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「貧乏人に優しくない」と吐き捨てる被害妄想じいさん。その理由は??

これはあるショッピングモール内にあるファーストフード店で働いている女性から聞いた話しです。

そのお店の前によく顔を出すおじいさんがいるようですが、商品を買ってくれるわけではなく、

「値段が高い」「○○(他店舗)はもっと安い」

「あんたたちは貧乏人に優しくない」

というような言葉を店員に吐き捨て、歩き去っていくようです。

いつもこんな調子のおじいさんに、あなただったらどうしますか?

「うるせえ、じじぃあっち行け」と言いたくなる気持ちも分かりますが、そんなこと言うと大喧嘩ですので、少し落ち着いて考えてみましょう。 


先ほどの会話の中で注目してほしいのは

おじいさんの言った「貧乏人に優しくない」という言葉です。

誰もおじいさんに対して「貧乏人」などという言葉を使ったわけでもなく、おじいさんに不親切な対応をしたわけではありません。

おじいさんが勝手に自分自身を指して「貧乏人」と言い、そしてその「貧乏人」である自分にみんな「優しくない」と言っているのです。

「ただの被害妄想の強いじじぃ」だなんで言わないでください。

これは僕たちみんなに起こり得る現象です。

人間はもともと「心像」というものを持っています。

これはその人の過去の経験や知識によって作り出される脳内イメージで、この「心像」というフィルターを通して僕たちは世の中を見ています。

つまり「心像」は世の中をみる眼鏡です。

先ほどのおじいさんは自分のことを貧乏人と言っていました。

つまり
①自分のことを「貧乏人」だと思っている
②貧乏人に世の中は優しくないと思っている

おじいさんはこういった「心像」を持って世の中を見ているんですね。

このおじいさんは、過去(現在進行形かもしれませんが)に貧乏で辛い経験をしたのかもしれません。

しかし、たとえお金がなく貧乏であったとしても、おじいさんに価値がないわけではありません。

○貧乏であることと
○人として価値がない
この2つはイコールにならないはずです。

それこそおじいさんが「心像」を元に、自分で膨らませた被害妄想です。

まずその考え方のクセにおじいさんは気づく必要があるなと感じました。

自分軸で自然体に生きるためにはまず
自分の考え方のクセに気づくことです。

自分は過去のどんなことにこだわって、そしてどんなフィルターを通して世の中を見ているんだろう。

そこに気づき解放させることで、また新しい生き方を見つけていくことができるのです。

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