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『孟子』82滕文公下―孟子と公都子の対話(1) 理屈っぽいわけ〈1〉治乱の歴史

*今回は、弟子の公都子(こうとし)との対話です。

弟子の公都子は言った。

「世間の人々は、どいつもこいつも、先生がやたら理屈をふり回すと噂しています。
どうか、お尋ねしたいのですが、なぜなのでしょうか。」

孟子は言った。

「私が、どうして、理屈っぽいことを好むかね。
私だって、やむを得ず理屈を並べているだけだよ。

天下に人間が生まれてから久しいが、ある時は治まり、ある時は乱れることを繰り返してきた。

尭(ぎょう)の時代になると、洪水が発生して、中国各地で氾濫が起きた。すると、蛇や龍が中国に住みつき、民は定住する場所を持つことができなかった。そのため、低地に住む者は木の上に巣をつくり、高台に住む者は、洞穴を掘って住みついた。
『尚書』には、尭の言葉がのこされている。
〈洚水(こうすい)は、私への警告なのだ。〉

洚水とは、洪水である。
さてそれから堯が、禹(う)に洪水を治めさせると、禹は大地を掘削して溢れた水を海に注いだ。
さらに蛇や龍を駆除して、湿原に追いやった。
こうして河川は、大地の中を流れるようになった。
江水、淮水、河水、漢水はこの際にできた河川である。

洪水の危機が遠い過去のものとなると、鳥や獣による人への害は消え去った。
それから、人々は平地に立ち、住みつくことができるようになったのである。

ところが、尭や舜が亡くなると、聖人の道は衰えていった。
すると、暴君が変るがわる統治を行うようになり、人々の住まいを壊し、池や堀を造るようになり、民は安息できる住処を失っていった。
さらに暴君たちは、田畑を潰して、庭園を作り、民が衣食を確保できないようにしてしまった。
そして、デタラメな言説や、暴力行為が流行するようになってしまった。
さらには、庭園、堀池、湿地がやたらと増えていき、禽獣が寄りつくようになっていった。

こうして、殷の紂王の時代になると、天下はさらなる大乱に見舞われた。
だが、周公が武王を助けて、紂王を誅殺し、紂王を助けていた奄国(えんこく)を討伐した。そして、三年かけて、奄の君主を討ち、紂王の腹心であった飛廉(ひれん)を海岸まで追い詰めて殺害した。

この際、周公たちが滅した国は五十にのぼり、虎や豹、それにサイや象を駆除して遠ざけた。
 
『尚書』には、このようにある。
〈偉大にして明かではないか。文王のお考えよ。偉大にして受け継がれし、武王の功績よ。我らが周の後人を助け導いてくださったのだ。周の王たちを、みな正して、堕落せずにすませたもうたのだ。〉

*孟子の言葉はさらにつづきます。 

*以上、『孟子』82滕文公下―孟子と公都子の対話 理屈っぽいわけ〈1〉治乱の歴史

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【原文】
公都子曰、「外人皆稱夫子好辯、敢問何也。」孟子曰、「予豈好辯哉。予不得已也。天下之生久矣、一治一亂。當堯之時、水逆行、氾濫於中國。蛇龍居之、民無所定。下者為巢、上者為營窟。『書』曰、〈洚水警余。〉洚水者、洪水也。使禹治之、禹掘地而注之海、驅蛇龍而放之菹。水由地中行、江、淮、河、漢是也。險阻既遠、鳥獸之害人者消、然後人得平土而居之。「堯、舜既沒、聖人之道衰。暴君代作、壞宮室以為汙池、民無所安息。棄田以為園囿、使民不得衣食。邪說暴行又作、園囿、汙池、沛澤多而禽獸至。及紂之身、天下又大亂。周公相武王、誅紂伐奄、三年討其君、驅飛廉於海隅而戮之。滅國者五十、驅虎、豹、犀、象而遠之。天下大悅。『書』曰、〈丕顯哉、文王謨。丕承哉、武王烈。佑啟我後人、咸以正無缺。〉……。

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