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真摯に遊ぶ

ゲームを計画立ててプレイしています。

それこそ業務のような真摯さと情熱と優先度をもって。

学生時代に気づけなかったことは、社会人になると、余暇の時間は死守するつもりで、業務に勝るとも劣らない優先度を設定して管理しないと簡単に消え失せるということです。

学生時代までは、こちらの時間を積極的に削ってこようとする存在は(ブラックなバイトでもやっていない限り)なく、自分で自分の時間を簡単にコントロールできました。が、社会に出ると、基本的に長時間働かせれば働かせるほど得という、雇用という関係が発生します(これは雇用主が善良であるか否かは関係なく雇用関係という構造がもつ特徴です)。綺麗事ではない、やるかやられるか、とるかとられるかの世界が広がっているのです。

そこでは放っておいても自分の自由時間は守られる、配慮してもらえるというということは決して成り立ちません。自由時間を削りとろうとするあらゆる勢力が実在する以上、その圧と闘うことはデフォルトなのです。

学生時代まではRPGでいうと街の中でずっと生活してきたようなものです。社会に出ると、街をでなければならず、街を出ると何故かモンスターが襲ってきて、基本これらと闘わなければ生き抜くすべがないという状態に陥るのです。理不尽ですが、そういうものです。

このような状況下で、自由時間、私の場合はゲームをプレイする時間を確保することは正に闘いです。とにかく、仕事より優先度を下げると簡単に仕事に侵食されてしまうので、ゲームなどの余暇活動は常に第1級優先順位を与えて計画します。仕事?仕事なんて放っておいたってやるんですよ。だって、どのみちやらなきゃいけないんだから。無視無視。

仕事は大切なものです。仕事をしなければご飯が食べられませんし、世の中に貢献する重要なチャンネルを失います。

し・か・し、仕事は別に神聖なものでも、不可侵なものでもありません。仕事を過大評価する人に仕事ができる人を私は見たことがありません。何故なら、仕事もゲームの一種だからです。各々が与えられたパラメータ(才能と経験)で、制限時間内(「ゲームは一日一時間@高橋名人」)でどれだけのことがこなせるか?利益をあげられるか?インパクトを社会に与えられるか?仕事はそういうゲームに過ぎません。

仕事=ゲームが成り立つならば、仕事=大切が成り立つ時、仕事=ゲーム=大切ということになることは自明です。ですので、私はゲームを仕事級の真摯な態度でプレイするのです。

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