麺類とコミュニティ
日本人は「道」を極めるのが好きだ。茶道、華道、柔道、剣道、弓道、合気道、そして武士道など。そこでふと、以前読んだラーメン店のレビューが頭をよぎった。
「店主のこだわりが感じられない」
我々はどうして何事にも「深み」を求めてしまうのだろうか。以前、スープを飲み干すという「儀式」があるラーメン店を一種の「コミュニティ」として考えてみたが、どうやら日本には「麺」道もあるような気がする。すこし検索してみたところ、店名に「麺道」とつく店は全国いくつかあったがまだ一般名詞化していない。
さて、その「麺道」をゆく飲食店と顧客との関係性を実体験を交えながらコミュニティとして考えてみることにした。
「質」重視で客を選ぶ
横浜某所に1杯2,000円のメニューがあるラーメン店がある。昨今のラーメン店の倒産理由の一つに物価(仕入価格)高騰があると言われている。1杯1,000円以上は、高いと言われてしまうのだ。
その「常識破り」な麺道者の店内はこだわりの演出があり、待っている間もテンションはあがる。実際に食べてみたところ、材料の質が良いことがわかる手間ひまかけた味わいだった。接客も丁寧で、随所に「こだわり」を感じる体験であった。行列をしている客も、どことなく「通」な人が多い印象。店の出入り時もみな礼儀正しく、配膳時のたびに「ありがとうございます」と言う客が多かった。店内はある種独特の静けさが漂っていた。するとそれ打ち消すように、乳児・幼児連れの家族が座っている場所から大きな泣き声がした。止まらないアレである。そこでハッと気がついたことがある。コミュニティにおいても飲食店におおいても、参加者や客の
「コミットメントレベル」
は多様である。それを強制するか否かは運営・店主側の自由だが、この最大ボリュームで泣きわめくお客様の「麺道」コミュニティでのコミットメントレベルは「ゼロ」である。そこで改めて麺道の「上客」について考えてみた。
・近隣在住の常連(「麺道」の信奉者)
・遠方在住の常連(「麺道」の信奉者)
・近隣在住の常連(理由は「味」のみ)
・近隣在住の一見(理由は「行列」「評判」)
・遠方在住の一見(理由は「行列」「評判」)
これらはそれぞれ、コミュニティイベントに例えると
・常連の協力者(運営・登壇など)
・セミ常連の協力者(運営・登壇など)
・内容によって参加する常連
・評判を聞いて参加した一見
・飲食目的だけの常連
などに例えられる。また、オンラインコミュニティにおいても、
・常に発言や投稿をする常連
・内容により発言や投稿をする常連
・発言はするが投稿をしない常連
・リアクションだけする常連
・低頻度に発言や投稿をする常連
・低頻度にリアクションだけする常連
・一度だけ発言や投稿をして終わり
・荒らし
などに例えられる。
先述の高単価ラーメン店の最低価格は、1,200円。家族連れはテーブル席を専有し乳児・幼児は1人前をオーダーしないので店側にとっては本音をいえば「招かれざる客」であろう。しかし、地域に根ざした店であるので、長期的な目線で見守っているものと思われる。
「コミュニティ」には、参加者の「多様性」が求められると実感した出来事だった。
#コミュニティデザイナー
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