ただの一日を贈る

元旦という名前のついた一日は、ひとつなぎの冬のとある一日。
今日は昨日の地続きで、昨日と変わらない速さで心臓が動きます。

昨日と地続きの一日を「新しい年が始まる日」と区切るのは、気持ちを仕切り直したいからかもしれません。

適当にすごした日を許したい。どうにか死ななかった日をねぎらいたい。
嘘しかつけなかった日をかばいたい。
今年がいい年でありますように。
期待をはらませて仕切り直しをはかります。

ただの一日に「おめでとう」を添えるのは、仕切り直しできる命を祝うためかもしれません。

自転車の高さの風に、髪が揺れます。
マスクの内側は暖かく、息をする自分がいます。

2021年は「令和」3年。
時代を区切って名前をつける文化は、世界でもめずらしいと聞いたことがあります。
名前のついた時間帯の3年目、スタートラインに立つ私たちがいます。
いわゆる「風の時代」の大きな時間のスタート地点、こちらは雨が降って初日を雲で覆い隠しました。

会いたい人たちに会えなくても、何度も期待します。
今日を地続きの一日にするための営みは続きます。

あなたや私がここにいるのは、ただの一日を何万回も生きたから。
いつかそれぞれの終わりが迎えにくるまで、私たちから迎えにいきたくなりませんように。
失望も絶望も希望も含んだ空気を吸って、血管のすみずみに贈ります。
諦観としぶとさと祈りが混じった息を吐いて、マスクの内側を暖めます。

目的地は知らないけど行きたいところがある私たちに、また一日が贈られました。
あなたが生きていて嬉しいです。私も生きててよかったです。
明けましておめでとうございます。


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