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星を見る人は


2020年 2月 北海の光

 早朝からの鮭釣に備えてテントを張ったオホーツク海側のキャンプ場で目を上げると、水平線の際から空一面に星がぎっしりと詰まっていた。あまりの数の多さに息を呑んだ。

2018年9月6日、午前3時8分に北海道胆振東部を襲った地震で、道内全域が停電したブラックアウトに襲われたあの日の夜、自宅の玄関先で天の川を見た。震源地では大惨事であることを案じながら、逃れることの叶わない闇の中で空一面の星を見た。星を見るより他に出来ること、したいことがなかったように思う。

電気エネルギーの恩恵を遮断され、闇の中に置かれたあの時に見た星空は今、街の明りに消える。


 占星術の学者らがユダヤ人の王の誕生を星によって知り、東の国からはるばる拝みにやって来る。一方エルサレムではヘロデ王を始めユダヤの上層部でも気付く者はなかった。すでに神の救い主が到来しているのに、自らを救いの器と自負する者らが知り得なかったことを、外国の学者らが発見していたことには驚きを感じる。何故だったのか。


 星を見る人は闇に身を置く人であり、闇を知る人である。闇の中でこそ、星の光が得られる。神のなさる救いを求める人は、昼日中の一切の業から離れて深夜のように自らを静め、星の光に目を凝らす如く祈ることが必要だろう。それと同時に、神の救いの道を歩もうとするなら、この世の闇の中に、あるいは闇の時代の中に恐れず身を置くことも、闇の中にいるという自己認識も不可欠なのではないか。


降誕日の直前、ある人から連絡を受けた。
社会を震撼とさせた事件を引き起こした若い犯人をめぐる報道を受けて、心に抱えた苦しい心境の吐露だった。

さらにこの人は、祈りの言葉をつないで、孤独な罪びとの救いのためにキリストの御名によって祈ったのだ。私は涙が出るほどの感動を覚えた。おそらく日本中の大多数が一瞬見ただけで通り過ぎるであろう孤独な若者の前で足を止め、自分の子どもの姿を重ねて見つめ、心を乱しながら祈る人。

逃れられない闇に置かれた者が目にする星の輝きとは、この人のような存在ではないだろうか。キリストの救いを求める者の一人として、闇の時代に歩む勇気を与えられたと感じている。そして、この祈りの人と共に、この祈りの成就と共に、いつの日にか主の食卓を囲む時が来ることを、私は祈る。

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