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第8話 山椒魚 (投稿時テーマ 四国)

 山椒魚は悲しんでいた。
 大切な友人を失ってから、数十年が経っていた。
 それでも、山椒魚は、その友人を思って、いつもさめざめと泣くのだった。
 山椒魚は、既に二百年近くを生きていた。山椒魚は長くても数十年の命と言われているから、彼が如何に長寿であるかがわかる。体長も二メートルを超えていた。
 これ程に長命となると、山椒魚も知恵を持つ。人語も解するようになり、酒の味も覚える。それに従って、山椒魚の仲間内からは疎外されるようになってくる。
 そんな時に出会ったのが、カワウソだった。カワウソもまた長寿で、百歳を超えていた。
 山椒魚と同様に、人語を解し、酒も好いていた。それどころか、後肢のみで素早く走ることも覚えていたし、前肢の爪を器用に使うことに長けていた。
 夜になると、カワウソは人里へ降り、酒と肴をくすめて来るのだった。
 二匹は、酒を嗜みながら、語り明かすのだった。
 カワウソは、山椒魚を年長として敬い、心底から尽くしてくれていた。
 山椒魚は、カワウソの機敏さ、器用さに敬服し、話し相手となってくれることに深く感謝していた。
 二匹は、お互いの本能に基づいた縄張りの範疇に入らないようにだけ注意しながら、酒を嗜んだ。
 二匹の酒は、人間どもを反面教師としたのか、大変に行儀のよいものだった。
 けっして「記憶を無くして、翌日に相手の顔を見るのが大変に辛い」などという事態には陥らなかった。
 そんな蜜月のような十数年が続いた頃だった。
 その夜、カワウソは少しだけ深酒をした。
 なんでも、川で休んでいる姿を、心ならずも人間に見られてしまったのだという。
 細心の注意を払って、長年にわたって、人には姿を見られないように過ごしてきた彼にとって、そのことは大失態だった。
「また、俺の毛皮を狙って、あいつらが出張ってくるのかと思うと、鬱陶しくてね」と何度か愚痴をもらした。
 カワウソ自身も、少し飲みすぎていることを自覚していて、いつもよりも早めに山椒魚の許を辞することにした。
「さて、本日は、申し訳ないがこの辺りでお暇させていただきますね」
 よいしょ、とカワウソは立ち上がった。
 やはり、カワウソは少し飲みすぎていたようだった。
 立ち上がった瞬間に、足元がふらついた。
 転びそうになったカワウソは、前肢を地面について四つん這いになった。
「本当に、呑み過ぎてしまいましたね」
 カワウソが苦笑いをもらした時だった。山椒魚の大きな口がおもむろに開かれると、カワウソの頭を勢い良く噛み砕いたのだった。
 一瞬で、カワウソは絶命した。
 山椒魚は、口の前に来た物は、それが何であれ本能的に飲み込む習性を持っている。だから、二匹は一定の距離を保って過ごしてきた筈だった。……筈だったのに。
 それ以来、山椒魚は悲しみ続けている。
 そして、山椒魚は知らない。彼が、ニホンカワウソの最後の一匹だったことを。


【蛇足的な補足】
殊更言うことではないかと思いますが、拙作と違い、井伏鱒二氏作の「山椒魚」は名作中の名作です。

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