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自分は必死に仕事しているのに、どうしてまわりの人はテキトーなの?
こんばんは、しんちゃんです。
フォロワーさんとの交流の中で、以下のような発信がありました。
お言葉に甘えさせてください。
なんで、毎日必死に業務こなしてるのに上司は現場がみえないんだろう。
怒りを通り越して笑って過ごしてたけど、こうも毎日繰り返すと笑う事すら疲れるんです。
吐かせてくれて、ありがとうございます。
こちらの発信から、さまざまなことを考えさせられました。
発信されたフォロワーさんと同じ状態、条件ではないけど、自分のこれまでの経験と照らし合わせていました。
そこで私が考えたテーマがこちら。
『自分は必死に仕事しているのに、どうしてまわりの人はテキトーなの(見てくれないの)?』
・必死で仕事しているけど、上司は現場を見てくれない。
・こっちは一生懸命やっているけど、同僚や上司は雑談している。
・問題解決のため、一生懸命仕事しているけど、上司はこれは察知してくれない。
(一旦、まわりのひと(上司や同僚)が自分をみてくれないについては置いといて...)
これらの経験を振り返っていて感じたことは、
合格ラインの感覚の違いが、こういったモヤモヤや怒りを生み出しているのかな~って。
例えば、まわりのひとは60点でよしとするものを、ぼくらは90点でよしとする。
こういう感覚の違いなのかな~。
まわりの上司や同僚は60点で良いタイプで、自分(ぼく)が抱えている業務はどうでもよいって感じなのかな。
どっちが良い、どっちが悪いというわけではなくて。
ただ感覚の違い。
合格ラインの精度の違い。
でも合格ラインが高いからこそ、丁寧な仕事ができる。
ささいな小さなことにも気が付ける。
これって素晴らしいことじゃないですか!?
まわりのひとがテキトーにやっているようにみえて(ぼくらを見てくれなくて)、イライラする。
でも合格ラインが高い僕らにしか出せないアウトプットがある。
感性がある。
作品がある。
こう考えると、ぼくらも捨てたもんじゃなくて、もっと肯定できるよね。
冒頭の発信に戻りますが、
発信して下さったフォロワーさんは必死に、責任感を持って、お仕事に取り組まれているのだろうなと感じました。
同僚や上司は、ぼくらでは変えられない。
だから、感情のベクトルを外ではなく、自分自身に向けるだけでも少しは変わる気がします。
『こんなに必死に取り組めている自分ってすごい!』
『こんなにまわりの人のことを考えながら仕事が出来る自分ってすごい!』
まわりのひとの配慮が足りなくてもどかしく感じるけど、もっと自分を肯定してもよいのかもしれない。
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