【うつ体験記】どんな体験にも意味がある "自己受容"の考え方
こんにちは。
自然体カウンセラーの大(だい)です。
今日のテーマは「どんな体験にも意味がある」というものですが、まぁよく世間で叫ばれている言葉ですよね。
10年前の僕はこの言葉を「まぁそうかもしれんよねぇ」という言葉の上澄みしかくみ取れない男でしたが、今は身をもってこの言葉の意味を感じております。
さかのぼること10年ほど前、僕は華のキャンパスライフとは程遠い大学生活を送っておりました。
その大学は特に行きたいと思っていた大学ではありませんでしたが、「とにかく行けばわかる」という親の勧めで通っていた大学でした。
しかし実際通ってみて感じていたのは虚無感でした。
もともと高校卒業と同時に皆一斉に大学へ通い、そして就活という決まった流れにモヤモヤとした想いや疑問を抱いていましたが、この大学在学中にそれらの思いがさらに強まると同時に、実際には何もできていない現実のギャップや、取り残されている感覚が強くなり、「うつ」になってしまいました。
(症状としては、手が震える、呼吸が苦しい、気分が常に重い、不安、不眠、車の運転ができなくなる、といったものがでました)
それでもなんとか卒業はしたのですが、就活など一切していません。
生活費は稼がないとということで、以前アルバイトをしていたイタリア料理のお店で再びアルバイトを始めました。
この時は人生半ばやけくそな状態で、とりあえずあと3年生きよう、それでもどうしようもないと思ったら、死んでしまおう、と思っていました。
自分の命を3年契約的に過ごすことを考えていたのですね。
(相当お疲れだったんですね)
しかし人生は不思議なもので、そう簡単には終わらせてくれませんでした。
3年だけ生きようと思って入ったそのアルバイト先で出会ったのが、
今同棲しているうちの彼女です。
彼女と出会い付き合っていく中で、僕の生きる力は確実に息を吹き返しました。
この後すべてがいつも順調というわけではありませんでしたが、上り下がりを繰り返しながらも体調の方も改善し、
また彼女のお母さんからの紹介で、僕がカウンセラーを志すきっかけとなったカウンセラーの先生との出会いを果たし、今に至ります。
20代の多くの時間を「うつ」と過ごした僕ですが、なぜこのような病気を発症してしまったかという理由を考えてみると、当時の僕の人生には「自己決定感」が大きく欠如していたからだと思います。
自己決定感とは、自分の人生を自分の意志によって選択して生きているという感覚を持つことであり、この感覚を失うと人は病んでしまいます。
(自己決定感についてはまた次回詳しく解説したいとおもいます)
今振り返ると、病んでいた時間も悪い事ばかりではなく、たくさんの気づきが多くありました。
いかに自分が親の価値観を背負い、それを自分の価値観として生きようとしていたか。
いかに周りの人の優しさに恵まれているか。
いかに考え方と体を脱力させることが大切であるか。
僕の人生もう終わったのかなと思った先にオアシスがありました。
人生を語るのにはまだ若いと思いますがこの時点で、自らの人生に起こることすべてに何かしらの意味があるんじゃないかなと感じております。
(これを”自己受容”といいます。自らの体験をすべて必要なものとしてとらえていく考え方です)
うまくいかないことや病気は、それ自体確かに嫌なことではありますが、自身のこれまでの行動や習慣、考え方を改めるいい機会だと思います。
常にそんな考え方できているかと言われれば、今でも落ち込んだり、元気になったりの繰り返しです。
しかし、どんな時でも幸せをつかんでいくプロセスなんだと、自己受容の考え方を心のお守りにして今を生きています。
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