シェルター
「あぁ、死にたくない、死にたくない」
恰幅の良い男が、揺籠の様な椅子に座り温室の天窓を見上げて呟いた。
「戦争が始まれば、きっとここも核によって一瞬で滅ぼされてしまうだろう…。そうなる前にどうにかせねば…」
口に咥えていた葉巻を灰皿に押し付けながら男は椅子から立ち上がり、行く宛も無くフラフラと歩き出した。
「旦那様、何処へ行かれるのですか?」
「ちょっとな…」
「護衛をお付け…」
「いらん。一人にさせてくれ。ちょっとでてくるぞ」
男は豪邸に住んでいた。豪邸の敷地内の一画にある温室は広く、熱帯雨林のジャングルのようで、そこから出るのも一苦労だった。
「旦那様、何処へ?」
「ちょっとな。ついてこんでいいぞ」
一人の屈強な護衛が男に声をかけるが、男はさっと腕を上げ、掌を護衛に向けた。
「奴は世界最強の護衛。そんなあやつでも
迫り来る核の恐怖からは私を守ってくれないようだ」
着替えた男は肩を落としながら、レッドカーペットが引かれた豪華絢爛なエントランスを抜けて、外へとでる。どんよりと重くのしかかる雲が男の気持ちをさらに不安にさせた。
「核が放たれたらあんな雲が出来上がるのだろうか。あぁ死にたくない」
屋敷の正門には、敷居の高そうな門が備え付けられてあった。その門は、まるでこの屋敷に入る人を選別しているようにも見えた。男はその横にある小さな扉を開けて、外へと出た。
この生活になって早十数年。男は護衛をつけずに外に出ることはなかった。
しかし、今日は一人でいたかった。いくら護衛をつけようとも、逃れられぬ死があるという事実が、彼を一人にさせたがったのだ。
屋敷から随分歩くと、そこはもう普通の人々が暮らす、普通の街だった。男は人目を避ける様に路地へ路地へと入り込み、やがていつか見たような石畳の路地が交差する場所へと辿り着いた。
「ふぅむ、ここはどこだ?」
キョロキョロと周りを見渡す。男はその景色を見ながら、どこか懐かしい感情を抱いていた。
「迷ったかな」
男はまた路地を練り歩き始めた。普段人任せに歩いていた男は、知らない道を一人で歩く事に興味を持ち始めていた。視界に入る全てが新鮮に見え、まるで三歳児に戻ったようなら気持ちになっていたのだ。
いくつかの角を曲がり路地へ入ると、所狭しと座り込む孤独な老人の姿があった。老人の前には、これまた小さなダンボールだろうか、そこにテーブルクロスをかけただけの台があり、いかにも物乞いのように見えた。そう、その上にある物がなければ…。
机の上には、この世のものとは思えないほど美しく光り輝く、黄金の球体があったのだ。
気が付けば、男はその老人の前に立ち黄金の球体を見つめていた。
「なんと美しい輝きだ。今まで様々な輝きをこの目にしてきたが、これほどまでに美しい煌めきは初めて見る」
男は目の前の老人を意に介さず、貪る様に黄金の球体を見続けた。
すると、草臥れた老人が突然口を開き、こう言った。
「旦那さん、死を恐れていますな…」
「なんだって?」
「死が怖いんでしょう…?」
男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、老人を見つめた。
「人間、皆死が恐ろしいでしょう。そして、そこから逃れることはできない。ええ、それは人として生まれたからには、もうどうしようもない事実なんですな。しかし…」
「しかし…?」
男は身を乗り出して老人を見つめた。
老人は男の顔を確認して不気味に微笑み、言葉を続けた。
「もし、その死の恐怖から少しでも逃れることができたら、それはとてつもない幸せだと思いませんかな?」
「なんだ、勿体ぶらずに早く教えてくれ」
せっかちな男は苛立ちを覚え始めた。しかし老人は落ち着いた様子で続けた。
「落ち着いてください、旦那さん。そもそも、人は何故死を恐れるのでしょうな」
「…」
「私は一つの答えを導き出したのです」
男は唾をごくりと飲み込み、老人の次の言葉を待った。
「それは、人は誰しも必ずそこから逃れることができないからです」
男は目をパチっと見開いた。
「いくらか予測できる死であれば、仕方がないと諦めることもできましょう、しかし…」
老人は黄金の球体を見つめながら続ける。
「今、もしここに隕石が落ちてきたら?ライフルで心臓を打たれたら?あなたはどうしますかな?」
老人が上目遣いで男を見つめた。
「どうしようも、ないな」
男は首を振りながら、ため息混じりに答えた。
すると、突然老人がその大きな口をにやりと開けて、その時を心待ちにしていたかのように立ち上がり、黄金の球体を鷲掴みにしてその腕を高く上げた。
「そこで、こいつの出番なんですよ、旦那さん」
黄金の球体は、太陽の光を浴びてさらに輝きを増し、まるでもう一つの小さな太陽のようになった。
「どうです、まるでもう一つの太陽のようでしょう?」
老人はうっとりとした目で黄金の球体を見つめる。男も、太陽のような輝きに言葉を失い、ただただ見惚れていた。
「こいつが全ての答えなのですよ」
風に消え入りそうな声で老人が呟く。球体に見惚れていた男は、ふと我にかえり聞き返す。
「全ての答え…?」
意味のわからない男は、老人の言葉をそのまま返した。
「ええ、そうです。こいつさえいればそんな悩みも軽く消し飛んでしまいます」
「どういうことだい?」
「つまりですね…、この球体は、自分の持ち主に降りかかる命の危険からその身を守ってくれるのです」
「なんだって?」
男は怪訝な顔で、しかし喜びを隠せないような表情で老人の顔を見つめた。老人は男の表情に垣間見えた喜びの表情を逃さずに続けた。
「こいつは、新型のシェルターなのです。もし銃撃の脅威から身を守るのだけなのであれば、護衛や、それこそ地下シェルターでことが足りるかもしれません。しかし、それだと、ずっと誰かが自分の近くにいることになりますなぁ。地下シェルターだと外に出ることすらできない。さらにさらに、隕石や昨今のミサイルや核爆弾の威力を鑑みると、どうも地下シェルターでは意味をなさないことがわかってきました。隕石なんて降ってきたら、それこそもう…。しかし、こいつがあればそんな隕石からも…、ん?」
男の怪訝そうな表情は、老人の早口で語られる話が進むにつれてどんどんと和らぎ、いつの間にか希望に満ち溢れた表情に変わっていっていた。
「おや、どうされましたか?」
老人はふと、何かに気づいたふりをして男に問いかける。
「あぁ、いや。そんなに素晴らしいものがあったなんてと、ついびっくりしてしまってね、ははは」
「そうでしょう…?」
「これは、いくらするのかね?」
「いくら?いくらとはどういうことですかな?」
老人は首を傾げてキョトンとした表情を男に見せる。
「いや、この球の値段だよ」
男は少し苛ついた様子で言う。すると老人は照れ笑いをしながらこう言った。
「いやいや、これは売り物ではございません、旦那さん」
「なに?おいおい、ちょっと待ってくれよ。じゃあ今までのセールストークは何だったんだい?」
「このような素晴らしいものが、この世にはあると言った説明ですな」
男は老人の言っている意味が本当に分からない様子で呆然とした。
二人の間に木枯らしが吹く。
運ばれてきたいくつかの枯れ葉の一つが男の顔にパタリと当たり、男は我に返った。
「頼む、金ならいくらでも積む。どうかその黄金の球体を私に譲ってはくれないか?」
「それはできませんなぁ、なんといってもこれはまだ世界には知られていない技術をふんだんに使用した世界最強のシェルタ…」
「分かっている。誰にもその秘密を漏らしたりもしないし、解体するつもりもない。私はただその黄金に、そう黄金に惹かれただけなのだ。美しい物には目がなくてな、ははは…」
「あぁ、そうでしたか。てっきりこれを買って、この球体の新技術を盗むのかと」
「決してそんなことはしないと約束しよう。さぁ、いくらだ、いくら払えばいい?」
「うーん、そう言うことでしたら…」
老人は顎に人差し指と親指を当てて、空を見ながら考える素振りを見せた。そして、思いついた様にサッと手元の電卓を手に取り、言った。
「これでいかがでしょう?」
「うむ、決して安くはないが背に腹は変えられぬ。買うとしよう」
男は持っていた財布からサッと小切手を出し、電卓に表示された金額を手早く記入して老人に手渡した。
「いやぁ、旦那さんあなたは本当に素晴らしい買い物をされましたなぁ」
「全くだ。これで何者にも怯えずに…、あぁいやこの輝きを毎日見ることができるのだな、ははは」
男は黄金の球体を手に持ち、今まで得たことのない満足感を得ていた。何よりも美しく輝くそれは、何よりも大切な男の命をどんなものからも守ってくれるものだったからだ。
「どうです、旦那さん。早速試してみては?」
「ん?」
「いや、私は絶対に嘘はついていません。が、しかし、旦那さんはまだ実際にその球体の働きを見られていないので、信用していただけていないのでは、と思いましてね」
男は、あっ、と口を開き、自分の愚かさを隠す様に言った。
「あぁ、いや。はは。もちろん試してもらおうと考えていたよ。さて、どう試す?」
「これです」
「おおっと」
老人は上着の内側からサッと銃を取り出し男に銃口を向けた。
「さて、では黄金の球体はどこかにしまっておいてくださいな」
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
「ええ、もちろん。…あぁ、そうか。それはそうですな。普通怖いものでしょう。では、旦那さんが私を撃ってください。私がその球体をお持ちいたしますゆえ。それなら大丈夫でしょう?」
老人はカッカッカッと笑い、男に拳銃を手渡した。
男はその拳銃を少しの間見つめ、老人にスッと返し言った。
「人を撃つのも、怖いものだ。もし君が死ねば私は人殺しとなってしまう。君のことを信じよう。私を撃ってくれ」
「承知しました、ではいきます」
「お、ちょっとまっ…」
パン…。
乾いた小さな銃声が路地に鳴り響いた。その音は、涼やかに吹く木枯らしに溶け込み消えていった。
冷たい風が吹き抜ける路地に男の姿はなく、地に落ちた球体だけが黄金に輝き続けていた。
一人きりになった老人はいそいそと黄金の球体を拾い上げ、内ポケットから携帯電話を取り出して耳にそっと当てた。
プルルルルルル。カチャ。
「はい、どなた様でございましょう」
「お前の主人は預かった。返して欲しくば身代金を用意しろ…」
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