FUKA

北海道生まれ。脳性まひ。小さい頃からずっと、地域の中で育ってきた。近所の大人や子どもと…

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北海道生まれ。脳性まひ。小さい頃からずっと、地域の中で育ってきた。近所の大人や子どもとの会話中で「地域で生きる」ことの気づきが生まれた。自分の好きなお洋服を着て、お出かけするのが日ごろの楽しみ。脳性まひの私の視点。

最近の記事

27年間、まとめ

この人生で「自由と不自由」について考えることが多い。 きっと一生のテーマの一つなんだと思う。 あなたから見たら私は不自由に見えるだろう。 私は産まれる時のトラブルで、母のお腹からなかなか出てこなかった。15分間息をせず、紫色で出てきた私を見て医師は私の命を諦めていた。母は医師に「この子を生きさせろ!」と叫んだ。母が諦めなかった命。私も諦めなかった命。 この身体を借りて今を生きている。 そうして一見不自由となった私の身体。 でも、私からしたらあなたも不自由ね、と思う。 私は絶対

    • 君はやさしいヒーローさ。

      「アンパンマンにお茶入れて。」 と、この生涯で何回口にしたんだろう。 私が小さい頃から使ってるアンパンマンのコップ。 お茶もコーヒーもぜんぶこのコップに入れて飲んでいた。二十数年間愛用していた。それがとうとう最後の一個となってしまった。 "アンパンマンユニバーサルデザインカップ" 製造元:株式会社梅屋さん そのアンパンマンのコップは緩やかな台形で、飲み口のところにストローが固定できる突起がついている。ストローが固定されるため、ストローと追いかけっこしなくていいし、コップから

      • ただおトイレがしたいだけ。

        街中のあるトイレで不思議な現象が起こる。 数年前、多目的トイレが多目的すぎる目的で使われたことが話題となった。それは一つのきっかけでしかない。多目的すぎる目的で使う人は、前々からいたわけで…公園のトイレは夜になると鍵がかかる。昼間でも鍵がかかっていて入れないこともあった。 この広がりすぎている目的の中で、"ただトイレがしたい"というシンプルな目的を持つ人が埋もれている。 オストメイトを使う人も、ベッドを使う人も、子を連れた人も、男・女のトイレが使いにくい人も、目的は"トイレ"

        • 「私と…どっちを選ぶの?」

          何か釈然としないことがあったとき同じ夢を見る。 大学で講義の出席日数が足りなくて、単位を落とし卒業できないという夢。大学を卒業してから数年経っているのに、毎回大焦りして「まずい、やらかした!」とちゃんと思っている。とても心臓に悪い夢だ。起きて「や、大丈夫。卒業してんじゃん。」という確認作業をして、ホッとする。でも、ちょっと嫌な気分になって、どこに向けてかわからない「なんやねん。」を心の中で言っている。 そんな夢を見て思い出した出来事。 大学に入り新しい生活に馴染んだ頃、私は

        27年間、まとめ

          雪道筋トレ

          買い物に行った。あそこのスーパーは野菜が安い。 でも、牛乳はあっちのスーパーの方が安かった〜。 「〇〇使い切りました〜。」 「〇〇がなくなりそうです。」 と介助者からの報告が相次いだ。 あぁ〜、買い物行かなきゃ…。というわけでスーパーはしご旅になった。 今時期の北海道は、若干春の顔が出ていて雪道がザクザクしている。 おかげで電動車いすの乗り心地はジェットコースター。人によっては酔う。それに加えて、ロードヒーティングと雪があるところが段差になっており、思わぬトラップが出現する

          雪道筋トレ

          私の愛し方、あなたの愛し方。

          人それぞれの、愛の表現 が美しいと思った。 今日もどこかで、誰かが静かに誰かに恋をしているらしい。 (愛=恋愛とは限らないけど。) その静寂であり、ふつふつとした確かに熱い気持ちは そのままでいいのかしら、とお節介な私が登場した。 けれど、それもまた美しいと思う。 相手をどういう形で、どのように愛するということは その人の自由なのよね。 人の数だけ、あらゆる愛がある。この世界の言葉に当てはめられない愛がある。 大きすぎる愛を これ、もらって大丈夫ですかね?ってなっている人も

          私の愛し方、あなたの愛し方。

          さりげないキュン。

          よく地下鉄を降りてエレベーターに乗るときに、ボタンだけ押して去ってゆく人がいる。その人自身はエレベーターに乗らないのに、通り過ぎる間にスッとボタンを押していく。 私がありがとうを言う間もなくいなくなっているので、心の中で 「ありがとうございます。あなたに素敵なことが起きますように。」と思う。 髭にカールのかかったダンディな方からストリートキャップをかぶったラッパー風のお兄さんまで(たまたま男性が多い)スマートにボタンを押し、さりげなく去ってゆく。(胸キュンポイント。) この少

          さりげないキュン。

          はじめましてで、ありのままを見せる人生。

          新しい介助者が初めて私の介助に入るとき、引き継ぎというものがある。私がどういう介助を受けて、どのようなやり方なのかを、普段入っている介助者から引き継ぐ日を設けている。 その介助者同行のときに思うことがある。 多くは初対面か、一回会ったことがあるぐらいの面識なのだが、 介助のなかでお風呂介助というものがある。そこでいきなり裸のお付き合いが始まる。 私の介助の場合は、介助者にTシャツと短パンに着替えてもらい、頭と体を洗ってもらう、という内容だ。 それほどまだ関係性がないとき

          はじめましてで、ありのままを見せる人生。

          2人きりで帰りたい!!

          普段講義がない時間だが、その日は興味深い講義があったので聴講することにした。 そこにはAくんの姿があった。どうやら、その講義を受けていたらしい。 当時の私はAくんのことが好きだった。彼とどうにか一緒にいたくて、すごく勇気を出して、講義が終わった後に一緒にご飯を食べないか、と誘った。 学校の近くのご飯屋さんまで行ったのだが、Aくんとその友達と数人もついてきてしまった。(学食でええやん。) その日はたまたま、お昼以降介助者がついたので、食事介助はその人に頼んだ。 私はちゃっかりA

          2人きりで帰りたい!!

          ピアスを卒業する話

          私にとってピアスは、重要なものだった。 ピアスはオシャレの一部というふうに思っている人もいる。 その感覚とは少し違っていた。 だった、というのは、"こだわり" "執着"が入っていたと思う。 私は中学を卒業した瞬間に、ピアスをあけた。最初は耳たぶに3つだったのだが、時が経つにつれて増えたり減ったりを繰り返して、今は、軟骨3つ、耳たぶ5つと穴があいている。 ピアスを小学校の時からずっとあけたかった。さすがにその時は母に「中学校を卒業したらいいよ」と言われた。「中学を卒業したら、

          ピアスを卒業する話

          今までの私という人。①

          私は、愛と優しさを受けとることが苦手だ。 未だに慣れないこともある。 日ごろ、受けとることが多いのだけれど うれしい、ありがとう、と ほんのちょっとの痛みがある。 この痛みはなんだろう。 例えば、相手に「かわいいね」と言われても そのまま受けとることができない。ありがとうって言ってみるけど。ごめんなさい、勘弁してくださいってなる。笑 どうしていいかわからない。どういう対応していいかわからなくて、オドオドしてしまう。顔がひきつる。 心の中で自分はかわいくないと思っている。 か

          今までの私という人。①

          私と障害

          私は生れるとき、15分間息をしていなかった。 そのため、脳に酸素がいかず、脳性まひという障害になった。 私の障害は 脳性まひ アテトーゼ型 体を動かす信号が勝手に脳から筋肉へ伝わり、首や手などが自分の意志とは関係なく動いてしまう。言語障害があり、舌や息をコントロールできないため、聞きとりづらい。 よく「障害を背負った人」という言葉を耳にする。私には障害を背負ったという感覚はない。この言葉の表現があるならば、社会に障害を背負わされていると考える。 私に障害があるのは

          私と障害

          みんなの中に、本当に"みんな"はいるのか。

          私は、今多くの人の手を借りて生活している。 でも、これは障害ある人にとっては、当たり前ではない。 障害の重さによって介助者が派遣される時間が決められている。派遣される時間がとても少ない人が、まだ多くいる。 例えば、今日の晩ごはんは、餃子が食べたいと思ったとしても、18時にならないと介助者が来ないから、それからじゃないと買い物に行けない。作るのも時間がかかる。お店で食べようと思っても入り口が狭かったり、階段があって入れないこともある。 多くの人は、ご飯を作る時間を逆算して買い物

          みんなの中に、本当に"みんな"はいるのか。

          自立、親と子の関係

          熊谷晋一郎さんという、脳性まひの小児科医がいる。その方の講演会を聴く機会があった。講演テーマは、自立だった。熊谷さんの話の中で「自分の親の愛は縛り付ける愛だった。共依存関係だった。」という言葉があった。この言葉から私は、障害児の親はこのタイプが多いと考えていた。 余談だが、障害の有無に関係なく現代の親子関係は互いに依存していると考える。また、親が自分の子どもを所有物化していることも少なくはないだろう。 親が子離れできていない場合が多いかもしれない。 親離れ、子離れについては別

          自立、親と子の関係