わたしは夜がとても寂しい
わたしは夜がとても寂しい
昨日の夜のことです。わたしはタッパーになりました。正確に言うとタッパーの一部が溶けてわたしとくっついて、白くて四角い蓋のついたタッパーにわたしは閉じ込められてしまいました。どんなに足掻いてもそこから出られず、苦しくって、しかしこれが夢だとわかります。タッパーなんて馬鹿馬鹿しい。夢から醒めろ。わたしは自分の頬を叩き、その瞬間景色が変わります。わたしの部屋になります。まだ夜です。あたりは暗く、悪夢のせいで汗をかいたわたしは、体をおこし、水を飲もうとします。しかし指一本動かせません。それどころか布団が重く、わたしの体を押し潰して来て、息が出来ず、過呼吸になります。もっと苦しくって、ここにいちゃいけない、と部屋からどうにかして出ようとしますが、タッパーに閉じ込められたように外に出られず、苦しい、助けて、これは夢だ、これは夢だ・・・
ぱっと
腕が垂直に上がります。掌の隙間から天井が見えます。途端に部屋が明るくなって、息が出来ます。
助かった。
重たいながらも体が起こせます。じっとりと汗をかいています。しかしこれも夢ではないかと思い頬を叩きます。鈍い肉の感触はあれども頭はふわふわと、ぼんやりとしていて、よくわかりません。ですが掌にわたしのものではない別の熱が伝わります。恋人の太ももでした。わたしの隣には恋人が寝ていて、彼が部屋の明かりをつけてくれました。自分とは違う熱でわたしはこれが夢ではないとようやくわかり、息を吐きます。わたしの様子に驚きながらも彼はペットボトルの蓋を開き、水を飲ませてくれます。冷たい気持ち良さが喉に流れ、
生きている心地がします。
わたしは夜がとても怖いです。夜にはいつも変なことが起こります。
例えば悪い夢を見ます。タッパーや部屋の中に閉じ込められて何処にも行けません。よく見るのは壁の穴の夢です。それはわたしの実家の二階の廊下に実際に開いていた穴で、夢の中では風や水が通って色んなものが流れ落ちたり吹き落ちたりしていきます。大好きだったミニモニのオレンジ色のキャップ、72の数字がプリントされたTシャツ、マルキョウの鮮魚コーナーにあった生簀、お母さんの作ったオムライス、いつの間にか何処かに行ってしまったもの達が現れては壁の穴の中に落ちていきます。わたしの父が妹を殴ろうとして、妹が避けて開いた穴がわたしの夜にはよく現れます。
或いは自殺未遂をします。1回目はマルキョウの近くの歩道橋、2回目は天神コアという8階建ての商業ビルの屋上。わたしは夜に家を抜け出して高い所から飛び降りようとします。下を見ると車のテールランプやビルディングの灯りで世界がキラキラと輝いていて、ここから落ちればきっと何もかもなくすことが出来ると思います。6歳の頃に急に母がいなくなって、毎晩ぬいぐるみのくまちゃんと寝ていたことや、
くまちゃんさびしいよ
まま何処に行ったの
と毎晩泣いたことや
或いは星が降って来ます。
わたしは星になる夢を見ることもあります。
流れ星が降って来たのと同じなんよね。なんか、誰にでも落ちる可能性はあるんやけど、それが「たまたま」わたしやったってだけで、ひゅるりって綺麗なのが落ちて来て「たまたま」わたしの頭にぶつかって、それから何かが取り付いたって感じ。
わたしはその夜食卓を前に、彼にわたしの病気についてそう話しました。幼少期、私の父は仕事を終えて夜遅くに帰って来て、母はずっといません。家には食べ物が殆どなくて、昼間は給食があって友達がいるからまだしも、
夜はとてもお腹が空いて
さびしい。
わたしは給食の残りのパンをたらふく持って帰ったり、何もないけどお腹が空いて堪らないので、クリープの黄色い缶を舐めて丸ごとなくしたり、パンにつけるピーナッツやチョコのクリームやマーガリンを食べたりして、とっても太っていたことを思い出しました。小学生なのに体重が70kgくらいあって、それで周りやパパからデブ、ぶた、と虐められ、パパから殴られていたことを思い出しました。思い出がぽつりぽつりと、口から溢れ落ち、初めて彼の前で泣きました。
夜がとても怖いです。
沢山のことを思い出します。
わたしは夜がとても寂しいです。
流れ星が降って来ます。
「でもそれは、わたしが悪いわけじゃなくて、「たまたま」星が降って来ただけで、わたしじゃなくて他の誰か、例えばおまわりさんだって同じ目に遭う可能性はあったわけで、或いは他の形で「現れる」こともあるわけで、
例えばあなたのうつのような「現れ」
それがわたしだっただけで
摂食障害としてわたしには現れただけで
流れ星だと思うんよね
でもどうしてわたし「だけ」
わたしだけに落ちて来たのでしょう
夜がとても怖いです
ひとりだからです
わたしは夜がとても寂しいです
寂しいと何もないので
食べてしまいます
食べることは生きることです
親が食べ物を与えるのは愛です
「だけどそこに戻りたくないんだよね」
ぱっと
恋人の言葉に私は我に帰り、強く肯きます。目の夜ご飯にはあまり口を付けていませんでした。それどころかもう付けなくても良いかなと思っていて、わたしの過食は夜に酷くなるから気を付けろと病院で言われていましたが、この夜は自然と箸が止まっていました。彼に、我を忘れて食べることが誰かといる時に始まったらどうするの? と尋ねられ、そう言えば友達といる時に過食したことはない、と返して不思議に思いました。
わたしは夢を見ます。
わたしは夜がとても寂しいです。
天神コアの屋上には8階の階段の先の扉から入ることが出来ました。空調機やパイプが並ぶ中を潜り抜け、屋上の端の方に立ちます。夜風がびゅっと吹き付け、セーラー服のスカートが綺麗な円を描きます。額は夏の蒸し暑さに汗をかき、あと一歩踏み出せば、全部なくなる。
17歳の私はまだ太っていました。ずっと嫌でした。
壁の穴は修理されず何年経っても開いたままでした
そこから私も零れ落ちるのだ、今。
体をゆっくりと傾けていきます。
街の明かりがキラキラと光って見えて、とっても綺麗で、息が苦しいです。ここにいちゃいけないのに、何処にも行けなくって、苦しい、助けて、ようやく
ぱっと
誰かに腕を掴まれます。天神コアの警備員さんでした。傾いていた体は地上に連れ戻され、掌から彼の熱が伝わります。
助けられてしまいました。
警備員さんは私を警備室に連れて行き、紙コップの冷たい麦茶を飲ませてくれました。生きている心地がして、
涙が出ます。
何があったのと尋ねながら、彼は私の手を優しく握ってくれて、その感触に私はこれが夢でないのだとはっきりわかります。
自分を殺す夢を見ます。
62歳と言っていた警備員さんがまだ生きているかはわかりません。
夜が怖い。
わたしは夜がとても寂しいです。
しかし恋人と食卓を囲んだ夜に、わたしは何かが降って来るような気がしました。
彼はうつを経験したことがあって、彼にも父親がいませんでした。ですが、周りの支えのお陰で回復したと言い、私が作った料理を美味しい美味しいと言って食べてくれました。そして
「あなたはひとりじゃない」
「一緒にいたい」
と言ってくれました。わたしはそれが嬉しくて、カロリーや量のことは考えずに彼と食事をして、自然とお腹がいっぱいになれました。一緒にベランダに出て7階から夜の街を見ました。やたらとパチンコとラブホテルの明かりがぎらついているのに笑って、下を見ることはありませんでした。
「良い夜だね」
「本当、こんなに良い夜は久々」
わたしは心からそう言いました。寂しくて夜ひとりで泣いてしまうことがあります。パパもママも帰って来ません。わたしと一緒にいてくれる人は誰もいなくて、ひとりぼっちの星になる夢を見ます。何処か遠くに行きたいのに足掻いても足掻いてもタッパーから出られない夢を見ます。お腹の中心に壁の穴がぽっこり開いて、食べても食べても全て零れ落ちる夢を見ます。夜は一番ひとりで、寂しくって、けれども悪夢は誰かの熱で醒めることが出来ます。そうして起きると、わたしはひとりじゃないと言ってくれる誰かがいます。
「あっ流れ星! ウッソ〜みたいな下らん話したくない?」
「UFOなら見たことあるんやけど」
「まじ?」
「うっそー」
恋人が悪夢から目醒めさせてくれたその日、次の日の朝まで夢を見ることはありませんでした。わたしは週に一回恋人と夜ご飯を食べるようになりました。次の月には友達とも、何年かぶりにご飯に行きました。次の次の月にも行きました。不思議と我を忘れて食べることもカロリーや量を気にすることもなく、「普通に」食べられました。次の年にわたしは恋人とも友達とも旅行に行きました。どちらでも夜遅くまで起きて重たい身の上話も馬鹿馬鹿しい話もしました。それでもふたりとも側にいてくれました。夜眠る時に大好きな人の寝顔が見えて、もしまた悪夢を見ても大丈夫だと思いました。心配は杞憂で、昼過ぎまでぐっすりと眠れました。わたしはあなたとも繋がりたいので
もう一度語らせて下さい。
昨日の夜のことです。
わたしの病気の根底には寂しさがあります という
星が降って来ました
それはわたしの体を巣食うことなく
壁の穴を何度も行き来しては
ぱっと
あたり一面に散って
世界を照らしました
壁の穴を通り過ぎた全てが
何もない空間に
キラキラと
ある道を照らし出します
わたしは体が自由に動かせ
息を大きく吸い込みます
冷たい風に涙が乾き
生きていました
わたしはくまちゃんの手を取って
タッパーと部屋からようやく
外に出ます
わたしは夜がきても
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