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私の愛し方、あなたの愛し方。

人それぞれの、愛の表現 が美しいと思った。
今日もどこかで、誰かが静かに誰かに恋をしているらしい。
(愛=恋愛とは限らないけど。)
その静寂であり、ふつふつとした確かに熱い気持ちは
そのままでいいのかしら、とお節介な私が登場した。
けれど、それもまた美しいと思う。
相手をどういう形で、どのように愛するということは
その人の自由なのよね。
人の数だけ、あらゆる愛がある。この世界の言葉に当てはめられない愛がある。

大きすぎる愛を これ、もらって大丈夫ですかね?ってなっている人もいたり、
不恰好な愛を照れながらガサツに差し出しているけれど 気づいてもらえてなかったり、
分割になってる愛に、気づかずに「ねぇ、なんで愛をくれないの?」「モットクレ…」と言っている人もいる。
はたまた、あなたの愛は私には痛いから合わないと思うという人もいる。
あらゆる愛の表現の中から、自分にしっくりくる感じを誰だって見つけたい。
自分なりの愛し方があって、相手の愛し方がある。

何通りの愛の表現があっておもしろい。そして美しい。
それが、"愛"であることに変わりはない。
たとえそれが第三者に理解されなくとも、存在すること確かである。
誰がなんと言おうと、相手との間に愛があるのなら
この世に名付けようのない関係があると私は思う。
愛にはいろんな色がある。

時々えーんごめんーとなりながら
"ありがとう"と"ごめんなさい"を繰り返して
人は魅力的になっていくんだと知った。
相手のおかげで、味が深まっていくんだと思う。
愛しいって美しい。

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