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私がハワイ島で綴った言葉たちとその思い出。

自分が言葉を書き留めるようになってから、心地よい文章を書く作家さんの本を読むようになってから、どんなに外国語に興味を持ち勉強をしてきたとしても、日本語以上にやさしい、温かさを表現できる言語はないなと思う。

人生で初めてハワイ島に到着して、ひとりでの生活を始めた私に日本語の本を貸してくれた人がいた。雨も多いヒロだったから過ごし方を学び始めた私にとって本を読むことは自分の時間に浸りながら、ハワイ島の雨や自然の音、匂い、風を感じられる良い時間だった。

当時読んでいた作者の別の本を今読むと、その時の記憶やハワイ島での生活の記憶、私が日々の生活を思いのままに綴っていた時の優しい記憶が戻ってくる。

この作者の文章の書き方に、所々目の前にある景色とその色、その時に感じる切ないけれど優しい感情があり、それが私が特に最後の限られた数か月のハワイ島の生活で感じていたこととリンクするからなのだろう。

その書き方はただ目の前にあることをそのままに、「今」目の前にあることを「素直」にそのまま文章にしている。その瞬間だけに注目している。

それが私があの時やっていたことだったからだろう。

 こんなに確かに今あるここが、来年の夏には跡形もない。そんなことぴんと来るはずもない。
 毎日なんてずっと、なんてことはなかった。この小さな漁村で、寝て、起きて、ごはんを食べて暮らした。調子が良かったり、悪かったり、TVを見たり、恋をしたり、学校で授業を受けたりして、必ずこの家へ帰ってきた。その繰り返しの平凡をぼんやりと思い返してみるとき、いつのまにかそこに、ほんのりあたたかく、さらさらした清い砂いたいな何かが残る。
ほのかなそのぬくもりをそっくり感じて、旅疲れで少し眠い私はうっとりなつかしい幸福を味わっていた。

TUGUMI 吉本ばなな P67

こんな文章を読んでいるときに真っ先に思い出す思い出がある。

それは友人たちとある家にガレージに集まって、用意してくれたお茶やケーキを楽しんだり、ウクレレをみんなで弾いたり、降ってきた雨とその雨で下がった気温の寒さを感じたり、雨上がりに見た虹のこと。

あと少しのこの時間が終わってしまう、その切なさを感じながらも、一日一日を大切にしようと生きていた日々。この時間が私の人生の中で宝物になると確信していた生活。

帰り道に友人が言った、「あと何回『またね』がいえるかな」という言葉。

あんなにも悲しさと心温かい気持ちが同時に入り混じったことはない。
これを切ないという言葉に表すこともできるのだろう。


「せつない」という言葉は、
① 非常に親切である。たいせつに思っている。心にかけて深く思っている。② 悲しさ・寂しさ・恋しさなどで、胸がしめつけられるような気持である。

という意味があるようだ。

私がこの言葉を別の言語で表そうとしたとき、私にはどんな言葉も見つからない。その言語を深く知っていて、流ちょうに話せれば似た言葉やその言葉の説明をして荒らさすことができるだろう。

でも自分にはこの日本語の言葉がしっくりくる。

当時このnoteで『ハワイ島留学日記』というシリーズを作り、日々募る思いを書き留めていた。時には心の叫びのような文章になったり、時には紹介をする記事みたいになったり、ものすごい集中力でいつの間にか3000字、4000字、5000字と文章を書いていた。

今はその時のような衝動や集中力はない。
あの時とは少し違う。また日々いろんなこと感じて文章を書く日が来ればいいなと思っている。


今は人々が書く文章を読み、楽しむ時間にしようと思う。

Lino

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