僕のこれまで。


今してること


これが僕の全て。今までの全容です。

今は、デザイナーとして様々な企業さんのビジネスを前進させるお仕事をしています。単なる制作というよりは、CI(コーポレートアイデンティティ)から提案するデザイナーとしてお仕事をしています。SNSのコンサルとかも、ちょっとだけお仕事しています。

最近はありがたいことにちょっとお問い合わせが増えてしまって全部にはご対応できてないのだけれど、出来る限りたくさんの方の力になりたくて日々キャパシティを増やしながら頑張っています。

そしてもう一つ始めたこと、これからの新しい挑戦があります。

でもこれ以降書くことはここだけの話にしてください
これはまた後日、正式にリリースをしようと思ってます。
その時には、知らなかった体で「そうなんだ!!」感を出して、拡散してもらえたらめっちゃ嬉しいです。

知ってる人がいない体でリリースした方がそれっぽくなるので。。

端的に言うと、東京のとある中小企業の取締役 CDOに就任して、経営者として活動することに決めました。神戸のデザイン会社のデザイン業をリモートでこなしつつ、東京で経営するという感じです。

50年続く30名ほどのデザイン制作会社です。入ることに決めた理由は「かなり最高に近のデザイン力と技術力/正確性があるのに、下請け体質で長年やってきたことが仇となって、それが評価されきってないし、そもそも自分たちでも自身の可能性に気づけてない。市場最適化させられたらとんでもないポテンシャルを発揮しそうだと感じてワクワクした」からです。直感ですが、いろいろ事業状況や財務状況を見たときにそう確信したのを覚えています。

その会社に出会ったきっかけは、上に載せたnoteをその会社の役員さんが見つけてくれて、オファーしてくれたって流れでした。やっぱりSNSって人生を変えてくれる。

デザイナーとしてのお誘いはよくあったけど、あくまで僕がやりたいことはデザインではなく経営。自分のデザインの知見を生かした経営が、自分の会社の数十倍の規模でできるならそんなやりたいことはないと感じて、即決しました。


実をいうと、神戸での生活にちょっとだけ嫌気がさしてることもあった。
ビジネスの世界で戦う人がそもそも少ないからずっと孤独だし、お金を稼いだとしてもそれで発散する場所すらない。周りはまだ学生なので、仕事の苦悩を話せる相手も限られてくる。自分が進めば進むほど、孤独感を感じて、いつしか麻雀とかYoutubeを見てる時間以外ずっとネガティブな気持ちになってた。頑張って見える世界がこんなんなら死んだ方が幸せじゃないか?なんて思ってしまったりもしていた。だから、そんな生活を変えたいと思ってた。オフィスを移転しようか、新しい事業に挑戦しようか、迷ってた。そんな中でのお誘いだった。


これからの夢


やっぱりずっと一貫してるのは、まずは今を楽しんで、余裕がある時間で前に進み続ける人生がいい。前に進み続けて、得た力を惜しみなく使って誰かの役に立てたらいい。ざっくりしてるけど。

そのためにまずは「デザインがわかる経営者」という唯一無二の存在として、日本で有名になりたいと思っている。デザイナーじゃない。デザインができる経営者として。

だから今は今の会社の経営再建を主導することに力を注いでいる。Twitterの更新が疎かになるほど、(それはごめんなさい)ずっと経営のこと考えている。今までにないぐらい、のめり込んでる。

せっかく与えられたチャンスを必ず恩で返して、次のステージを目指したい。まだまだ、これから。まだプロローグにすぎない。

余裕ができたらYoutubeとかもやりたいし、もっと多くの事業を手掛けたい。せっかくなら僕が作った何かのサービスが知らぬ間にこれを読んでる誰かに届いて、「えっ、これ作ってるのつだしんごだったんだ」なんて思ってもらえたら最高だよな。エモい。そんな夢もある。


これが僕の夢です。

そしてこれにてこのnoteも終了。


ほとんど学びなかったって?それは本当にごめん。
でも僕のこと知ってもらえたと思うので、僕としては満悦です。(笑)


最後にあとちょっと、最近ハマってる曲を紹介させてください。笑

Mr.Childrenの「Tomorrow never knows」って曲ご存知でしょうか。

名曲ですよね。その曲の中でこんな歌詞がある。

” 勝利も敗北もないまま
孤独なレースは続いてく ”

ここで毎回泣いてしまう。

みんな孤独なんですよ。
孤独なりに、終わりのない戦いを耐えて生き抜いている。

もし何かに挑戦してる人、でも報われない人、今が幸せじゃなくて悩んでる人がこの読者にいるなら、偉そうに言いたい。

信じてたら、たまに報われるから。
安心して挑戦しよう。笑


僕も最初は「普通の大学生」だった
どこにでもいる普通の大学生。

そこから特別な何かになることを夢見て、がむしゃらにいろいろ試して
4年経ってやっと、皆さんにこうやってちょっとは興味を持ってもらえる人間になれた。

督促状の嵐で80000回ぐらい泣き散らかした。
嫌われることの方が多かったし
「間違ってるよ」って否定されまくった。
大事な人を裏切ったこともあった。
そんな不十分な自分でも、ここまでやってこれたし、これからも不十分なままで、前に進んでいく。

諦めそうで死にそうなタイミングで、神様はちょっと意地悪に光を見せてくるからな。だからまだ生きる意味を感じる世界。

辛いということは、チャンスが刻一刻と迫ってるチャンスかもしれない。

辛くても折れずに、命だけは保って、自分を信じて進んでほしい。これは、これからの自分にも常に自戒として持っておきたいこと。必ず報われることはあるし、報われる前はだいたい拷問のように辛い。だからもう少しだけ耐えてがんばれ。


報われなくて死にたい人がいたら、死ぬ前にDMください。煌びやかに楽しそうに見えても、だいたい僕もずっと悩んでるし、気持ちわかる気がするから。笑


今日も今日とて、何かを夢見て頑張るぞ。

ありがとうございました。

これからも頑張ろう。



つだしんご




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