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近況と、お知らせと、思い出とかいろいろ
よう子は、さまざまな大ポカをしながらも頑張っております、何をやらかしたかは言えないのですが……。(突然?何?)
この猛暑と湿度、ひどいですね……! 6月とは思えない、変な気候ですよね。
エアコンを使わなきゃいけないのは分かっているのですが、体がポンコツなのでなかなか冷房に慣れないところもあり(肩こり頭痛がひどくなっちゃうのです)
保冷剤を抱いて寝てみたり、汗をかく練習をしてみたり。とりあえずとりあえず、で生きております……。
あと、足をぶつけて流血し、足の親指の爪が半分逝ってしまいました……。チーン。散歩ができないので、自律神経の危機です😢
太陽を見るようにしています。
アサガオ見守り隊 毎日してます。
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(蚊取り線香の匂いを嗅ぎながら、ツルを柵に巻きつける隊員です。)
告知?
youtube動画を投稿するため、現在、動画編集をしています。
歌の録音と編集は終わっているのですが、動画の作業が久しぶりなのと(動画は以前にも作っていたことがあります)この気候・体調の兼ね合いとで、 手こずっております……!😭
動画といっても、『webラジオ』形式と言えばよいのでしょうか? 耳で聴くだけのものです。
やはり〝遊び〟は実際の人間同士の関わりで伝えていきたいと思い、動きをwebだけで伝えるふんぎりは尽きませんでした。それでも、学びの入口は必要とされるはずだよな〜、と思い、それを目標にすることにしました。
自分のなかでの見通しとして、youtube投稿を始めると同時に、このnoteでは『有料マガジン会員』を募りたい、収益化に繋げていきたいと考えています……!
コンテンツが充実するまで、最初のところは実質「よう子への応援(投げ銭)」機能になってしまうかと思うのですが🤔
……マイクなどの機材を買ったり、いずれは書いたものの発行物も出せたらいいなぁ、とか。夢はでっかく持っています。
収益化に関しては、
自分が、ちゃんとご飯を食べていけるようになる、というところも目指さないと、活動を続けること難しいよな……と、そう考えて、
この数か月、私なりに準備してきたところです。がんばっております。
(準備、って言っても、ほとんどが自分の心と体の準備であり、ポンコツな私らしい日々を送っています。)
(おいー! もっとがんばれ!)
今年は、小学生と遊ぶ機会をつくれています! うれしい。
もっと活動場所を広げていきたいので、活動場所は精力的に求めておりますよ✨
あと、 お手玉 ・ 投げ竹(竹返し) これの講習機会もいただけました♪
お手玉と投げ竹に関しては、子ども向け・大人向け問わず、お仕事募集中です!!
(内容と目的のところはいろんなご相談に応じますので、ぜひぜひぜひ、お声かけください✨)
思い出
NHKの番組で、教会の移築をやっていました。(解体のやつです。あれ面白いよね。)
移築といえば、昔、私も町田で〝お寺の移築〟をするところを見たことがあります! 建物をジャッキアップして、なんか仰々しい装置に乗せて、通行止めした道路を何時間もかけて運ぶのです。
野次馬で人だかりができていて、ちょっとしたお祭りのようでした。
──今は亡き恩師、大熊進子先生のソルフェージュ・合唱に通っていたときの、思い出深いエピソードの一つです。
大熊進子先生の偉大な教えの一つですが☺️『その時しかできないこと、その場所でしかできないこと』それを優先基準にする……というものがあり、
「虹が出ている!? 外に出るわよ!」
「お寺の引っ越しやってる?! レッスンやってる場合じゃない、行こう!」
と、音楽教室なのに、あまり音楽をやらない日がありました。笑
(つくしを食べたり、リンゴを切ったり。それが学びなのです。本当にユニークです。)
今ならば分かります。
『音楽のために音楽やるなんてナンセンスじゃないか
人生のために音楽をやっているんだよ』
そういう考え方があった、常に一本、筋が通っている人だったと思うのです。
だから、とにかく先生といると〝人生の楽しみ方〟を学べるというか、とっておきの濃密な時間がいつも流れていました。
旅行先(セミナーや演奏旅行にご一緒しました!)では、その地でしかできないことを、いつも教えてくれました。
といっても、ネームバリューや見栄で観光地を巡るわけではないのです。その時その時で「自分にとって価値のあることは自分で決めなさい」と教えてくれるところも一貫していました。
例えば、ハンガリーに行ったときも、
有名な歴史名所か? レジャー施設か? どちらに行くかで迷ったときに、
「(私は歴史名所につれていきたいけど)アンタ達が行きたくないのに行っても仕方がないし、本当に興味がわいてから歴史を学ぶのとは、価値がすこし違う……とも思うのよね」
「だから今のアンタ達にとって、遊ぶことのほうが大事なら、そうする?」
と、寛容に選ばせてくれたことの感激が、忘れられずずっと残っています!
みんなで話し合って、レジャーのほうを選んで、ハンガリーの丘で謎のボブスレーしました。笑 めっちゃ楽しかった。
また、それに付随して思うのは、先生は徹底して『反権威主義』だったなということです。
・受験のためだけのレッスンはしません
・日本の音楽教育の間違っているところは間違っていると指摘します
・うちは楽譜を読める子を育てます
(なぜなら楽譜が読めないと、演奏ができるだけでは、自分で音楽を取得できるようにならない。
楽譜が読めて、自分で選んで買えたら、ただ演奏が上手いだけよりずっとずっと楽しめる。物事を構造的に思考できるようになる。)
演奏家になることだけが、この道の成功ではない。音楽楽という〝スキル〟によって、豊かな人間になるということ。そこのところが一貫していました。
またそれを、親御さんたちに理解してもらうことも、巧みでした! 抜群にコミュニケーションが上手かったのです。
「今日はレッスンしなかった~~、虹見て遊んできたよ🌈」なんてさ、せっかくお金だして習い事させてるのにィ!って親からのクレームが来てもおかしくなかったかと思うけど。笑
親に、おもねらない。親の自己満足に、子どもの習い事を使わせなかった。
子ども中心で、それでいて親たちの人格も対等に扱っていました。それぞれの人生に、真摯に向き合っていました。
信頼づくり、関係性づくりが上手かった。時に怖かったけど、いつも優しかった。
人間の居場所をつくっていました。
私はあの場で、一生モノの『感性』を育ててもらっていたのだ、と、何かにつけて思い出します。
でも、あの頃は良かったと感傷にひたるだけでは、せっかく学んだことは活かせませんので……。
あんまり思い出話ばかりしないように、しています。(未来に生きないとね。)
足元の基盤をあの時代に育ててもらったからこそ、たぶんこれからも、自分は自分の居場所を好きなところにつくっていけるだろうと思います。
また、もしかしたら今後は私の活動も、誰かの居場所をつくるお手伝いができるのかもしれないので! そう考えると、がんばる意欲がまた湧いてきます。
基本、ネガティブ人間なんですが。
(マジで。声と反応がでかいだけで、全然明るくはないんです。胸中いつも不安だらけです。)
それでいて、どこか自分のことを無条件に肯定できているのは、あの時代に『人生は楽しい』を徹底して教えてもらったからかもしれません。
そういう意味では、ポジティブに生きれているのかな?
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