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がんを告知された僕が、いま一番やりたいこと

突然ですが、医者から『がん』を告知されました。

明日1月21日から入院し、24日に手術を受ける予定です。

「どうして今、どうして僕なんだろう」

悩み、苦しみ、襲いかかる様々な不安を抱えながら強く理解したことがあります。

それは、

僕にしかできない役目を与えられたのもしれない

ということです。

だから、

この経験を隠すのではなく広く伝えて、人の役に立つこと。それを実現させる第一歩として、このnoteを書くことにしました。

僕のように、他の誰かが大切な人を泣かせることがないように。

勇気を出してキーボードを叩きます。

健康診断で見つかった異常

昨年に受けた健康診断の際、甲状腺のあたりに大きなしこりがあることを指摘されました。

痛みや違和感も全くなかったため、手で触って確認できた時は自分でも驚きましたが、先生は「念の為、時間あるときに耳鼻科の専門医に一度診てもらってね」程度の軽い感じで診察は終わりました。

「そうか。自分も40歳になったし、ちょっとずつ体にも異変が出てくるかもな」

先生からの声掛けに同調するように、僕もまた軽く受け止めていました。

僕は日頃から食べ物にできるだけ気をつけているし、農作業以外にも適度な運動を心がけるなど決して生活習慣が悪いわけではないと思います。

ただ恥ずかしながら、このように検診を受けたのは数年ぶり。農家になってからは記憶がないので、少なくとも5年以上は真剣に自分の体と向き合えていなかったことになります。

そして別の日。耳鼻科の専門医に診てもらうために病院へ行きました。

先生によると、例え甲状腺に腫瘍が見つかったとしても、そのほとんどのケースは良性とのこと。

それを聞いて僕はとても安心しました。

思いもよらなかった『がん』の告知

細胞を調べる検査の一回目、その後再検査と二日間に渡って通院。後日、結果を聞くために改めて病院を訪れます。

対面した先生はすこし間を置いたあと、ゆっくりと口を開きました。

「良性でした。このまま経過観察しましょう」という、僕を安心させてくれる言葉ではなく、

「悪性の腫瘍。つまり『がん』の可能性が非常に高い。手術が必要です。」

という、予想もしていなかった内容でした。

いや、思い返してみると「もしかしたらそうかもしれない」という心構えがあった気がします。

何の根拠もなかったのですが、万が一の時に理性を保つために予め覚悟を用意していたのかもしれません。

なぜならその時、僕の心はとても落ち着いていたからです。

淡々と段取りを進めていく過程をどこか自分事ではないように感じながら、その後すぐに現実を突きつけられる出来事が起こります。

一番大切な人を傷つけてしまった

この頃はまだ毎日のようにきゅうりを収穫している時期。僕が病院に行っている間、妻が仕事を手伝ってくれていました。

先生との話が終わり、駐車場に戻ってすぐに検査結果を報告するために約束通り妻へ電話をかけました。

一通りの内容を伝えると、妻からの返事が全くありません。

何度声をかけても反応しない。ショックで呆然としている姿が無言の中から伝わってきました。

「甲状腺がんは進行が遅く、深刻に怖がる必要はない」

「退院後、問題なければすぐに日常生活に戻ることができる」

「現時点で命の危険性はない」

先生からもらったポジティブな情報も伝わりません。急いで帰宅し、妻と対面すると明らかに様子が変でした。

ここから数日、妻は二人きりになると泣き崩れてしまうようになりました。


僕は大切な人をひどく傷付けてしまった。

これだけ毎日頑張っても、一瞬で明るい空気を壊してしまう病気の恐ろしさ。まるで地獄のよう。

これが僕が事の重大さに初めて気付いた瞬間でした。

お願い、サンタクロース

話し合いを重ねて妻の様子も落ち着き、僕自身もあらゆることを受け入れて落ち着いて来た頃、次に考えなければならないことは「子どもたちにどうやって伝えるか」という問題でした。

今回の手術によって、約10日間の入院が必要となります。

明らかに何かが起こっているという状態になるため、当然内緒にすることはできません。また、子供とはいえ大人が思っている以上に察する力が強い。

都合よく隠すのではなく、今の状況とこれからの事を全て正直に話すことにしました。

さて、いつ伝えようか。

12月中旬。この頃はまだ毎日学校に登校しています。今回のことでもし大きなショックを受けてしまうと、精神面で日常生活に支障が出てしまうかもしれない。

ならば年が明けてから、とも考えましたが、それまでの期間を隠し通せる保証はないし、できるだけ早く伝えてフォローできる時間を増やした方がいいという結論に至りました。

年末年始にかけて子どもたちにとっては嬉しいイベントが続きます。冬休み、クリスマス、長女の誕生日、そしてお年玉がもらえるお正月。

一時的なショックを楽しい記憶で上書きしよう。それが僕の狙いでした。

冬休み直前、クリスマス・イブの前日、12月23日。夕食後にみんなを集めて緊急家族会議を開きました。

子どもたち三人の反応は様々でした。

中学一年生の長男は目をそらしながらも、自分なりに理解をしようと耳をかたむけている。

小学6年生の長女はじっとこちらを見つめて、最悪のことを想定した質問を繰り返してくる。

小学2年生の次女は話の内容こそ理解できないものの、漠然と悲しい状況を察して泣き止まない。

もちろんこの状況は家族にとって初めての経験なので、少しだけ重たい空気は流れましたが、それでも最後は家族みんなでがんばっていこうという、前向きに話を終えることができました。

思った通り、嘘偽りなく正直に全てを話して本当に良かった。また、この家族の父親であることを嬉しく思う瞬間でした。

「サンタさん、どうか子どもたちにいつも通りの毎日をプレゼントしてください」

鬱との戦い

年末。

農作業もシーズン終盤で体力的にも時間的にも余裕ができたことで、今まで感じていなかった不安が心の隙間へ一気になだれ込んできました。

僕は年末年始が一年でもっとも好きな時間です。特に大晦日から元旦にかけての独特で厳かな雰囲気がたまらなく好きです。

しかし、この時を全くといっていいほど楽しめなかったのは生まれてから初めてでした。

これまでは長期休暇のような余裕がやってくると、新たにやりたい事や思いがけないアイデアが次々に生まれてきます。ただ今回に関して頭に浮かんでくるのは一つも笑えないことばかり。

ただただ鬱。

楽しいものを楽しいと思えない、何のやる気も起こらない。悪いことばかり考えてしまって絶望感に満たされる。

毎年楽しみにしている紅白歌合戦。大好きな星野源も声だけを聞くのがやっと。頭の中では常に悪魔が走り回っているので映像を見る余裕は全くありませんでした。


0時、

あけましておめでとう。

最悪の正月だ。


絶望の先にあった使命

人間はつくづく贅沢な生き物だなと思います。誰かと比べて一喜一憂したり、ないものねだりしてみたり。

自分の過去を思い返すと、追い込まれないと大切なものに気づかないタイプ。いや、あらゆるものを失うことで、大切なものを気づかせてもらえるラッキーな奴なのかもしれません。

思えば農家になることを決意したときもそうでした。

どん底に落ちた時に、それでも消えなかったもの。それが自分の人生にとって最も大切なことだと気付いたのです。

家族の豊かな笑顔を作り続ける
人の役に立つ、感化する

それらを実現するために必然のように現れた選択肢が農家になるということでした。この時の感情をうまく言語化することはできないのですが、突然道が開けて誰かに背中を押されるような感覚だったことを覚えています。

あぁ、そうか。

「どうして今、どうして僕なんだろうか」

ではなく、

「今、僕にしかできなことがあるんだ」

そう気付かせてもらいました。

先生から「がんの可能性が非常に高いです」と告げられた12月13日。病院を出た僕はこんなツイートをしています。

衝動的に発信したので言葉遣いが荒くてすみません。もしかしたらこの時すでに、自分がこれからすべき事を理解していたのかもしれません。


令和元年度の国民生活基礎調査(厚生労働省)によると、過去1年間に検診などを受診した方の割合は、全体では69.6%であることに対し、僕と同じ農林漁業従事者は【62.7%】と割合が低くなっています。

人の役に立つ。

この経験を「運が悪かった。辛かった」で終わらせるのではなく、農家の仲間達に向けて改めて健康について考えるキッカケにしてもらおう。

そう決意したのです。

がんを告知された僕が、いま一番やりたいこと

今回、自分ががんであることの公表はとても悩みました。

僕はこれまでも日常的に発信活動をしており、どこの誰であるかすぐに分かる状態にあります。

もしかしたら、無用な心配や迷惑をかけてしまうだけではなく、嫌な思いされる方がいらっしゃるかもしれない。それは友人や知人だけではなく、僕のことを全く知らない人も、そして一番近くの家族かもしれない。

また、これからも農業を続けていく上で僕に対して偏ったイメージがついてしまうことも容易に想像できます。

僕は再度、家族会議を開きました。

「それでも僕は誰かの役に立ちたい」

正直、子どもたちは反対すると思っていました。なぜなら、彼らの周りで僕のことを知っている友だちや先生方などが少なくないからです。

真剣な顔つきで、じっとこちらから目を離さず話を聞いていた長女が間髪入れずに言いました。

「応援する。パパがやろうとしていることはとても良いことだ思うよ」

それに続いて、誰も反対する事なく僕の想いを尊重してくれました。

本当にありがとう。

これから僕は、日本全国にいる農家さんに向けて定期検診の大切さを伝え続ける新しいプロジェクトを計画しています。

これまでにない、僕にしかできないやり方で。そして、悲しむ人が一人でも少なくなるように、

100年続く「農家と健康」の新しい文化を作ります。

最後に

僕は農園に「しなやかファーム」と名付けました。“しなやかさ”とは僕にとって強さの象徴であり、目指すべき生き方そのものです。

大切にしている信念は決して見失わない。それは強靭であり、それでいて柔らかい。だから決して折れることはありません。

どんな事があっても逃げずに受け止め、そのバネで力に変えていきます。

このnoteを読んで、僕を知る皆さんは口を揃えてきっとこう言うでしょう。

「しなやんの言いたいことは分かった。ただそんなことより、まずは自分の体と家族のことだけに集中しなさい」

はい、おっしゃるとおりです笑

これからやりたい事に向けてすでに様々な準備を進めてはいますが、一旦それらは隅に置いて、まずは手術に向けて万全の体調で準備し、必ず元気になって戻ってきます。

挑戦するにも、楽しく遊ぶにも、美味しいきゅうりを作るにも、元気な体があってこそですから。

それまではおとなしくしていますので、安心してください。

また、ここに至るまでには精神面でいろいろとありましたが、今はもう「やってやるぞ!」という気持ちがあるだけでピンピンしています。なのでどうがあまり心配なさらず。


はぁ… 

それにしても初めての入院と初めての手術が嫌すぎて胃が痛いです…


あ!大切なことを言い忘れていました。

このnoteを読んで

「そういえば最近、定期検診受けていないな…」

と思ったそこのあなた。(あなたのことですよ!)

できるだけ早めに受診してくださいね。約束ですよ。


長文に最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

もしも僕の想いが届いたら、復活後の活動を応援してくれたらとても嬉しいです。

それでは、気合入れて行ってきます!


【2022年2月2日追記】
無事に手術成功し、元気に退院することができました。入院中に応援してくれた沢山のみなさんの声が、とても心強い支えになりました。僕はこの経験を忘れずに、これから多くの人に検診の大切さを伝えていきます。

【2022年2月21日追記】
退院後、初めての診察を終えて。


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