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巨人の肩の上に立たせる

人に教えるってとても難しい。

自分が無意識にできていることを、分解して、整理して、何故できるのかを解明して、相手のレベルに合わせてわかるように説明しなければいけない。どおりで教職という教える専門職がいるわけだ、と得心する次第です。

合気道で弟弟子に教えながら、自分が何故それができるのかがわからないというのは本当はできていないということではないだろうか?たまたまできているだけなのではないだろうか?という疑念が湧いてきました。

客観的にはできているのだけど、わかってできていることと、わからないでできていることにはレベルにかなりの開きがあるのではないかと感じています。少なくとも後者は人に教えるということができない。自分ができるということだけで完結していて、広がりがない。個としての向上にとどまり、集団としての向上につながらない。

教えられる側(後に始めた側)は教える側(先に始めた側)よりも早く同じレベルに達するし、教える側を抜いていくことができるし、そうあるべきです。何故なら、教える側が何年もかけて見つけたり、体得したノウハウを試行錯誤なしにいきなり享受することができるからです。それが『巨人の肩の上に立つ』ということです。

先人の積み重ねた発見に基づいて新しい発見をしていくことで全体としてどんどん向上していく、それが理想です。そしてそうするためには、教える能力が必要だということ。つまり、自分が何故できるのかをわかってできているレベルに達しないといけない。単にできるだけではいけない。

教える能力はあれば良いぐらいで必須だとは思っていませんでしたが、こう考えると非常に重要なスキルだということがわかりました。合気道の三段からは教える能力が求められる理由がよくわかりました。


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