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子どもの興味に目を向けること

そもそもの始まりは、1年ほど前に受けた「マザーズコーチング」だった。

コーチングの講座を受ける中で、講師の方からふと出た言葉。

「子どもって、自分の好きなものに親が興味持つとすっごい嬉しいらしいよ」

へー。

まあ、でもそうか。そりゃそうだよね。大人だって自分の好きなものの話に誰かが食いついてきたら、饒舌になっちゃう。子どもだって同じ。当たり前だ。

とはいうものの、そう言われるまで、あまり頭になかった。だからその言葉で初めてそれを意識して行動するようになった。

長男はちょうど虫に興味を持ち始めた時期だった。よっぽど急いでいなければ、見つけた虫を一緒に覗き込んだり、「なんていう虫かなあ」「すごい柄だねえ」とか言って話したりした。仮面ライダーの話も、あまり興味ないけど、ないなりにちょっと話にのってあげたりした(笑)息子はそりゃあ嬉しそうに、生き生きと話をしてくれる。私はその顔を見るのが嬉しかった。

子どもといると、色んなところで立ち止まり、思うように動いてくれないことも多い。「はやくはやく!」と急かすことばかりで、こっちもイライラ。でも「この子は今これに興味があるんだ」「私が興味を持つと嬉しいんだ」そう意識するだけで、少し、心に余裕が持てた。


決定的だったのは、『センスオブワンダー』という本との出会い。

<sense of wonder>とは神秘さや不思議さに目を見張る感性のこと。自然と向き合うことの素晴らしさを説いたこの名著は、特に作者が自然の中で実の孫と過ごしたエピソード、子どもと自然との関わりの大切さについて、とてもとても心に残る素敵な言葉が綴られている。

「知ることは、感じることの半分も重要でない」

これは、おそらくこの本の中で一番有名な一節。つまり、知識よりそのものに見たり触れたりして得られる感動の方が大切ということ。虫を見てその名前を瞬時に言えることより、「不思議だなあ。面白い形だなあ。綺麗な色だなあ。」と感じる心、その感性の方が重要なのだ。ここでまず気楽になる。だって詳しくなくたって一緒に楽しめばいいんだもの。


そして、さらにハッとしたのは、

「生まれつきそなわっている子どものセンス・オブ・ワンダーをいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が少なくともひとり、そばにいる必要があります」

「子どもといっしょに自然を探検することは、あなたの感受性にみがきをかけるということ」

センス・オブ・ワンダーは、すべての子どもが生まれもつ豊かな感受性。だけど大人になるにつれ社会のつまらないことや人工的なものに気を取られて多くが失われてしまうらしい。実際、私もそんな感じだった。そりゃあもちろん、綺麗な景色を見れば綺麗だと思ってはいたけど、せわしない日常に合わせて"意識"も"感覚"も大して働かせず流していたように思う。

ところが、「ママ、見て!」と言う子どもの興味に寄り添ってみる。彼らの目線までちゃんと降りてみると、そこには私が長年素通りしてきた世界が広がっていた。子どもたちと一緒になって「ふしぎだね。きれいだね。」と話していると、まるでぼやけていた視界にきっちり焦点が合うように、花も虫も空も月も前より輝いて見えるようになった。周りのちっちゃなことに一々感動できるようになった。子どもたちが、私のセンス・オブ・ワンダーを取り戻してくれた。

これが私の、2019年最大の気づきだった。


子どもが、自然の神秘に目を輝かしている姿は見ていてたまらない。それは以前から素敵だなと思ってはいたけれど、今は我が子とそれを共有するのがとても楽しいし、日常でふと訪れる幸せな時間だと思ってる。

私は完璧な母親じゃない。毎日イライラもすれば、ガミガミ怒鳴ったりもする。コロナで休園になっちゃって結構参ってもいる(ご時世)それでも、こういう風に幸せに感じる時間がある。そう思える瞬間が増えた。それが素直に嬉しい。

これから息子や娘がどんな風に育っていくかなんてわからない。でも彼らと新鮮な感動を共有できる今の時間を、なるべく大切にしていきたいと思っている。

最後に、「子どもの興味目を向ける」ならこんな絵本もいいんじゃないでしょうか。大人にちょっとした気づきをくれる作品たち。


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