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2021.7.22.thu. 捨てる神あれば拾う神あり。

姉は大学を出てから定年手前までハウジング系の企業に勤めていた。毎日同じ電車に乗り、何十年と通っていたことだけでも私にとっては驚きだ。

そんな姉の会社の同僚たちと一緒に、私もよくあちこち遊びに連れて行ってもらったものだ。姉と待ち合わせのときは会社にもよく行ったし、みんな気持ちのいい人たちで、私はその中の妹的存在として可愛がってもらっていた。そのうち世間ではバブルがはじまり、その会社もすっかり立派な大企業に成長した。動物的勘で生きている私は、その頃から会社に行くことも少なくなっていったような気がする。

まあそんな姉の会社では、仲のいい女子たちでお誕生日のプレゼント交換だとか旅のお土産のやりとりといったことが行われていた。姉がもらってくるよくわからない飾りだとかぬいぐるみだとかを見るたび、そんなけったいな世界もあるのだなあと思って見ていた。べつにいくつになってもぬいぐるみちゃんが好きっていう人がいたっていいし、私がとやかく言うことではないのだが。

ただ、私は知っているが、姉はそういうものが好きではない。ファンシーショップで売っているようなアクセサリーケースとか、人形とかぬいぐるみちゃんが。贈る本人は何を思って選んだのだろう。本気で喜んでもらえると思っていたのだろうか。そこがわからない。長いあいだ勤めていたせいで、彼女の部屋にはそういうよくわからない物がずいぶんあった。姉もどんなものを贈っていたのだろう。

で、写真の水差し。これも姉がもらったよくわからない物の一つだった。どう考えても姉の趣味ではない。食器棚にしまわれて一度も使われたことのない、そしてこれから先も絶対と言っていいほど使われることのない場所塞ぎのピンクのでっかい桃型の水差し。

いったいどんな人が何を考えてこのでっかい桃を姉にプレゼントしたのだろう。笑いをとるため? いや、きっとその人はマジでこの桃が気に入ったのだと思う。欲しいけど、じぶんのうちには大きくて置く場所がないとか、和風のうちだからちょっと合わないとか。それで好きなそれを姉へのプレゼントにして満足した。そういうことだろうか。

じつは、私はこの桃が気に入ってもらってきたのだ。姉は大喜びだった。大きさもべつに気にならないし、うちにはふつーに馴染んでいる。夏場はとくに毎日水差しとして使っている。調べてみると、イタリアの手作り果物シリーズのようで、ほかにもブドウ、レモン、イチゴなんていうのが見つかった。モモだけは捜せなかったが。2リットルは軽く入るこの水差しに毎朝水を入れて、飲み切るようにしている。


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