引きこもり日記♯2
近所に、かつて川だったという場所がある。
見た目には、小学校の敷地を囲む塀の脇にある、数百メートル程の狭い通路だった。
片方は小学校の白い塀。もう片方は住宅地を乗せた高台のコンクリートの壁に挟まれている。
いつから川で、いつから川でなくなったのか僕は知らない。
水捌けの問題なのか、その場所はいついっても地面が濡れていて、泥や水溜まりも頻繁にできているせいかほとんど人も通らなかった。
考え事に集中するとき、あるいは不安に飲まれそうになったりする時、僕はよくここを歩く。
そして長い間外出していないと言うので、今回は夜にマサルと散歩する事にした。
途中、マサルが足を引きずるようにして歩くので、どうしたのか聞くと、ちょっと前に転んで骨を折り、その後遺症が残っているのだそうだった。
転んだだけで簡単に骨が折れるなんて年寄りみたいだなと思ったが、実際マサルは年寄り並みに骨がもろいらしい。
他にも、本人曰くすぐに血圧が上がったり、季節の変化で人より体調が悪くなりやすい。
巨人症という程ではないが、体が大きいとそういう不具合があるんだなという事をマサルと出会ってから知った。
僕は昔、バスケをやっていたがチビだったし、とくにドリブルやパスが上手い分けでもなかったのでずっとベンチだった。
当時はコートで走り回る身長の高いチームメイトをただただ羨ましく思っていたが、人の苦労というのはその人になってみないと分からないんだなと思う。
道の両脇には、丈の高い雑草が群生して揺れている。秋になると曼珠沙華がぽつぽつと等間隔に生える。地面はコンクリートで、かつての水の流れで剥がれたのか、歩いていると所々に起伏があるのがわかる。水の力でコンクリートを剥がすのだから、思った以上に長い間そこは川だったのだろう。
マサルに家にいるときにいつも何をしているのかと聞くと、akb48とアニメ、競馬予想とサッカー観戦が好きでマンチェスターシティというチームを応援している、みたいな話をぽつぽつとしてくれる。
どの話も自分の守備範囲外であるが、この機会に少し教えてもらおうと思った。
試しにアイドルについて聞いてみると、マサルが大きな体を屈めて自分のスマホを見せてくれる。
見てみるとメイクなのか加工なのかはよくわからないが、異様に目が大きくて華奢な女の子が出てくる。
僕は昔からアイドルグループを見せられても、ひとりひとりの顔と名前があんまり覚えられない。
非常に綺麗で若い女の子がたくさんいるというのは分かるのだが、あまりにも顔が整いすぎていると皆同じ顔に見えるのだ。
マサルはしばらく自分が推しているアイドルの話をすると、「最近のアイドルは18歳でやめてしまう子が多い。とても残念です」といった総括をしていた。
聞いてみると案外好きなものはたくさんあるようだ。
趣味がたくさんあるというのは救いだろう。趣味を通じて友達も増える。無趣味な自分よりよっぽどリア充かもしれない。
ふいに風が吹くと、遠い外灯に照らされてできた木陰が、その細かい影を揺らしていた。見上げると、高台にある家屋の雪の霜が貼り付いたような模様の窓ガラスが見え、その先では干したままの洗濯物が夜風に翻っている。
誰がいるわけでもなく、何か目立つものがあったわけではなかったが、どういうわけか気になる場所だった。元川を抜けると団地があって、歩道と建物の中間の、前庭といっていいスペースには車がならんで止まっている。敷地を周遊してから川の道に戻る。
散歩が終わり、帰り際にマサルが、「自分の良くない所は、関心の持てない事を努力して知ろうとしないことです」と言った。
「いいや、大体みんなそんなものだよ」と僕が答えると、何故かマサルは意外そうな顔をしていた。
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